第44話 あの日の魔王城③

 シーマはそのとき言いようもない無力感に襲われていた。


――なんてことだ、この魔族、僕に手加減している……。


 すべての魔法を同じ系統のそれで相殺され、もう万策尽きていた。


「き、貴様! どういうことだ。なぜ僕をすぐに殺さない!」


 黒のローブのフードを目深に被った魔族は何も答えない。ただ淡々と言われたことに従って作業をこなしているようにしか見えなかった。元の場所から大きく離れてしまって、他の仲間の様子は一切分からなかった。


 そのときシーマは辺りの空気が一瞬で変化するのを感じた。


――か、身体が動かない。この重圧、この魔族のものじゃない!


 同じく異変に気づいた魔族は警戒するが、彼は突然その場に倒れてしまった。


「これはお邪魔でしたかね。大賢者様の有能なお弟子さんであるシーマ殿なら手助けは入りませんでしたでしょうか?」


「あ、あなたは!? どうしてこのようなところに……」


 シーマの眼の前に立っていたのは、女神様の実質の右腕として教会を動かしている男、枢機卿レンブラントであった。彼のことはシーマもよく知っていた。


「女神様のご様子を伺いにと思いまして。そしたらビックリ……、ああこれは言えませんけど。いいえね、スカウトですよ。これは外世界の言葉でしたか、ああ、勧誘です、勧誘。将来ある若者にお力添えをと思いまして」


「勧誘?」


 不思議なことに先程までの重圧は感じなくなっていた。だが、自分が苦戦した魔族は間違いなくこの男が一瞬で無力化した。ただの政治屋だと認識していた男が謎の力を持っている。それが信仰する女神様の側に仕える者であったとしてもシーマが警戒するのは当然のことであった。


「はい。才能溢れるシーマ殿が冷遇されているのではないかと思いまして。大賢者の評価は下々の者たちも知るところでございます。あらゆる魔法を使いこなす天才シーマ殿ではなく、最優の筆頭魔導士の称号を与えたのはなんとあの女、初級のファイアーボールしか使えないシャルロッテ」


「枢機卿殿、それは不敬ではありませんか? 彼女は次期王ですよ」


 そうは言ってみたもののシーマも、初級魔法のひとつしか使えない王女が大賢者シェヘラザードに贔屓されているのではないかという気持ちはあった。それが誰よりも熱心に努力していることを知っている姉弟子であるとしても。


「ああ、これは本音がつい。大賢者と持ち上げられて王家におもねるような者の評価など気になされるなということです」


「い、いや、僕は別に……」


「そうですか? シーマ殿、力は欲しくありませんか? こんな魔族など簡単にねじ伏せられるような力が」


「そ、それはどういう……」


 シーマにはこの枢機卿が自分を使って良からぬことを企んでいるだろうことは想像できていた。だが、この男の不思議な雰囲気にシーマは既に魅了されていた。


「女神様が、勇者に特別な加護を与えておられることはご存知ですね」


「ええ」


「基本的に、異世界、いや外世界の連中は魔法はおろか身体能力もこちらの世界の人間に劣るのです。その非力なやつらに力を授ける秘法の一部を私も修得したのでございますよ」


「なんと……、そんなことが」


「あなたにその秘法を使い力を授けたいとは思うのですが……。やはり、私も危険な橋を渡りますれば、その……、対価が……」


「お金でしょうか?」


「いえいえ、これでも清貧を旨とする聖職者ですので、私に今後協力していただくということで。場合によっては王家の意に反することになるやもしれませんが」


「分かりました。受けましょう!」


 もうシーマの中では結論は出ていた。もっと自分は認められてよいはず、その念願が叶おうとしていた。枢機卿の気の変わらない内に彼の言う力を手に入れたいとシーマは渇望していたのだった。


「では」


 枢機卿が右手を差し出す。シーマは迷うこと無くその手を握るのであった。一瞬、自分を黒いものが包みこんだ気がしたが、一種の契約魔法のものなのであろうとかえってホッとしていた。

 

 そのとき離れた場所で大きな音がするのが聞こえた。同時に地面も揺れた。


「ああ、やはり未来は変わらなかったようです。さあ、お行きなさい。勇者のもとへ。詳細はまたご連絡いたしますので」


 そう枢機卿は言うと、意識を失っている魔族の男を軽々と肩に担ぐと、次の瞬間煙のように消えてしまった。


――これは、伝説の転移魔法のようなものなのか? 私にもそのようなことが可能となるのであれば……。


 シーマは自分の顔が緩みきっていることに気づくと、ひとつ深呼吸をしてからその場を離れたのであった。

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