子守 九

「たく、この店は待ちぼうけが過ぎるぜ」

「三月もお代をツケてんだ、銭払わない人間は客じゃないさね」

「かぁ、可愛げのねぇ」


 但馬屋二階、奥座敷。


 一階の帳場で、この屋の女主であるミツに話を通したところ、普段であれば一階の衝立の向こうにでも座らせられる太平が、久しぶりにここに通されたのだが。


 そのミツが顔を出すまで、半刻もかかったのだ。


「で、あんた今度はどんな馬鹿騒ぎに首突っ込んでんだい?」


 このあたりじゃ、小役人はおろか本陣の主にさえ顔が利こうというミツではあるが、太平にはとことん弱い女でもある。ただ、困ったときや身を隠す時にここをよく使うそのせいで、面倒事を引き込んでくる厄介な男だとも思われているようで。


 傍らにちょこなんと座るひなを見て、スパンといいのけた。


「かどわかしの片棒担がせようってんなら、伸して湯がいて今晩の御付の実にしちまうよ」

「おっかねぇな、相変わらず」

「だって、あんたには一層不釣り合いの可愛い子じゃないか」


 ミツはそう言いながらひなを見つめる。


 ひなは、なぜか下を向いて真っ赤になってしまった。


「あら照れておいでかい、お嬢さん」

「あ、あの、ひなって言います」

「あらまぁ良い名前だこと」


「はぁ? 正気か?」


 ミツの言葉に太平が素っ頓狂な声を上げると、ミツは、今度は口だけではなく、げんこを結んで太平の頭をコツンと小突きながら声を上げた。


「ばかだね! 親のつけた名前に良くない名前なんかありゃしないんだよ!」

「なにもつこたねぇだろ」

「人の名前を笑うやつはぶつくらいじゃ温いね」

「けっ、すいませんでしたね、そりゃ」


 そう言い捨てて太平はその場にごろりと横になった。


 そして、瞬く間に寝息のかけらを見せたかと思うや、豪勢に鼾をかいて寝入ってしまったようであった。


「こんなに早く眠れるものですか?」

「さぁてね、なにか重たいものを背中にしょってたんでしょうよ」

「迷惑だったんでしょうか」

「ふふふ、賢い子だね、でも子供の考えることじゃないさ」


 そう言うとミツはひなの方に手をおいて、瞳を覗き込むように訪ねた。


「何があったか、言ってご覧よ」


 そのミツの瞳。


 真っ暗な洞穴のようでもあり、同時に、光さす木漏れ日のようでもあり、相反する2つの思いがひなの心に生まれ、混乱をきたすような。


 不思議な感覚。


「でも、その、あたいの話は」


 不意に、ひなはその目をそらした。


「いいんだよ、だからあのバカは寝ちまったんだ」

「え?」

「女同士だからできる話もあるだろうってことさ」

「え、ああ、うう」


 それでもひなは口ごもる。


 さっきから、そらした目をずっとそのままにして。


「ふふ、頑固だね、じゃぁこう言えばいいかい?」

「え?」

「始末屋、斑の太一ってのはね」


 ミツはそう言うと、ひなの顔を掴んで無理やり自分の方に向けた。


「あたしも入って、二人でひとつなんだよ」


 その言葉に、ひなの体がびくっと震える。


 しかし、今度は、その視線をミツの瞳からそらすことはなかった。

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始末屋太平の事件帖 『子守』 @YasuMasasi

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