第46話 星詠みの導き③

「おい、彩乃。お前、自分が何を言っているのか分かっておるのか? 見ている分には滑稽であり、常軌を逸しているように……」


「お母さんは、黙ってて!」


「ほう……」


 シャルロッテは自分に迫る敵はガウェインたちの脅威ではないと考えていないのか、彩乃たちのほうに意識を向けていた。娘の拒絶反応にやや驚きの表情を浮かべるが、すぐに穏やかな笑顔になる。


 彩乃は出現したスケルトンの群れを前に叫ぶ。


「みんな、私よ! みんな苦しいんだよね。自分の思ったように動けなくて……、辛いし、悲しいし……」


「彩乃さま、もしやチカラで視ていらっしゃるのですか」


 由美の呟きとタイミングを同じくして、白い骨の魔物たちは、彩乃の声に反応したのかピタリと動きを止める。 


「ど、どうした。なぜ動かん! 召喚主は僕だぞ! お前たちの魂は僕の命令に背けないはず」


 シーマは死霊術における絶対の服従というその制約が弱まっていくのを感じた。


「おお、これは素晴らしい! なんということ! このようなことがありえるのですか」


 枢機卿が思わず声を上げる。


「ど、どういうことですか枢機卿?」


「いえ、シーマ殿。残念ながらあなたの持つスケルトンへの支配権がいまこの一瞬で奪われてしまったようですよ。あの魔物たちの主はあのお姫様のようです」


「そ、そんな馬鹿な……」


 シーマは自分と魔物たちを繋ぐ細い魔力線がすでに断ち切られており、強固で太い無数の光の筋が彩乃から伸びているのを見ることができた。


「これは凄い。ですが、あまりにも強い聖属性の力。あの魔物たちは持ちませんね。輪廻の輪に還っていくようですよ」


 枢機卿の言うように、スケルトンたちの骨の身体は分解され光の粒子となり天へと昇っていく。


「みんな、バイバイ。元気でね、そしてまたどこかで」


 彩乃は泣いていた。魔物たちが人間であった頃の記憶が全て彼女の中に流れ込んでいた。それは彼らの生まれてからこの場所に至るまでの記憶、もちろん船での彩乃とのひとときも含まれた。幸せなときもあれば不幸なときも、良いことをしたこともあれば、酷く悪いことをしたこともあった。そのすべてを彩乃は受け入れた。


 ゆっくりと前に歩き出す彩乃。


「アン・シエル・クレール!」


 彩乃の呼びかけに応え現れる銀剣。


「おお、銀剣の力も増しているではありませんか。なんという成長速度。それに先程の魔物を従えたのはおそらく『覇王の権能』。まさしく始原の王の再来といっても過言ではないでしょう」


 枢機卿の言う始原の王とは人族にとってはミズガルド最初の王であり、魔族においても大陸統一を果たした賢王とされる同一人物であると一部の研究者において提唱される。しかし、どちらの種族においてもそれを認めることはなかった謎の存在である。そんな枢機卿の称賛の言葉など彩乃には届いてはいなかった。


「私はあなたたちを許さない。ししょうももう私の師匠なんかじゃない!」


 銀剣を前方に突き出し彩乃はそう宣言する。


「彩乃ちゃん、枢機卿、あれはヤバい。ここはお父さんにまかせるんだ」


 勇者セイヤが聖剣を呼び出し彩乃のさらに前に出る。


「彩乃、立派になったものだ。シーマのことは分かっていて私も泳がせていたのだ。母を許せとは言わんが、この始末は私がつけねばならん。下がっているがよい」


 いつの間に移動していたのか、シャルロッテもセイヤの隣に立つ。


「ちょ、ちょっと二人とも。また私を子ども扱いして!」


 

 憤慨する彩乃を穏やかな表情で見つめるシャルロッテ。


「いや、彩乃。もうお前を子ども扱いなどしておらぬ。貴様には重要な仕事が待っているのだからな。ああ、そろそろ頃合いか……。迎えがきたようだ」


「ゆ、雪恵? いや、シャルロット、さん。俺聞いてないんだけどさ……。はあっ!? なんぞあれ!」


 言葉通り何も聞かされていなかったセイヤは空を見上げ絶句する。


「見ての通りドラゴンだな。私もその姿を見るのは初めてではあるが、あれは良いものだな」


「は、はあ……」


 彩乃もセイヤ同様、状況が分からず呆然としている。自分の上空に浮かぶ巨大な漆黒の生物は、人の本能が忌避し拒絶するモノ。


「おおっ、これは古竜。もうこの大陸には存在しないものと思っていたのですが……。ああ、長生きはしてみるものですねぇ。ですが、誇り高き天空の覇者がなにゆえ矮小な人間などに味方するのか? これは興味深い……。ですが、そんな化石のような存在に、私がせっかく見つけた宝物であるお姫様を攫わせるわけにもいきませんのでね。ここで地に堕ちていただきましょうか。いでよ【ウロボロス】!」


 歓喜の表情の枢機卿が両手を天に向けてかざすと、大きな暗い闇の塊が出現した。その中から現れたのは自らの尾を咥え円環状に回転する大蛇。巨大なその二体は空中で激突する。よろめく漆黒の竜は地へと逃れ、着地と同時に咆哮しその口から強力なブレスを吐き出す。その直撃を受けた大蛇は堪らず尾を口から離し鎌首をもたげ臨戦態勢に入った。


「君がアヤノだね!」


 竜の背から彩乃に声を掛けたのは中性的な顔立ちの黒髪の少年だった。そのまま頷く彼女の側に彼は降り立った。


「は、はい……」


「ボクはヴィス。シャルロッテさんから頼まれたんだ。ボクと一緒にここから逃げよう!」


 状況の分からない彩乃は、母のほうを見る。


「ああ、彼は信用できる。我がドゥラリュンヌを託せるほどにな。行くが良い彩乃、そしてお前の使命を果たせ!」


「し、使命?」


「さあ、行こうアヤノ!」


 同世代の男子に手を握られ引っ張られて少し緊張したが、彩乃はなされるがままに頭を下げた竜の首伝いにその背中へとよじ登った。竜の体は硬い鱗で覆われていたがそれは宝石のように美しいものに彼女には思えた。


「飛ばされないようボクにしっかり掴まってて! ボクは魔法で身体を固定できるけど君はできないでしょ?」


「う、うん」


 言われるままに彩乃はヴィスの腰に手を回してしがみつく。それと同時に竜が羽ばたき身体が浮かぶ感覚。少年の意外に広い背中はお陽さまみたいな匂いがした。


「逃がしてはなりませんよウロボロス!」


「けっ、おめえの相手は俺だぜ!」


 父、聖也が持つ剣から眩しい光が放たれるのが彩乃には一瞬見えたが、竜は急上昇しその光も父の姿ももう地上のちいさな点になっている。両親への心配はもちろん彩乃にはあったのだが、竜に乗り空を飛んでいるという非現実的な状況がそれも曖昧なものに感じさせていた。


「そ、空を飛んでる……」


「うん、飛んでいるね」 


「どこに行くの?」


「まずは君に見てもらいたいものがあるんだ」


 彩乃は不思議だった。同世代の男子というものは自分にとって苦手な存在のはず。だが、理由は分からないが昔から知っているような安堵感があった。竜に乗った二人を追うものは無く、その姿は深い森の中へと消えていった。

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