第十五話 そんなはずないよね!?

「──そうですか。ええ。千菊のことはどうぞお好きになさっていただいて。ええ。ふふ」


 そ、と襖を開けるとマサミ先生のそんな声が聴こえた。電話中……? 盗み聞きはよくないけど……。


「ええ。夜通しでも平気ですわ。あの子、体力はありますので。うっふふふ」


 話の内容が気になりすぎるのですが!


 だけど通話は「ええ。ではまた」と終わってしまった。むむ。龍崎先輩……いったい『夜通し』なにをさせられるんだろう。


 なぜか、ぞ、と寒くなった。


「失礼しまーす」


 そんな中を能天気に入ってゆくのはマヨだった。この子は無敵だ。マサミ先生とはとても相性悪そうだけど。


 それからは先輩方も集まりはじめ、マサミ先生の「よろしくて?」という確認ののち『ありがたいご講話』は始まった。


 茶道の歴史、その発展、千利休の逸話、わび茶についてや茶の湯の心などなどなどなど……。


 ──茶の湯の心は『和敬清寂わけいせいじゃく』。


 いつか龍崎先輩が言っていた言葉だ、とぼんやり思いながら聞いていた。マサミ先生によると意味は『みなと仲良く』『互いを敬い』『心清く』『心静かに』だそう。


 途中こっくりこっくりと船を漕ぐマヨをつつきながら、約一時間に及ぶ『正座の苦行』……じゃないや。『ありがたいご講話』は無事に終了を迎えた。ふー。


「消灯は22時厳守です。明日は6時にロビー集合ですので遅刻なきようお願いします」


「ハイっ!」


 そんなわけで合宿初日は幕を閉じた。



 さらりとした夏掛布団の中で、夢を見た。

 どうしてか、それはお菊ちゃんの夢だった。


 なんでかな?

 龍崎先輩のことが、気になるから、かな?



「おはようございます!」

「おはようございます」


 さつき先輩はどこを取っても完璧な人だな、と本気で思う。


 この人は抜けてるところなんてきっとないんだろう。ゴキブリが出ても叫んだりしないんだろうと思う。まじで。


 二日目の今日は朝から老舗茶舗ちゃほにて『茶の湯体験』が予定されていた。


 狭いにじりぐちをくぐる四畳半の本格的な茶室で、実際に茶の湯を体験するというもの。


 ちなみに『茶舗ちゃほ』とはその名の通り、茶道に関するものを扱うお店、という感じ。いやあ、こんな世界があったなんて茶道部に入るまで(入ってからも)ぜんぜん知らなかったや。


 向かうバスの中、マヨは「出される和菓子なにかなぁ?」とわくわく。ポウちゃんと『予想大会』を楽しんでいた。あれ、だんだん『好きな和菓子を言う大会』になって、今は「それってどんなの?」とマヨがポウちゃんに教わってる。あはは。


「岐阜の『栗きんとん』。お正月のおせち料理とは全然ちがってめちゃんこ美味しいんだよ」

桔梗ききょうの和菓子は今くらいが出始めで。紫色が綺麗なんだよね」

「桜餅って関東と関西でぜんぜんちがうの、知ってる?」


 っていうか和菓子に関する知識、すごくないか? ポウちゃん……謎な子だ。


「いいなぁ」

「へええー! すごい」

「食べてみたあいっ!」


 すっかり興奮したマヨがそんな受け答えをしてたところだった。


「車内ではお静かに!」

「うわわっ! す、すみません……」


 あちゃー。やよいちゃんに叱られてしまった。マズイ。さつき先輩にも睨まれてるかな? とバス座席の前方に目をやると。


 あれ……?


 さつき先輩はまったくこちらの様子に気づいていなくて、食い入るように窓を見つめていた。


 ……なんだろう。


 わたしも倣ってその方向を見た。すると「えっ」と思わず声が出てしまって慌てて口を手で塞ぐ。


 通りを歩く、艶やかな着物姿の女性。夏の暑さを感じさせない白い肌、凛とした佇まい。美しく結わえ上げられた黒髪。


 ──チリン。

 なぜか風鈴のような幻聴がした。


 お菊ちゃん……?


 まさか。そんなはずないよね?


 バスは『その人』をあっさり追い抜いてゆるゆると進む。


 ドクン、ドクン、と心臓が鳴る。見間違いかもしれない。似てただけかも。そう、きっとそうだよ。だってここは京都だもん。和服姿の人なんてたくさんいる。そう。そうだ。


 似てただけだ。




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