仲良しでいられた、いつかの日



 金に染めた長い髪に、日焼けした褐色の肌。

 織部リサはちょっと釣り目で気の強そうな顔立ちの美人さんだ。

 以前は結構話したりしたんだけど、生憎と最近は僕に対して当たりが強い。

 後ろで九重さんとリーゼントが「そう言えば、なんで彼女だけ名前呼びなんですか?」「ああ、中学の頃は同じ道場通ってたんだよ」みたいな話をしてる。


 そう、僕は中学の二年間半ほどだが総合格闘技の道場に通っており、リサとはそこで知り合った。

 が、先輩と反りが合わずに僕は辞めちゃった。

 なので同い年で「いっしょにがんばろー!」的に接してくれていたリサは未だに怒ってる感じだ。


「お遊びとはいえ、けっこう動けてる。トレーニングはしてたんだ」

「健康のため、くらいにはね。そういうリサもだよね」

「私は、道場は変えたけど、週二くらいで今も通ってるし」

「あ、そうなんだ?」

「……むかつく」


 えっ、なにが?

 何故か分からないけどリサを怒らせてしまったっぽい。

 

「ちなみにさ、神崎はもう格闘技やる気ないの?」

「まったくないよー、TRPGやってる方が楽しいし」

「……ヘタレ」


 そこを突かれると弱い。

 たぶん、「いやいや、君も元の道場辞めてるじゃん」とか言っちゃいけないヤツだ。

 リサは不機嫌そうに拳を突き出した。


「久々にガチンコの、殴り合いで勝負を決めようよ」

「……ゆるしてー、って言っても逃がさないんでしょ?」

「分かってんじゃん」


 夢見さんが「おーい、織部さん。これ水鉄砲バトルだよー、のめり込むのは問題ないけど水での攻撃以外はルール違反だよー」と訴えかける。

 だけどリサはそんなこと分かってるとばかりに水に濡れたバンテージを取り出し、僕に投げ渡した。


「水での攻撃はルール違反。逆に言えば、バンテージに水を含ませればそれはもう水鉄砲……!」

「絶対違いますよ⁉」


 九重さんの叫びは届かない。

 リサは本気だ。ならば、僕はそれに応えないといけない。

 濡れたバンテージを拳に巻き、左足を軽く引いて構える。


「リーゼント、先に行って。彼女の相手は僕がする」

「だがっ⁉」

「大丈夫、すぐ追いつく。君は、テロリストの親玉を倒すことだけ考えて」

「……すまねぇ、ウィザードっ!」


 悔しそうに歯噛みして、それでも振り返らず彼は走り始めた。

 微妙に納得し切れていない九重さんもそれに続く。

 夢見さんが一度足を止め、そっと目を細めた。


「神崎くん……待ってるから」


 僕はそれには答えず、ただサムズアップで返した。

 古い芸風だけどここは任せて先に行けは大好きなシチュだった。

 足音が遠ざかる。

 残されたリサと僕は廊下で静かに睨み合う。

 遠くセミのが鳴いている。ぽたりと夏の暑さに汗が滴り。


「……はぁっ!」


 それが合図となった。

 リサは左足で床を蹴り、一気に距離を詰める。

 淀みのない歩法から、突き刺すような右の蹴り。

 僕はそれに合わせて右斜め前に足を滑らせ、踏み込むと同時に体を回す。

 

 そのまま鋭くしならせての鞭打。顔は狙えない、胸はつるぺた。となると、肩から上腕にかけてだ。 

 彼女は当たる瞬間に筋肉を締めて打撃を軽減した。そして返す刀、右足が地面に着けると瞬時に左の横蹴りに繋げる。

 ほっそり奇麗な左足を掴もうとしたが、リサは膝を支点にすぐさま軌道を変化。頭部を狙った上段の蹴りに移行する。

 ぎりぎりで左腕を割り込ませることで防ぎ、僕はしゃがむと同時の足払いで軸足を刈る。


「甘いっ」


 けれどリサは読んでいた。

 片足のみで跳躍し、空中で体を捻り縦回転、上から下に叩きつけるような蹴りを放つ。

 もっとも、僕だってその動きは読んでいる。

 彼女の持ち味は軽やかな身のこなしと、途中で軌道を変える多種多様な蹴り。

 道場時代、強くなりたいけど筋トレして肩幅が広くなるのはイヤ。だから腕力を鍛えるより強い足技を磨くと言った彼女の鍛錬の成果だ。

 でも特に理由はないけどスカートで上段廻し蹴りはやめて欲しい。紫。紐。


「どっちがっ!」


 僕は勢いよく前転することで蹴りを躱し身体の位置を入れ替え、すぐに立ち上がり突進する。

 リサも軽やかに着地すると同時に右の中段蹴りを放った。

 踏み込む足に力を入れて、前傾になりながら更に速力を上げる。

 蹴りを防ぐより避けるより、当たる場所をずらすことで威力を軽減して耐える・・・

 ああ、なんて激しい水鉄砲バトルだ。

 そのまま組み付き、転がそうと思ったのに、何故か彼女に怒鳴られてしまった。


「あああ、むかつくっ! そんだけ動けて勝手に辞めて! アタシと水鉄砲バトルしてんのに全然本気にならないで!」

「辞めさせられたんだし、ともかく後半は仕方ないでしょ!」


 ぶっちゃけ僕は雑だし、先方としては膝と肘と頭突きがメインなので、知り合い相手だとちょっと意識的に力を抜いてしまう。変なところに当たって折れると困るから。


「うるさいっ、キョウくんのばーかっ! 間抜けっ!」

「驚くほど悪口の語彙力がないっ⁉」

「こっちは言いたいこと山っほどあんの!」


 リサは文句を言いつつも、なぜかちょっと泣きそうになってる。

 その姿に以前の、ギャルじゃなかった頃の彼女が重なる。

 僕は水鉄砲バトルをしてる最中なのに、何故か中学時代のことを思い出していた。




 ◆




『同い年は私たちだけだから、いっしょにがんばろーね、キョウくん』


 中学一年生の頃だ。

 僕は近所の総合格闘技の道場に通っていた。

 本来はジム、というのが正しいんだろうけど、なんかジムの経営者がお爺ちゃんだったから僕たちは道場と呼んでいた。

 もともと女顔で、小さな頃はほぼロリだったので、少しでも男らしくなりたいというシンプルな理由だった。

 道場で最初に友達になったのが織部リサ。

 そう、皆さんお分かりになりますね?

 普通に女の子と間違われたんです。

 まあすぐに誤解は解けたけど、なにせ小学生を卒業したばかり。あまり性別を意識していなかったこともあり、僕とリサはすぐに仲良くなった。


『キョウくん、いっしょにやろー』

『おっけー』

『それでね、それでね。帰りはねー、寄り道してー』


 基本は同年代で組んでやるから、大体僕はリサと一緒に行動していた。

 当時は今みたいにギャルっぽい感じではなく、どちらかと言えば大人しい印象だった。

 そういう自分を変えたいと、お父さんみたいに格闘技を学ぼうというのが動機らしい。

 お互い現状打破同盟。幼いながらに「いっしょにがんばろー」と真剣に練習を繰り返した。


『へっへー、もうキョウくんと身長ほとんど変わらないよー?』

『うぐ、僕だって成長期だし。ここ、これから大きくなる的な……』

『でも顔だってかわいいまんまだしぃ?』

『そういうこと言っちゃ駄目だよ、僕の目指す先はゴリラ系の顔なんだから』

『それはもう成長じゃなく整形にかけるしかなくない?』


 が、子供というのは成長するもので。

 中学三年生になる頃、リサはあどけない顔立ちではあるスレンダーな美少女さんに成長していた。

 そのおかげか、そのせいか、当時高校生だった道場の先輩さんから頻繁に声をかけられるようになった。

 でも、彼女は誘いには乗らずそそくさと逃げる。

 そうすると次に狙われたのは僕。いえ、ナンパじゃないです。リサと仲のいい僕をいじめてやろう、という例のアレだ。

 まあ、色々やられた。

練習にかこつけて体当たりして来たり、物を隠したり、ひそひそ嫌な噂をたてたり。

 そんで、先輩はニヤニヤと僕に練習試合を申し込む。


『鍛えてやるよ、俺が』


 あれだよね。

 リサの前で恥かかせてやろうって魂胆のヤツ。

 そうして練習試合開始。

 僕は道場で、リサの前で、先輩さんにボコボコに……


『死にさらせやビチグソがぁぁぁぁぁぁ⁉』


 ……される前に飛び掛かり先輩の頭部を掴みその顎に思いっ切りシャイニング・ウィザードを決めちゃいました。

 加えて顎の骨を砕いた後も止まらず、先輩さんが嘔吐して小便漏らすまで腹にも膝蹴りをした。

 だってしょうがないじゃないか。

 格闘技は健全な精神を育むものだって道場に入る時教えてもらった。

 なら、先輩である彼のやり方は、見習うべきとことの筈だろう。 


『おら立てや。これがお前の育んだ健全さなんだろうが。顎砕かれようが内臓壊れようが健やかな笑顔見せるのが筋だろうがセンパイさんよぉ!?』


 とりあえず練習試合の名目で、顎の砕けた先輩を殴れるだけ殴った。

 なお僕、普通に道場辞めさせられました。

 つまり格闘技における健全さとは「年下の女の子に無理矢理迫ってそいつと仲いい陰キャを甚振って恥かかせること」であり、「それに抵抗すること」は許されないそうです。

 はは、ふざけろ。

 そんな感じで先輩に唾を吐きかけて道場を去った僕。

 まあ、肝心の先輩も辞めたそうだけど。

 一応、最後にリサとちょっと話す機会はあった。


『キョウくん、辞めるの……?』

『うん。辞めさせられる、だけど』

『あのね、アタシも別のところにいくんだ。もうちょっと、軽い感じの場所。キョウくんもさ、そこに』

『あー、いいよ。なんかもう飽きたし』


 健全な精神とやらがクソだって分かったんでもうどうでもよくなっていた。

 軽い感じで返したら、リサは泣きそうだった。

 ここで二人の縁は切れた感じ。

 もともと同じ中学ってわけでもなかったし、高校に入るまでは顔を合わす機会もなくなってしまった。




 ◆




 左足を軸に、すらりとした長い脚を高く上げての右の踵落とし。

 僕は両腕を交差させてそれを防ぐ。……が、リサは右足に力を込めて体を持ち上げて、左足の膝蹴りに繋げる。

 驚くべきは脚力よりも動きの滑らかさ。技と技の繋ぎにぎこちなさが一切ない。 

 膝蹴りを頭突きで撃ち落とすのが多分一番楽な防ぎ方だろう。

 でも、水鉄砲バトルで相手を怪我させるのもアレだ。僕は手首を返してリサの右足首を固定、その状態から重心を後ろに傾け、倒れ込むような投げ捨てる。

 けれどそれも読んでいたのか、リサは軽やかに着地する。

 僕も転がりながら立ち上がり態勢を整え、間を置かない彼女の三連蹴りを丁寧に捌いていく。


「むかつくっ、むかつくっ、むかつくっ!」

「もう、なにがそんなにむかつくのさ?」

「それが分かってないこと自体ムカつくけど、なによりこっちの話を聞かないことが! 辞めたらそこでハイおしまいってどういうつもりよ⁉ 話しかけてよ、待ってたったのアタシは!」


 くるんと体を回して左上段廻し蹴り、と見せかけて中段に可変。リサの蹴りは華麗だけど鋭く威力もある。

 それを、あくまでも柔らかく、そっと手を添えて軌道を変える。そこから一歩踏み込み掌底。

 足技だけでは間に合わないと悟ったのか、彼女は腕で受けに回った。


「そんなに文句が積もり積もってる感じ? あの、今度牛丼食べながら聞くとかじゃダメ? 奢るからさ」

「ダメ! アタシのハートが保てない!」

 

 なにその理由。

 なんて思っていると、くわっと険しい顔でリサは胸の中に溜まったモノをぶつけてくる。


「あのね! ありがとう! あの時、アタシのために怒ってくれて! あのクソチャラ男から守ってくれて! あいつのこと、ほんっとーに、嫌いだったの!」


 反撃の蹴りと共にそんなことを言われるものだから、僕もちょっと動揺してしまった。

 

「お、おう」

「それで、ごめんなさい! アタシのせいで道場辞めさせられて! キョウくんがあんなに暴れたのは、アタシのためだったのに、なんにもできなかった!」


 蹴りと言葉の同時攻撃なんてさすがに初めての経験だ。

 

「でも……! それでも、キョウくんは、嘘つきだ!」


 リサの動きが一瞬鈍った。

 でも反撃はせず、ただ蹴りを捌き防ぐことに専心する。


「言ったじゃん、いっしょにがんばろーって!」

「とはいえ、辞めさせられた側だし……」

「じゃあアタシになんか言えよ! これからどうしよかーとか! 別の場所で続けようとか! どうせなら二人とも辞めちゃうかーとか! そういうのあったって良かったじゃん! なんかあったら一緒に悩むのが一緒に頑張るってことじゃないのかよ⁉  なのに勝手に決めてどっかに行って! ありがとうもごめんなさいも文句も、何一つ言えなかった! だからむかつくってんのよアホぉ!」


 すごく、真剣な想いをぶつけてくれる。

 でも、なんと言おう。非常に申し訳ないのだけど、


 実は、当時の僕にとって、リサのために頑張ったという認識がなかったのだ。

 

 僕は根本的に、『気に入らない奴が気に入らないことをしてるのが気に入らない』という考え方の持ち主だ。

 気に入らないヤツでもそこにいるだけならOK。

 好きな人たちが気に入らないことしても許容範囲。

 だけど、マイナス×マイナス=極大マイナスという、数学の基礎の話である。

 なので、ぶっちゃけていうとリサを口説こうとしてたことは遠因でしかない。

 クソ野郎がクソな真似して目障りだから潰す、というマジメな陰キャ特有のささやかな願いでしかなかったのです。

 だからそこまでリサが思い詰めていたなんて考えもしていなかった。

 はい、最低の男です。


「あの、ごめんなさい……?」

「昔のことを謝んな! そもそも色んな原因アタシなんだから!」

「えぇ、理不尽……じゃあどうすれば」

「そんなのアタシも分かんないから聞かないでよ! でも、一つだけ! 全力で謝ってほしいことがあんの!」

 

 そうしてりさは、これまで以上に強烈な、槍の一突きを思わせる蹴りを放つ。

 


「もう高校二年の八月だってのに、入学以来一回もキョウくんから話しかけてこないってどういう了見じゃせめて昔の友達くらいのノリではいてよバァァァァカ⁉」

「それは本当にごめんなさい!」


 


 いや、僕としても一度疎遠になったから、びみょーに話しかけ辛かったんです!

 でもそんな言い訳は通用しないよね。

 リサの貫くような一撃を左腕で受け、裏側から掌底を打ち込んで相殺する。

 軽く後ろに飛んで距離をとったリサはぐっと腰を落とした。

 再度跳ねるように飛び掛かろうとした瞬間。


「えいっ」

「やっ!?」


 僕のハンドガン型水鉄砲が火を噴くぜ!

 顔面に水をぶっかけられて、かわいらしく声を上げる。

 その事実に遅れて気付いたのか、ちょっと顔を赤くしていた。


「こ、この……!」

「はーい、僕の勝ちぃ。あくまで水鉄砲バトルですのでこれで終わりですぅ。はーい、敗北者はチームの方に帰ってくださぁい」

「あああ、その煽り顔がまたむかつくぅ!?」


 そう言われても、乗った僕もアレだけどこんなとこでガチンコなんて問題だしね。

 ともかくこのくらいで終わらせておく方がいいのだ。


「でも、本当にごめんね。なんだかんだ、勝手に辞めちゃった身だからさ。ちょっと、気後れはしてたんだよ」

「……ばーか」


 どことなく優しい「ばーか」だった。

 多少は許してもらえたのかもしれない。


「まあ、でもさ。こうやって久しぶりに一緒に遊んだし、時々、声かけていい、かな?」

「…………………うん」


 顔を背けながら、リサはこくんと頷いてくれた。

 遠く、セミの声が聞こえる。二人して黙り込めば、余計に騒がしく感じられた。

 ふと見上げれば、窓に切り取られた、べったりと重い青空。

 雲一つないと言えば聞こえはいいけれど、遮るものもなく降り注ぐ太陽の光は、まるでバカな僕たちを叱りつけているように感じられた。

 手で光を避け、静かに目を細めた僕は広がる青空を眺める。

 

 そうして思う。

 夏の日差しは、触れる情景を色濃く記憶に焼き付ける。

 きっと、この細やかな一瞬も、いつかは大切な思い出に変わるだろうし、水鉄砲バトルって言ってたけどリサは蹴りばかりだから濡らしたバンテージ全然関係ないよね?

 あと、青春っぽい語らいしたけど僕ってば夢見さんとセフレ関係なんだよね。

 今のキョウくん、リサに怒られること沢山あるよなぁ、なんて考えてしまう次第であります。





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