第52話 あの日の魔王エリゴリアル

 ミズガルド王国歴2974年のある日の夜。


 『還らずの森』と呼ばれる、人の立ち入ることの滅多にないその場所をひとり進む男。彼は『星詠み』の老婆の願いを聞き入れ、この周辺の魔獣を一掃し終えたところだった。


――我に頼まぬとも自分でなんとでもできように。だが、これも信頼のおける部下を育ててこなかった我によるところが大きいのか……。ん? これはエレンミアから我へのいましめなのか、いや考え過ぎであろう。にしても何がSクラスの魔物か、人族の基準はぬるすぎるのである。それとなく冒険者ギルドに抗議文でも送っておくか。いや、そうすると最近城勤めを始めたナエトゥスやアビゴハサ、あの小娘どもの小言が煩わしい。女魔族というのはできることならばあの麗しき彼女のような……。ああ、我は何を考えておるのだ。やはり独りが気が楽であるか……。


「なにをぶつぶつ言っているのかしら、エリゴリアル。魔王さまの独り言なんて誰も聞きたくないし、みんなを不安にさせちゃうものよ。そして何より気持ち悪いわね」


 いつの間にか目的の場所にたどり着いていた彼の前には、小柄なエルフの老女が立っていた。


「ぬぅ。き、貴様……。この我の探知を容易く掻い潜り、あまつさえ我を愚弄するとは、こ、この化け物め」


「何をいってるのかしら。さっきから声を掛けてたんですよ」


「そ、そうであったか……。で、本日のこの極秘の会合、誰が来るのだ?」


「あらまあ。そんな大事なことも……。あなたのお仕事が大変なのはわかるけどもねぇ。秘書さんとか雇ったほうがいいんじゃないのかしら。そうねナエトゥスちゃんが適任かしら、真面目だし。あとはアビちゃんね。魔物退治だとか、こういった荒事は得意そうですし。でもまだまだ幼いわね。エリゴリアル、どう? あなた好みに育ててみては?」


――たしかに、血筋も見た目も悪くはない。あと二十年もすれば……、いや我とわかりあえるにはあと数百年は欲しいところ。ん? な、何をいっておるのだこのエルフ。危うく誑かされるところであったぞ……。


「はあ!? な、何を言っておる。我は幼女に興味はないのである!」


 彼女としては親切心からの助言だったのだが、からかわれたと思い声をあげる魔王。


「ほんとうに堅物だこと。まあいいでしょう。もう、ドワーフの王さまは中でお茶して待っているわよ」


「ほう、ゴールドウィンか。穴ぐらから這い出てくるとは珍しいこともあるものよ」


 ドワーフ王ゴールドウィン。それはドワーフのみならず地下世界の種族をまとめる、魔王エリゴリアルも一目置く男である。小柄な者の多いドワーフ種ではあるが、その体格は魔王よりも大きく屈強、長く伸ばした髭以外は魔族とも人族とも区別はつかない。


「もう、それ本人の前でいっちゃダメですよ。あなたたちが喧嘩したら誰も止められないんだから」


「わ、我を子ども扱いするでないわ。要人の対応くらい心得ておるわ。それに我やあの髭面が暴れても、エレンミア、お前が何とかしてしまう気がするのであるのだが……」


「もう、お婆ちゃんなんですよ。無理をさせてはだめでしょ?」


「う、うむ。否定はせんのであるな……」


 ニコニコ笑顔のまま老エルフは、木造りの小屋の中へと入っていく。魔王エリゴリアルも黙ってついて行った。



「おおっ、これは最近学びに目覚めたとかいう魔王じゃねえか。良く来たな、まあ座れや。ガハハハっ!」


「ちょっと、ゴールドウィンさん。ここは私のお家なんですからね」


 まるで我が家のように寛ぐドワーフの王に釘を刺す老エルフ。


「ああ、そうだったな。すまねえ、あまりに居心地が良くってな。まあ、酒がねえのは残念だが、この紅茶は悪くねえぞ」


「あら、ありがとね。そう言ってもらえると嬉しいわ」


――この髭モグラ、トンネル暮らしのくせに底抜けに明るい。こういう輩は我は苦手である……。


 エリゴリアルはエレンミアの出すお茶を黙ってすする。


「なあ、魔王。おめえ、女を振り向かせるために『星詠み』さまに勉強教えてもらってんだってな。そりゃ、いい心がけだぜ。ぷっ」


「き、貴様ぁっ!」


「ごめんなさいね。ちょっと私もおしゃべりが過ぎちゃって」


 そう謝るエレンミアの声で、立ち上がろうとするのを思いとどまる魔王。


――そうであった。先代の父王が仰っておられたな。このドワーフの王はどれだけ長く生きているのか、この星詠みのエルフと同様分からぬのだ。この世界における不可解な存在のうちの二名がこの部屋にいることを忘れてはならぬ。それに外世界の言葉に『好奇心は猫をも殺す』とある。意味ははっきりとは分からぬが、余計な詮索は死をも招くということだろうか……。この二人にはあまり深く関わらぬのが吉であろう。


「それで、あとは誰が来るのだ?」


「なんだよ、知らねえで来てんのかこの色男は……。聖女になったばかりの嬢ちゃんと大賢者さまだぜ。驚いたか?」


「はっ!? 人族がだと? ありえんではないか、あの女神の使徒であろうが」


 この神を称する女神という存在は、その昔この世界に人族を引き連れて突如現れた。謎の力を使う女神はその力を人間に分け与え徐々にその勢力を増してきたのである。現在はもともとの住人である魔族やエルフ、ドワーフといった者たちは排斥され土地を追われる事態ににまでなっているという。いまはまだ絶大な力を持つ魔王の国も危機感を募らせていたのである。


「使徒なんて呼び方は止めておくのよ。彼女たちはこちら側なのだから」


「どういうことだ?」


「そうね、エリゴリアル。あなたのお爺様が最初に人族に救いの手を差し伸べたという話は知っているかしら」


「手を差し伸べただと? 先々代が気まぐれに人族の女と子をなしたという話は知っているが……。あれは魔族最大の汚点であると父王様が……。そうではないのか?」


「ちょっと歪められているかもしれないわねぇ。それじゃあ、その二人が到着したらあなたにも詳しく講義してあげないとね。それにこの先訪れる大変な未来のことも……。あら、この気配はもう着いたようね」


――気配だと? 何も感じなかったぞ。


 エリゴリアルが振り向くとエレンミアに部屋の中へと招き入れたれた二人の若い女の姿があった。


「これは魔王エリゴリアル様、そしてドワーフ王ゴールドウィン様。星詠みのエレンミア様のお許しを得てこちらに参りました、シェヘラザードでございます。そしてこちらは今回女神のもとへ送り込む聖女カタリナでございます」


 深々とお辞儀をする美しい人族の女性がふたり。この日、魔王エリゴリアルのその後の運命が確定した日であった。

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