第二十話 なに言ってるんですか!?
部屋に着くと龍崎先輩はわたしを優しく畳の上へ寝かせて、自分は着ていた和服を脱ぎ捨てるようにして取り去ってゆき、シャワー室でそのすべてを落としてきた。
濡れた髪をタオルで拭きながら現れたのは、旅館の、男性用の浴衣を着こなした龍崎先輩だった。
「格好悪いところを見せてしまったね」
眉を下げて微笑みながら当たり前みたいに備え付けの煎茶を淹れ始める。これも茶道の一環? 手つきがやっぱり美しすぎた。
すみません、と慌てて起き上がるわたしの前に「どうぞ」と煎茶が入った茶器を差し出す。
「あ、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げると、「畏まらなくていいよ」と先輩は微笑んだ。そうして自分の分の煎茶も座卓に置いて姿勢よく座った。
「はじめて、母に反抗したよ」
「そ、そうなんですか」
それはすごいことだ。というかこれまでそうならなかったことがまずすごい。
「自分でも、信じられない。有り得ない。だから母も相当驚いたと思う」
先輩は自分の煎茶を見下ろすように眺めて、ふう、と小さく息をついた。
「母は女の子が欲しかったんだ」
そうしてぽつぽつと、話しはじめた。
「だけど生まれたのは、男の僕で。父とは早くに別れてしまっていたから。きょうだいを作ることも叶わなかった。……だから僕を、女の子として育てることにしたんだ」
それで龍崎先輩は、『お菊ちゃん』だったんだそう。『千菊』という名もそう。普段から髪を伸ばさせて、お茶のお稽古の時は女の子の着物を着せた。
「嫌だなんて気持ちは特になかった。僕にとっては普通のことだったし、母は喜んで褒めてくれる。僕もそんな自分が誇らしかった」
──ほんとうに美しいわ。千菊さん。
京都のお屋敷に住む親戚の『お爺様』に見初められたのもこの頃だったそう。
──わしと会う時はいつもその姿でおってくれ。お菊よ。
「小学校に上がると、母の監視の目は厳しくなった」
筋肉が付くからと友達と外で遊ぶことは禁止された。危ないからと自転車も与えてもらえず、白い肌を守るために常に長袖で、体育の授業も外でさせないでほしい、と先生に頼んだりもしたんだそう。
──でも、ユウトくんと約束が
──ぱちん!
──あなたは普通とは違うの!
「だけど高学年になると、だんだん背が伸びはじめて。自然に身体も骨ばって硬くなってきた」
男らしく成長してゆく先輩をマサミ先生はとても嫌がったらしい。
──はあ。また背が伸びて。
「すると母はいよいよ僕を見限るようになった」
──これからのあなたにできるのは、優秀な嫁をもらえるよう努力することだけです。
「僕はそれがとても悲しくて。こうなったら母が望む『優秀なお嫁さん』をもらえるように一層茶道に打ち込むよりほかなかった。普段の身なりや所作にも一層気をつかって、自分を磨いた」
それが『お抹茶王子』のはじまりだったんだ。
「中学に上がる前に、幼馴染だったさつきさんを許嫁として紹介された。湧いたのは反発ではなく安堵の気持ちだった。母の期待に添えたのなら、僕はなんだってよかったんだ」
先輩は自身の前に置いた茶器を両手で優雅に持ち上げるとすらり、とその口元へ傾ける。「スズちゃんも遠慮なく」とわたしにも促すから、「あ、はい」と慌ててわたしも口に運んだ。美しく透ける若草色。熱すぎず、湯気とともに茶葉の香りが立って苦味が丸い、ほのかに甘みのある上品な味。こんなに美味しいのはたぶん、淹れ方がいいからだ。
「だからこれからも、僕は母の望むままに生きていくつもりだった。……けど」
先輩はゆっくりと置いた茶器からわたしへとその視線を向ける。
「母の、あの言葉にだけは」
──西尾さんから離れなさい!
「どうしても従えなかった」
「先輩……?」
「こんなことは、初めてで。僕は……んん」
言いながら、ゴンッ、と座卓に自分の額を打ち付けた。「ちょ、先輩!?」
「自分で自分がよくわからない……」
そうしてぽつりと、こう言った。
「スズちゃんが好きだ」
え、え。えええええええっ!?
「な、なに言ってるんですか!?」
「好きなんだもん」
額をさすりながら、少し頬を赤くしつつまたまっすぐこちらを見て言う。
「ホクロが同じで……運命だと思った。それで恋をしたんだ。初恋を。会えなくなってからもずっと会いたいと願い続けていた。そんな相手と再会できて、本当に嬉しくて。成長したスズちゃんを僕はまた好きになった。さっき、車に跳ねられそうになったのを見て、心が潰れそうになってもう確信した」
「そ、そそ、そんな」
これって、こ、ここ、告白!?
「迷惑をかけるつもりはないんだ。だけどこの気持ちは、本物で」
ガラ、と部屋の戸が勢いよく開けられたのはその時だった。え、鍵は……!?
「西尾さんに迷惑をかけるつもりがないのなら、今の発言は取り消して。そうすれば今回だけは特別に見逃しましょう。千菊くん」
まっすぐに龍崎先輩を見つめるさつき先輩のその目は、怒りで赤く光を宿しているかのようだった。
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