第38話 彩乃の社会見学 ⑤どう思われますか?
彩乃は極力男たちの陰部は意識しないように努めていたが、聖女の『あんな立派なものをぶら下げてても、この先使うことはないのでしょうけどね』という言葉に赤面してしまう。もちろん学校の保健の時間で学んだし、アクシデントで父のそれを見てしまったこともある。だが、少女にとっては間違いなく衝撃的な光景であった。
「せ、聖女さま? 使うことがないって、どういう……」
クマのキグルミのことを尋ねるのが、この場合の模範解答なのだろうとは彩乃も理解しているのだが、気になってしまったことは仕方がない。
「ああ、彼らは人族であることを辞めたのですよ。そして新たにクマ獣人として生きる道を選んだのです。この選択が認められるのは成人男子のみですから、その……。正確には繁殖活動に使うことは無いという意味で、性欲の処理は自分で何とかするか、あとは同性同士で……。も、もちろん合意の上でしょうけど。言うほど私も殿方のなさることには詳しくありませんので……」
さっきまで余裕ぶった感じで男たちを眺めていた聖女様が急に頬を赤く染めて目を逸らす。
「あ、あの……聖女さま。外にでませんか?」
「そ、そうですね。それが賢明な判断だと私も思います」
そして、ふたりは逃げるようにしてテントの外に出た。
強い日の光を遮る木陰にちょうどよいベンチを見つけるとふたりはそこに座る。
「あのキグルミを着れば、そのクマ獣人というのになるのですか?」
あのクマ男のことをクマ獣人と呼んだ祖母のことを思い出す。
「キグルミという言葉は分からないけど、そうですね。あの魔導服を身につけると人族としての人格は失われます。なんでも勇者様のおられた外世界で作られたもので、教会は定期的に仕入れております。その外世界のとある国家は代価はいらぬらしく『セイタイジョウホウ』さえ得られればよいのだとか。何のことかは教会の上層しか知らぬことのようで、私には見当もつきませんが」
彩乃が尋ねてみると、そのとある国家というのは日本にも距離的に近い大国のことであった。
「ここで暮らすよりもクマ獣人として生きていくほうが幸せになれるのですか?」
「どうでしょうか。人の幸せの尺度はそれぞれですから……。少なくともクマ獣人でいる間は、人族だったときのすべての記憶は封印されます。基本的に北部鉱山などでの労働に従事することになりますが、住居や食事、医療などは完備していますから、嫌な記憶やここにいることの自分の現状を忘れたい方には良いのではないでしょうか。このミズガルド王国の状況では、この最下層から這い上がれるようなチャンスはありませんからね。絶望して命を絶たれるよりも国としては労働力が手に入って助かりますし」
「一生懸命頑張っても駄目なんですか?」
「あとは、冒険者として一旗上げるとかでしょうか。ですけど彼らには武器や防具などの装備一式を揃えられる余裕はありません。ギルドは初級冒険者にそういったものを貸し出したりしてはいますけど、報酬から一定の金額が差し引かれます。それは薬草採集のような安価な案件で賄うことは難しい。自然、命の危険を伴う魔物討伐依頼に向かうことになるのですが、低レベルのスライム相手でも人は簡単に死にます。以前、勇者様が仰ってましたけど、この世界の『セッテイ』はおかしいのだとか。なりたての頃、勇者様はスライムとゴブリン相手に一回ずつ死んじゃいましたから。まあ、舐めてたということもあるのですけど」
「ん? 一回ずつ死んじゃったって……意味が」
「ああ、忘れてください。これは重大な機密事項でした」
「じゃあ、冒険者ってどうやって……」
「集団戦が基本ですね。スライムやゴブリンを取り囲んでタコ殴りです。人数が多いと取り分が少なくなりますよね。大抵はその集団を取りまとめる上級冒険者がいてその人が潤うようになってます。冒険者に限らず、社会の仕組みはどこも同じですよ。で、大怪我なんてしたら大変です。治療費は高額ですから。教会? 不思議なことに、無料での治癒行為は厳しく禁じられています。最低銀貨三枚からです。まあ、払えませんよね。結局、夢破れてこのスラムに流れてくることになります。ああ、これはあの高い塀の人も同じです。いろいろ理由はあるのでしょうけど、なんらかの失敗がきっかけで税金が払えなくなれば、追い出されてそのままこちらの住人です。家柄が良いとか財産しっかりあるとか、あとは特別な才能や能力がないと、簡単に転落ですよ」
「おおぅ……」
――なんか、思ってたファンタジー世界と違う。たまに読むハードモードのきっついやつじゃん……。
「さて、そんなクソッタレな国の状況をどう思われますか? 次代の王さま?」
「はっ!?」
彩乃は咄嗟に聖女から距離をとった。
――はじめからバレてた? 聖女様も、やはり、あの枢機卿と同じだった?
「そんなに驚かれなくても。だって、シャルロッテ様の若い頃に瓜二つですからわかりますよ。ああ、私はあの気持の悪い枢機卿とは違いますから、安心してください、敵ではありませんから。と言っても味方でもないので、説得力はないのですけど」
まわりにも怪しい気配はない。彩乃はチカラを使い聖女を『視る』が怪しい色はいっさい無い。まるで仲の良かった友達をみていたときの色をしていた。
――信じられそうだけど……。でも、警戒するにこしたことはないよね。
「お母さんたちと一緒にいたんだったら、どうして味方してくれないの?」
「それもそうですね。お姫様にはわからないですよね。ひとつは教会のお陰でとりあえずこの国の人間は生きることはできているということ。そしてもうひとつは、女神様がこの世界からいなくなってしまって……。聖女なんてやってますけど、そもそも私、他人に興味なんてないのですよ。誰が死のうが生きようがどうでもいいんです。女神様の残されたご加護のお陰で私見た目は若い女の子ですけど、実はもう何十年も人の救済って仕事をしている中身はお婆ちゃんなんですよ。で、人間の醜いところをいっぱい見る機会も多くてですね、正直疲れちゃったんです。どうせ、この世界ももうじき終わりますし……。ああ、これも超極秘事項でした。忘れてください」
「えっ、いまなんて……」
「ああ、もう時間みたいですね。片付けも終わったみたいです。このあと、教会騎士が巡回にまわってきますから早く戻られたほうがよいですよ。連中、頭がイッちゃってますから」
そう言うと聖女カタリナは、彩乃が昔見た絵画の聖母マリアのような笑顔を見せて、そのまま行ってしまった。
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