第10話



今日は水色のワンピースを着て、透から貰ったネックレスとブレスレットを身につけている。

透の家に遊びに行く数日前に母にも伝えておいたら、手土産を準備してくれたらしい。


「彗。玄関に手土産置いてあるから。」


家を出る支度をしていると、居間から母の声がした。


「ありがとう。わ、コレ良いヤツじゃ無い?わざわざ買いに行ってくれたの?教えてくれたら、私が行ったのに。」


「そういう訳にもいかないわ。くれぐれも、向こうのご家族に宜しくね。」


今日は母の体の調子が良いので、私は安心して出掛けられる。


玄関に置いた書道バッグの隣には、有名デパートの紙袋が置いてあった。立派な箱がのぞく。こんな遠くまで買いに行ってきたのか。


「くれぐれもよ〜。」


「は〜い。ありがとう。」


少し遠くから聞こえる母の声に返事をしながら、家を出る。わざわざ遠くのデパートまでお菓子を買いに行ったのは、彼一家が有名人だからかな。きっと気にしないと思うけれど。透の屈託ない笑顔が思い浮かぶ。


家から出て少し歩くと、待ち合わせしていたコンビニに透が迎えに来てくれていた。白いポロシャツに黒いチノパンが似合ってて。何気ない姿でも格好良くて、見惚れてしまう。透は私に優しい笑顔を向けてくる。


「今日も可愛い。大好きだよ、彗。」


「あ、うん。はい。ありがとう。そうだ。母さんが手土産にって。どうぞ。はい。」  


私は既にとっても緊張していて、自分でも何を言っているのかよくわかっていない。


「ありがとう。これ、好きなんだよね。」


「そ、それは良かった。」


透は嫌味無く言う。手土産を渡して手を繋いでバス停まで歩いていると、見知った人が向こう側から歩いてきた。私は思わず透から手を離す。


「ああ、彗か。透君も久しぶりだねぇ。」


先生は紺色の作務衣を着て、風呂敷を片手に持ちニコニコしながら近づいてきた。何をしているのかは明白だ。


「先生はスイーツ巡り中ですか?」


「コンビニの新作が買えてねぇ。これから紅茶と一緒に楽しむんだ。」


先生は私と透を見て顎に手をやり、ニヤニヤとした。


「あんなに小さくて可愛かった彗も、大人になったんだねぇ。僕のお嫁さんになるって泣いてせがんでいたのが懐かしいよ。」


「……。」


透が唖然とした表情になった。ここは訂正しておかないと。キツめに睨んで返しながら応えた。


「先生。幼稚園の時の話を持ち出さないで下さいよ。」


「んなっ!」


「ふふふ。彗が幸せそうで良かった。そうだ、コレあげるよ。好きでしょ。」


先生が風呂敷の中からチョコマシュマロを一つ取り出してきた。勿論受け取る。


「ありがとうございます。」


「じゃあね。透君、また次の展覧会で会おう。」


「………はい。」


先生と別れて、透に案内されながら彼の家に向かっているけれど。不機嫌だ。


電車を降りて大通りの信号を渡り、川沿いを歩いてお茶屋の脇道を進む。数えて6件目の家だと言っていたが、一軒一軒が大きくて。透の家に着くまで思ったより時間がかかった。規模が違いすぎる。


「お、お邪魔します。」


立派な門構えに、私は手に汗が滲む。思っているより住む世界が違うようだ。達筆な表札を見つつ門をくぐり、綺麗に手入れされている日本庭園を歩いて、やっと玄関。立派な盆栽が何個もあり、全てが生き生きとしてみえた。


「素敵ね。」


「お爺様の趣味で、少し教えてもらっているんだ。」


木の良い香りのする広い玄関まで来ると、先程庭に生えていた草花を飾った花瓶が棚に美しく飾られていた。ついつい見惚れてしまう。私の視線の先がわかったのか、透がソワソワする。その様子がなんとも面白い。


「透が生けたの?貴方みたいな雰囲気だけど、少し厳しいような感じもする。」


「迎え花というんだ。君を想って生けたんだけど、やり過ぎだってお婆様に手直しされてしまったよ。」


透は私から顔を見られないように俯けて靴を脱ぎ、家に上がる。私は彼の心遣いに、嬉しくなった。


「お邪魔します。」


「今日はお婆様が、ご友人にお茶に呼ばれててさ。誰もいないんだ。」


お茶に呼ばれたって、茶道の方だろうな。私が友達とカフェでお茶をするのとは違う。何もかも私とは違う世界だ。


彼に続いて靴を脱いで隅に寄せる。木の廊下に踏み出すと、非現実を感じた。長い廊下、綺麗な襖。少しだけ冷たい空気。静かさが心地良い。そこに立つ白い靴下の透が、しなやかな一文字のようで。ゴクリと唾を飲み込む自分に気が付いた。


暫く進んだ廊下の角部屋が透の部屋。襖が開けられ、部屋に入るよう促される。

先ず目に入ったのは、広い畳部屋に飾られた一枚の額縁。海デートの時に私と書いた『海』という創作文字。


見つめていると、透が私を後ろから抱き締めてきた。近距離でじっと覗き込まれ、戸惑う。怒っている。


「……お茶持ってくる。」


「あ、うん。」


透は私を解放して出て行く。パタンと襖が閉められた。再度、額縁に目をやる。


「あんなに穏やかな海が目の前にあったのに。こんなに激しい表現をするなんてね。面白いな。」


透と私の筆跡を虚空でなぞりながら、当時の気持ちをなぞっていく。とても楽しかった思い出だ。


透の部屋はシンプルそのもので。勉強机、本棚、書道具用の棚。そして中央に座卓が一つだけ。

長テーブルに置いてくれた私の荷物から、書道具を出す。きっと、お互い直ぐにでも始めたいだろうから。


シュリ、シュリ、シュリ


固形墨をする心地良い音と香りが透の部屋に響き、緊張がほぐれてきた。


「おまたせ。」


暫くしてスッと襖が開いき、透がお茶と茶菓子の乗ったお盆を持って入ってきた。先程と変わらず憮然とした表情をしている。違う話をして気を逸らせよう。


「ありがとう。ねえ、どうしてこの文字を飾っているの?」


「気分で替えているんだ。他はそこの押入れにしまってある。」


「見たいな。」


「また今度な………俺は今日は墨汁にする。」


透も書道具を机から持ってくると、隣に座り準備をした。彼のおススメする古典の書からの一文を書き出す。不思議と、彼が筆を執ると周囲の空気が変わるのを感じた。今は不愉快という感情が顕著に出ている。

私も習って書いていく。静かだけど、心地良い時間が流れていくかと思ったが。


「……駄目だ。」


透が筆を置くと、私の筆も取り上げて抱き締めてきた。抵抗もできないまま、畳に押し倒される。

透の顔が私の直ぐ目の前にいて、私は何をされているか理解するのに時間がかかった。唇が触れてしまいそうな距離に、心臓が高鳴る。透の家には、いま私達しかいない。


「ねえ。君の先生ってさ、かなり意地悪だよね。」


透の口から出た言葉に、私は一瞬にして冷めた。


「それ、透が言うの?」


思わず言ってしまった。でも、私の先生の悪口を言われては黙っていられない。透はゴメンというと、そっと覆い被さってきた。


「やきもちなのは自覚している。君と君の先生の築き上げてきた関係もわかっている。だけど、俺だけを見ていて欲しいんだ。君が大好きだから。」


透が今にも泣き出してしまいそうで。私は彼の背中に手を回してそっと抱きしめる。透は私の首筋に顔を埋めた。


「彗、大好きだ。どうしようもなく好きなんだ。」

 

「私も、好き。」


「もう一度、言って欲しい。」


「好きよ。先生は先生だから、透とは違うよ。」


「君からあの男の言葉が出るだけで、胸が苦しいんだ。彗には俺だけだって確証が欲しくて。余計に辛くなる。」


透は少し体を起こして、私を見てくる。熱に火照る頬。私もそう。


「好きよ、透。」


自分が自分で無いような、そんな声が口から出た。透は今にも蕩けそうな幸せな表情を浮かべる。


「ああ。嬉しいよ。好きだ、彗。」


透は幼い子供のように、ニッコリと笑った。


「チョコマシュマロの他に君の好きな食べ物を教えて。次から用意しておくから。」


「うん。私にも、透の好きな食べ物教えてね。」


その日は、透とずっと話をして。筆は触らなかった。


「ねえ、あの額縁のはどうして飾ってあるの?」


「大切な思い出だから飾っておきたいんだ。

これを見る度に君を思い出す。君と書いたあの時間は、俺に素晴らしい経験をくれた。

練習をしていて、上手く書けなくて落ち込んだ時も、コレを見て元気を貰っていたんだ。」


「そうなんだ。」


「これからも、沢山思い出を作っていこうな。彗、大好きだよ。」


透が甘えるように抱きついてきた。この人は私でなければいけないんだ。自惚れだと思うけど、透はこれからも私を好きでいてくれるんだろう。

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