第十九話 生き地獄!?

「なにをしているの、と尋ねています」


 その声は怒りに震えていて、わたしも恐怖に震え上がった。ひいいいい! お、オタスケヲヲヲ!


「お、おお、降ろしてくださいっ、先輩!」


 もう強引にその胸を押して離してもらった。地面に右足がつくと途端に呻いてしまうくらいに痛かったけど言ってもいられない。


 先輩はマサミ先生と向き合って、自ら程よい距離まで歩みを進めた。


「こんな日差しの中、傘もなく肌を晒して。上等なお着物まで汗に汚して。千菊さん。あなた一体どういうおつもり?」


 ええっと……先生? 一体なにに怒ってます? てっきり班行動を無視したわたしと二人でいたことを怒ったのかと思ったのに。


「西尾さんが怪我をしてしまったので。部長として介抱せねばと」「おだまりなさい!」


 ぱちん、と乾いた音が響いた。


 え、えええっ!? それはマサミ先生が、龍崎先輩の頬を思いっきり叩いた音だった。


 こんなところ彩音ちゃんに見せちゃダメなんじゃ、とワタワタ慌てるけど今更だよね。案外平気そうなお嬢様は「うーわ、いたそ」と目を細めて自身の頬を押さえる。


「そもそもその姿での外出は認めていません。あなたのその大柄な背丈は目立って仕方がないの。いくら顔が美しくても、あなたは男なのです! 声だって低くて、気味が悪いの!」


 先生は言ってから「しまった」という顔をしてコホン、とひとつ咳払いをした。先輩は俯いたままで動かない。


「夕刻までしっかりと反省なさい。夜の茶事ちゃじは必ず出るのですよ」


「憐れやなあ」と彩音ちゃんが小声でつぶやいた。「生き地獄やん。ウチはぜったいあんなんなりたないわ」


 生き地獄……だなんて。


 マサミ先生は何事もなかったように龍崎先輩の横を通ってこちらに歩いてくると「迎えを呼びましょうね」と彩音ちゃんに笑いかけた。「おおきに」と可愛らしくお上品に答える彩音ちゃんの姿は正真正銘の『お嬢様』だった。


 で、ええと。わたしはどうすれば……?


 思うものの助けてくれる人は誰もいない。仕方なく痛む足を引きずりながら旅館の入口のほうへと向かった。するとまたふわり、と体が宙に浮く。……え。


「せ、先輩……?」

「部屋まで送る」

「でも」

「いいよ」


「千菊さんっ」


 また鋭い先生の声。

 先輩はピタリとその場に足をとめた。


「これ以上の勝手は許しませんよ。西尾さんから離れなさい。彼女の手当ては私がやりますので」


「……」

 先輩は、答えなかった。その表情はまるで「はい」と反射的に答えてしまうのを、ぐっとこらえてるみたいだった。


「千菊さん。聞こえませんか。西


「…………嫌です」

「は?」


「嫌です!」


 予想外だったのか、マサミ先生は「な」と固まった。


「着替えます」

「な……なにを言っているの、千菊」

「茶事までには、お屋敷に戻ります」


 なにか言い返そうとしていたマサミ先生のそばに彩音ちゃんのために呼んだ車がちょうど到着する。


 先生が運転手さんに話しかけられている間に先輩はわたしを抱えたまま旅館の中へと歩みを進めた。



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