第三十四話 出来てますか!?

 今年のお茶席は午前に一年生と三年生が一人ずつ、午後は二年生と三年生が一人ずつお点前を披露することになっている。お客様は順次入れ替え制。なるべくたくさんの人に茶の湯を体験してもらうため。


 というわけでわたしがトップバッターなのです。


 ふう、と短く深呼吸をして、ついたての裏から明るい会場をちらと覗く。


 物珍しそうにするお客さんの生徒たちが数名見えた。これからあの前で注目されながらわたしはお点前を披露するんだ。


 手が冷える。冷房のせいじゃない。

 緊張。

 お盆を掴む手が汗でぬるりと滑った。


 ふう。また息をつく。

 大丈夫。落ち着いて。


「大丈夫。落ち着いて」


 低い囁き声にはっとした。思っていたことが、そのまま耳から聴こえた。


「大丈夫だから。楽しんでおいで。スズちゃん」


 言って、そう、とわたしの耳元から離れる、龍崎先輩の気配。お礼、言えなかったけど、あとでたくさん言おう。


 力が湧いた。

 楽しもう。茶の湯を。茶道部を。今を。


 目を閉じて、開く。

 そうして会場へと一歩、足を踏み出した。



 始まったからと言ってすぐに緊張が取れていくものじゃない。


 袱紗ふくさを取る手が、茶杓ちゃしゃくを持つ手が、いつもの感覚とはちがう。冷えて、震える。息がちゃんとできているか、確認してる余裕なんかない。


 でも、思い出して。さつき先輩と龍崎先輩に細かに教えてもらったあの時間を。


 ほんの僅かだったけど、濃く、充実していたあの時間を。


 道具のひとつひとつを大切に。意味のない動きはひとつもない。ぬぐい、清める。相手のために。ゆっくりと、丁寧に、手にして、撫でるようにすべらせて、優しく持ち直して。


 飲み良いお茶を点てましょう。

 心地良く過ごしていただきましょう。


 夏は涼しくなるように。

 冬は暖かくなるように。


 真心を込めて。

 相手を想って。


 さつき先輩に「ちがう」と何度も叱られた『袱紗さばき』。家でも何度も練習した。だから上手くいく。大丈夫。


 うわぁ、いいねぇ。

 なんかすごいね。

 かっこいい。

 きれいだね。

 うん、すごくきれい。


 お客さんたちからそんなヒソヒソ声が聴こえる。


 茶杓ちゃしゃくで抹茶を掬い入れ、お湯を注ぐと、いよいよ茶道らしい場面に入る。


 茶せんを手にして茶碗につけ、ササササ、と素早く振って、泡を立てる。


 おおー。という感嘆の声が薄く拡がった。


 出来てる? わたしにも、出来てるのかな。遠く及ばないと思っていた、先輩たちのようなことが。


 出来てますか? 龍崎先輩。




「お上手でした」


 いちばんに声をかけてくれたのは、やよいちゃんだった。「やはりさつき姉さんのご指導がよかったのですね」とひとり納得されてこちらは苦笑い。あはは……。


 マヨとポウちゃんはどこかな? と探していると、先にマサミ先生が現れてあやうく心臓が止まりそうになった。


「私を見かける度にビクビクなさるのはおやめになって?」


 冗談ぽく言われたものの「しゅみばせんっ!」と即行で謝った。


「よいお点前でしたよ。とても」


 ひょあ、と固まってなにも返せなかった。


「まあ、当然あなたの先輩には遠く及びませんけれど」


 目線の先にはさつき先輩の姿が。あ、当たり前ですそんなのっ!


「あなたの今後に期待します」


 そう言ってから「それと」とマサミ先生は目線を外して言葉を続ける。


「一時的な気の乱れであなたを茶道部から追い出そうとしたこと、心からお詫びします」


「えっ……」


 言葉を返せないでいるわたしに、先生は微笑んで「さ、あなたも先輩のお点前を拝見して勉強なさい」と促した。


 もちろん「ハイっ!」と即行で返した。




 龍崎先輩との時間ができたのは、すべてが終了してからだった。


 すべてが。そう、文化祭の後にあった、三年生の先輩たちの『引退式』まですべてが終わってから。


「では各自着替えて────」との指示が出される中、こっそりと手を引かれた。


「来て」


 低く、甘い声。

 誰にもバレずに……とは当然いかないけど、誰にも咎められることなく、わたしたちは部室を抜け出した。




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