第十三話 そんな人生どうなの!?
その日の帰り、部室に忘れ物をしてしまった。わたしの大事な体育着。金曜日だからね、これを持ち帰って洗濯しないと、翌週は悪臭だよ。
ああ。だから完全にこれは『たまたま』で、断じて『運命』やら『必然』なんかじゃない。……ないんだってば。
「どういうおつもり?」
「……なんのこと?」
「とぼけないで、千菊くん!」
開け放たれた部室から、さつき先輩と龍崎先輩のそんな会話が聴こえてしまった。うああ、体育着は諦めてさっさと帰る? もちろん考えなかったわけじゃない。でも。
「あなたがわざと西尾さんを優先的に指導して、マサミ先生に気に入られるように仕向けているのは見え見えなの!」
こんなことを聞いてしまっては続きを聞かずにいられましょうか。ああ、わたしの阿呆。
「はて。そんなつもりはないけど」
「個人的に呼び出して指導した日もあったと聞きました」
「誇張された噂話を鵜呑みにしてはいけないよ、さつきさん」
ひいい。な、なんかもうゾクゾク寒い。地球温暖化は
「スズちゃんと二人きりで『自主練』をしたのは一度きりだ。それも仮入部期間中のこと。本人にも確認してみるといいよ。その『一度』だけでほかの子と差が付くとは僕には思えないけど」
「だけど普段の部活動でだって、あなたは彼女だけを特別扱いしているでしょう?」
「当然でしょう。好きな子と接するのは誰でも嬉しいものだ」
う、とさつき先輩が言葉に詰まるのを感じた。……え。っていうか龍崎先輩、あの、なに言ってます!?
「母だってそうだ。教室で気に入っている生徒さんとそうでない生徒さんは見てすぐわかる。もちろんうわべでは贔屓はダメだと言う。けど人間なんだから。『相性』というものは少なからず誰にでもあるでしょう?」
あ、ああ、なるほど? 『相性』ね。ラブでなくてライク。そうか、そうですよね?
そっと部室を覗くと、バチバチと睨み合う二人が見えて慌てて引っ込んだ。
「じゃあ
「は、とんだ濡れ衣だね。茶の湯の心を教え込まれている僕がそんな醜い真似をすると思う? さつきさんの単なるミスでしょう」
「とぼけるのはいい加減にして! わかっています。あなたはそれで、先生の
ひぃええええっ! さ、さつき先輩!?
「呆れた人だ。『
ワケイ……なに? よく聞き取れなかったけど、龍崎先輩のその声はいつも通りのとても落ち着いたものだった。
「あなたが私の心を乱しているのっ!」
「ふむ。……第一、さつきさんはそんなに僕と結ばれたいの?」
「それはっ……」
どきん。無意識にわたしまで唾を飲んでしまった。
龍崎先輩は「ふふ」と妖艶に笑う。なに……? ひや、と寒気がした。
「悪いが僕は母が望む相手と結婚するだけだよ。それがさつきさんだろうと、スズちゃんだろうと、まったく知らない
え、どういうこと? 龍崎先輩は……本当にお母さんの言いなりなの?
寒気が一層増した気がした。
「母に選ばれたいのなら自分でがんばって母にアピールすればいい。僕に矛先を向けるのはお門違いだよ」
ではお先に。という声がしてわたしは慌てて隣のトイレに駆け込んだ。心臓がバクバクうるさい。な、なんだろう、この、いつもとちがう龍崎先輩は……。
あとなんでわたし、……泣きそうなんだ?
わからない。わからなすぎて、もうオーバーヒートだわ。
「ひい。『お抹茶王子』まじですごいね、なにその話。寒気するわ、もうすぐ六月なのに」
くふあ、とあくびをするマヨは茶道部の二年の先輩に誘われて今月からバレー部にも所属したそうで。机に項垂れつつ「朝練キツイ」と愚痴をこぼしている。
いいな、とちょっと思うけどわたしは運動部はパス。ぜったいチームの足でまといになる自信があるもん。
「もはや庶民の感覚じゃないねぇ」
「そんな人生ってどうなのかな」
マヨは「うーん」と宙を眺めてから「でもさ」とぽつりと言う。
「昔の貴族ってみんなそんなんだったんでしょ? 家がそういう古風な感じならさ、それが普通っていうか、なんとも思わないんじゃん?」
「そうなのかなぁ」
許嫁、かぁ。
お母さんの言いなりの人生。
それが『役目』。
うーん。……っていうかなんでわたし、こんなに深く考えてるんだろう。龍崎先輩自身も「それでいい」って納得してるわけだし、他人のわたしがとやかく言えることじゃないのに。
そう。そうだよ。うん。
よし。このことは一旦忘れよう!
そうしてあっという間に季節は暑い夏を迎えていた。
夏。
そう! 京都合宿だ!
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