第34話 彩乃の社会見学 ③無名戦士の墓
彩乃の眼の前には無数の墓標が並んでいる。王都を囲む巨大な壁の外側にその広大な共同墓地はあった。彼女たちの他に人の姿は見えない。
「えっとここって、お墓だよね……」
「はい、そうです」
「でも、墓石? 何も書いてない、刻まれてないんだ」
「ええ、もともとは魔族との戦争での身元がわからない兵士の遺骨を埋葬する場所『無名戦士の墓』だったのです。それが、例の先王殺害のクーデターによる国の混乱で、彼らの墓のほうが遥かに多くなってしまいました。その犠牲者の数は戦争時の何倍もあったと言われます」
「……」
「十数年前のことですから、本来なら過去のこととして皆それを乗り越えていて欲しいのですが、実のところいまだ政情が不安定なこともあってそうはなっていません。王都の平和な姿は虚構です。あれは教会勢力に市民が強制されたものといえます。この国へ入ってくる物資は大陸の教会ネットワークによるもので、それは満たされた平穏な王都の姿を演出するため。教会の考えに異を唱える者は異端扱いされ王都の外へ放逐されます。市民はお互いを監視しあい、不審だと思われた者は密告されるのです。それが彩乃様の『視た』彼らの見た目とは異なる心情なのでしょう。さらに対外的には、かつて魔王に対して協力関係にあった隣国とは国境を挟み睨み合うようになっています。三日前のことですが南部の隣国と戦闘状態に突入したようです。現在はシーマ様が王の代行として議会に参加しておられますが、教皇派の勢力が増しており上手くはいっていないご様子」
「教会が戦争を促しているの?」
「簡単に言えばそうですね。私には『聖戦』と称して自分たちとは違う信仰の弾圧をしているようにしか思えません。この国に傀儡の教皇が存在するのが問題なのですけど。」
「……」
「シャルロッテ様のお考えは私には分かりませんが、私たちは彩乃様に……」
何かに気づいた由美は口を閉じ、剣を抜きあたりを警戒する。
「団長!」
「おそらく教皇派の刺客っす!」
マリリンとビビアンが彩乃の左右に立つ。太ももに隠していたクナイを抜いたのは由美直伝の近接戦スタイルである。
「ほほぅ、我らが気配を悟られるとは。さすがは王の飼い犬、鼻がよく効くようだ」
黒ローブの男達が墓地の中から現れる。その数は二十人はいるように彩乃には見えたし、他にも潜んでいるのかもしれないとも思えた。
「貴様ら何者だ! 我らがロイヤル・ガードと知っての愚行か?」
「キャンキャン鳴くなよ嬢ちゃん。俺たちゃ見ての通りの殺し屋だ。もちろん雇い主のことなんて明かすようなヘマはしねえがな。頑張って坊やに変装したそこのお姫さんを渡してくれりゃあ、アレだ。ご褒美で楽に殺してやる。それが嫌ならヒヒッ、なぶり殺しだ。ああ、どっちにしろ死んじまうがなぁ!」
そうひとりの男が言うと、黒ずくめたちは散開する。その動きの速さから自ら殺し屋であると言うだけのことはあると由美たちは警戒を高める。
「わ、私も戦うよ……」
震える声で言う彩乃を見て微笑む由美。
「いいえ、姫さまは自分を守ることに専念してください。私たちが賊を排除いたします。ですが、しっかり目を開いておいてください。どんな状況がそこにあろうともそれが現実です。決して目を逸らしてはなりません。生きるというのは現実をみつめるということです」
そう言われて頷く彩乃は銀剣を手元に呼び出す。彩乃の剣の技量を信じている騎士たちは迷うこと無く敵の中へ躍り出る。
「さあ、屑ども。我らはいま、王より『不殺の誓い』から解き放たれておる。久しぶりに思う存分暴れさせてもらえること、お前たちに感謝しようぞ!」
「ああ……」
母から剣を学んだ彩乃の目から見ても男達は一流の使い手たちであった。だが、彼女たちはその遥か上を行っていた。彩乃は騎士というのは王国流剣術の一流の使い手であるとシーマや由美から聞いていたのであるが、眼の前で繰り広げられているのはお行儀のよい剣術などではなく、野獣による殺戮というしかなかった。人間離れした変則的な動きから人体にある急所を的確に破壊し動きを封じていく。眼球を抉り、防具を避け動脈の通る部位を確実に切断する。すると盛大に血が吹き出すのが見えた。金的は当然のこと、脚の腱を斬られ、這いつくばる敵の頭を彼女たちは容赦なく潰していく。
彩乃がはじめて目にする殺人。それも映画だとありそうな光景だが、漂ってくる濃い血の匂いがこれは現実だと執拗に伝えてくる。吐き気と意識が遠のくのを耐えるので彩乃は精一杯であった。涙が自然と流れるのだが、それは悲しいとか恐ろしいとかいう感情からくるものでは無かった。大きく跳ねた感情を抑え込もうとする脳が唯一取ることができた抵抗の涙であった。
「お姉ちゃんたち、笑ってるよ……」
夥しく横たわる凄惨な死体の数々よりも、彼女たちのその自然な表情が彩乃には衝撃だった。これが優しそうに見えた彼女たちの本性なのか、それともその両方が共存するのか。彩乃はチカラを使って彼女たちを『視る』ことを恐れ、結局それはできなかった。
「彩乃様、敵を殲滅いたしました」
気がつくとあれだけの戦いをしながら一滴の返り血も浴びていない彼女たちが並んでいた。
「は、はい」
さっきまで王都観光を一緒に楽しんでいた彼女たちと変わりなく彩乃には見える。獰猛な野獣の痕跡はいっさい見つけられなかった。
「この場所の処理はおそらく『暗部』が行いますので、ご心配なく」
そう由美が言うと、少し離れたところに黒い影が現れ、そしてすぐに消えてしまった。
「あっ!」
「ふふっ、珍しい。連中が一瞬でも姿を見せるとは。彩乃様へのご挨拶といったところでしょうかね」
由美の言う『暗部』というのは、王国創立時から王家に仕える汚れ仕事を専門に行う一族のことを指すらしい。本来は王の指示で動く別働隊のようなものだが、現在はシャルロッテの指示で影からの護衛を行っているらしい。
「では、彩乃様。あともう一ヶ所お付き合いください」
「えっ?」
もう動く気力も無くなっていた彩乃だったが、マリリンに手を引かれ、ビビアンに背を押されて、仕方なく由美の後をついていくのだった。
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