四席目 気がつけばお抹茶に深み
第二十二話 語り・千菊①
*
それはあまりにもあっという間の出来事で、僕に反抗できる余地はなかった。
──西尾さんには茶道部を退部していただきます。
足を怪我したスズちゃんに「ここで待っていて」と言って部屋を飛び出した。
さつきさんの姿はすぐに見つけられた。
「さつきさん」
「なんでしょう」
ぞっとするほど、冷えた目だった。
「母はどこです」
さあ? と首を傾げられてしまったから、そのままロビーへと降りた。
「マサミさまは外出されております」
旅館の人に教えてもらって、出入口の自動ドアを睨んだ。夕刻前の真夏の外はまだ日が高い。
──ぱちん!
フラッシュバックするみたいに、記憶が甦る。
──気味が悪いの!
母は僕のことを、そんなふうに思っていたのか。
正直、かなりショックだった。
もしかしたらこの大きな身長が嫌で、しっかりとした骨格が嫌で、低い声が嫌で、僕はこの世から消えてなくなろうとしたかもしれない。
スズちゃんと再会する前ならば。
この身体だから、スズちゃんを守れる。スズちゃんを抱きかかえられる。スズちゃんを愛せる。
だから僕は
「千菊くん」
「……なに。さつきさん」
「マサミ先生と会ってどうなさるおつもり?」
どうしてそんなわかり切ったことを訊くのか。
「取り下げてもらうに決まっているでしょう。スズちゃんの退部を」
「代わりにあなたが退部なさるの?」
「えっ……」
一瞬の静寂が僕と彼女の間に流れた。
「部内恋愛は禁止の規則です。さっきの西尾さんへの発言、まさか取り消すつもりがない、ということ?」
「……そうですね。退部しろと言われるのであれば仕方ない」
「どうして!」
「『規則だ』と言ったのはそっちでしょう」
「あなたの真意がわからないです」
僕だってわからない。母の言う通りにしなくては、と思うのに、「そうしたくない」と心が叫ぶ。
スズちゃんが好きだ。
スズちゃんといたい。
「少なくとも今のあなたと許嫁で居続けることは私は望みません」
じ、と真正面で見つめ合う。昔は彼女のほうが背が高かったのに、いつからこんなに差ができたのか。
「僕もだ」
短く返すと、さつきさんは目を潤ませて走り去っていった。
ふう、と息をついて近くの長椅子に腰を降ろす。
母はなにを考えているのか。僕が反抗したからだろうか。その罰として、スズちゃんを……?
だとしたらあまりに理不尽だ。
いくら僕の母親だからといって、スズちゃんから茶道を取り上げる権利はない。
ほどなくして出入口から賑やかな声がしたので顔を上げると、一年生たちが帰館してきた。
「ぅあれ!? 龍崎先輩!?」
目を丸くするのは根岸さんだ。
「おかえりなさい」と声をかけると、一気に顔を赤くして「おつかれさまですっ!」と勢いよくお辞儀をしてくる。つられてほかの子たちも。
ひー。びっくりしたー。
浴衣姿だったね。
ヤバかった、気絶するかと思った。
などという声がしつつ遠ざかる。
母は、まだか。
日はまだ高く、照らされて外は白く光る。
一度スズちゃんのもとへ戻ろう、と思ったその時だった。
まぶしい自動ドアからひとりの女性が入館してきた。少し不慣れな様子で周りを見つつ、受付へと進む。
「あの……ここに茶道部の合宿で泊めていただいている『西尾 スズ』の母なのですが」
話す内容が聞こえて僕は思わず立ち上がった。
「体調不良と聞きまして。迎えに参りました」
やられた。
待って。ちょっと待ってください。
そう声を出そうとした僕の脇から、「あら西尾さん?」と聞き慣れた声がする。
母だった。
「わあ、お久しぶりです、先生」
「懐かしいわ。お変わりないわねぇ」
にこにこと会話をしながら二人はエレベーターへと消えていく。
「待って! ……っ!?」
追おうとする僕の腕を、強く誰かが掴んだ。
「さつきさんっ、どうして」
許嫁を降りたのに、なぜ邪魔をする?
「マサミ先生を尊敬する気持ちは変わりませんから」
「な……」
「先生から頼まれましたので。あなたを捕まえておくように、と」
ぞくりと寒気がした。そのまま「こちらへ」と強引にロビーから離された。
ようやく解放されて部屋に戻ると、西日が明るく射し込むそこにはもう誰もいなかった。
この気持ちはなんだろう。
虚しさ、憤り、悲しみ、……怒り。
そしてそう感じている自分への、驚き。
僕は、生まれて初めて母に疑問と反発心を抱いた。
*
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます