第55話 想定外
彩乃は聖女が崩れ落ちて泣いているのを見た。
「それでも、私はあの方をお慕いしていたんです……」
「そっか……。そういうこともあらあな。ほら、ハンカチ」
マリオ、こっちの世界では貴族であるゴールドウィン卿がしゃがみこんで必死になだめていた。
――私は……。私のしたことって良いことだったの? それとも……。
「彩乃ちゃん、助かったぜ! さすがは俺の娘だ。最後のひと突き、かっこよかったぞ。あれ?」
枢機卿が死んで効力が切れたのか、自力で縄を解いて彩乃に駆け寄りガシガシと頭を撫でる父。そんな聖也を彩乃は押しのける。
「よくぞ国の危機を救ってくれた。母も誇りに思うぞ」
滅多に自分を褒めない母の言葉も彩乃の中には入ってこない。
「ねえ、お母さん。これからどうなるの?」
「国をまとめねばならんな。じきカタリナも立ち直るであろうから、教会は彼女に任せる。教皇は放っておけば良い、あれはもう飾りでしかない。こちらは反抗する貴族たちの粛清も必要であろう。血が流れぬのが理想ではあるが、話し合いで解決せぬのなら仕方あるまい。ゴールドウィンが先陣に立つから立ち向かってくる輩もそうはおらぬと思うがな。それよりもセねばならぬことがあるな、彩乃来い!」
そうシャルロッテは言うと、彩乃の代わりに頭をガシガシセイヤに撫でられて嫌そうにしているヴィスを呼び、歩き出す。
「何ですか、シャルロッテさん?」
「来れば分かる」
それだけ言うと集まっていた民衆の前に彼女は立った。
「このような状況での皆との再会は心苦しいものがあるのだが……。戻ってきたぞ! この愛すべきミズガルドに! そして愛する君たちのもとに!」
不安そうな表情で見守っていた市民たちは、シャルロッテの言葉に歓喜し大きな歓声をあげた。中には泣いている者も多くあった。
「教会は皆も知る聖女カタリナが立て直すことだろう。もう、恐怖に怯えることはないのだ」
さっきまで泣き崩れていたはずの聖女は、何事もなかったかのようにしっかりとした足取りでシャルロッテの隣に立つ。その様子は市民たちも見ていたが、自分たちのために立ち上がってくれたのだと理解し、『カタリナ様!』と叫ぶ声が多く上がる。それがおさまるとシャルロッテは続ける。
「だが、これまで通りの豊かな生活を、王であった私は君たちに約束することができないのだ。それは分かって欲しい」
静まり返る民衆。皆、教会の体制に影響があることでの自分たちの生活が厳しくなるかもしれないということは理解していた。しかし、そのことよりも、シャルロッテの『王であった』という言葉に引っ掛かりを覚えた。
「そう、そうだ。この国の混乱を招いた責任はすべて私にあるのだ。そんな中、国を留守にしていたことも事実であり、それについて言い訳はしない。だが信じて欲しい。遠い土地にいてもこのミズガルド、そして君たちのことを思わなかったことはない」
そう言うと、彼女は彩乃とヴィスを自分の前に立たせた。何も聞かされていない二人は戸惑うがそれを拒む理由も見つからなかった。民衆は最後にあの枢機卿を倒したこの少年少女に盛大な拍手を贈る。
――この人たちは私たちの行動を喜んでくれているんだ。
彩乃は恐る恐るカタリナのほうを見るが、彼女は何も問題はないという風に静かに頷いてくれた。シャルロッテが二人の肩を抱き再び話し始める。
「紹介しよう。これが我が娘、アヤノだ。既に『王家の守り手』、銀剣アン・シエル・クレールに認められている」
「あっ!」
彩乃の意思とは関係なく勝手に銀剣がその手に現れた。シャルロッテの『掲げてみよ』という声に従って彼女が剣を上げると、爆発したような歓声に広場は包まれた。『姫さま!』『アヤノさま!』と叫ぶ声がいつまでも続く。
「えっと、これって……」
母を見上げるが微笑んで頷くだけだった。
「国民よ! 彼女が新たな王である。あの恐ろしい存在を打ち払ったあの力、君たちもしっかりと見ていたであろう。この先どのような災厄がこの国に降りかかろうとも信じるのだ。この新王が闇を斬り裂き、ミズガルドの隅々まで光で照らすことだろう!」
「ええっ!?」
――ちょ、ちょっとお母さん、そんなの無理だって……。どうすんのよ、これ。たしかにお母さんも、そういえば前にカタリナさんも次代の王がとか言ってたけど、急すぎない?
「そして、皆にさらなる慶事を伝えねばなるまい。アヤノと共にあの枢機卿を倒したこの少年であるが、私がこれまで共にしてきたオー・クレール・ドゥラリュンヌが初めて主と認めた男である。男子を銀剣が認めたという例はこの国の古き時代まで遡らねば存在しない稀有なものである。この少年ヴィスを新王アヤノの婚約者とする!」
「はあ!?」
彩乃とヴィスは、シャルロッテのほうを見て声を上げるが、大歓声に打ち消されて誰にも聞こえることはなかった。彩乃が振り返ると大口を開けたまま固まっている父、聖也の姿があった。そこで父も知らされていなかったことを彩乃は知る。これは母の独断専行だった。
ヴィスのほうを見ると父と同じくらい放心しているのが彩乃には見えた。
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