第33話 その少年、ヴィス。④アンスラックス

 ヴィスが外に干していた洗濯物を取り込んでいると、離れたところにこちらへ向かう人の気配に気づいた。一度迷い込んだら二度と出られないとまで噂されるこの森林地帯の最奥に人が来ることは稀である。


――人族の女と男か……。迷い込んだんだろうか? 女の方の武装は立派だけど、男の格好は何だ?


 エレンミアに知らせるためにヴィスは洗濯物を放りだして『天文台』の中へ駆け込む。



「ああ、まだ歩くのでしょうか……。真田さん、ちょっとしたピクニックだっておっしゃってませんでしたか?」


宇喜多うきた殿、貴殿はそれでも日本男児であるか? 数々の逆境を跳ね返してきた貴殿の国の祖先たちに申し訳ないであろう」


 こんな森には不似合いなスーツ姿の宇喜田に真田雪恵さなだ ゆきえ、こちらの世界での名をシャルロッテという白銀の騎士がそう言う。


「そんな無茶ですって。荷物持ちに連れてきた長束ながつかなんて、いつの間にか逃げ出してしまいましたし。糞っ、どこいったんだアイツ!」


「ふむ。水や食料のことは残念であるが……、目的の場所はもうすぐだ。問題は無い」


「水と食糧ね……。長束は?」


「さあ、今頃は魔物のエサにでもなっているだろうか? この世界は弱肉強食。いやあと、運の要素も重要であるな。運が良ければ生き残っているだろう。何日か生きられるだけの物資は背負っているのだからな」


「は、はあ……」


 宇喜多と長束は上からの命で、シャルロッテの一時帰国に付き合わされることになった。主な任務は彼女の監視であったが、それ以外は何も伝えられてはいなかった。適応能力の高い宇喜多は、日本とは異なる動植物やシャルロッテが倒していく謎の怪物たちを見て、即座に自分の常識を捨てていた。一方、上司である宇喜田に言われるまま、その下心に従ってついてきた長束はあっさり任務を放棄して逃げ出したのだった。


「見えてきたぞ、宇喜多殿。あれだ」


「あっ、ああ!? 何だあれ? まったくファンタジー感がないじゃないですか……」


「そうとも言えるな。ん、止まれ。誰か来る」


「は、はい」


 シャルロッテは眼前に現れた少年の姿を見て、ニヤリと笑う。


「我らは怪しい者ではない。偉大なる『星詠ほしよみ』エレンミアにお会いしたい。銀剣のシャルロッテが参ったとお伝え願えないだろうか」


 そう言うと銀剣オー・クレール・ドゥラリュンヌを呼び出し、地面に突き刺した。


「なんて美しい剣……」


 ヴィスは思わず呟く。 


「どうした少年? 私の見るところ、その若さでなかなかの力量を持っているようだ。どうだ私と一戦? こちらの力量もいるのであろう、加減はしてやるぞ。ふふっ、男子というものはこういった挑発に弱いものであろう」


「ああ、男はそうだね。でも……。あなたは魔力量はとても少ないが、不思議なことに弱いとは思えない。ボクは最近、大嫌いなヤツから見えているものが全てではないってこと、そして世界はボクが思っていたよりとんでもなく大きくて広いってことをここで学んだんだ。だから戦わないよ。エレンミアからあなたの名前はさっき聞いた。だからこちらへ。そっちの変な格好のおじさんも問題ない」


「へ、変な……。ああ、そりゃそうか」


 シャルロッテと宇喜多は、ヴィスの後をついていった。



――なんて綺麗なひとなんだろう。アビのことも素敵だと思ったけど、この女の人はまた別の……。


「ありがとうね、ヴィス」


「あっ、はい! このお客さん用のとっておきの紅茶を出してよかったんだよね、エレンミア」


「ええ、そうよ。まあ、いい香り。ヴィスはお茶の淹れ方も上手になったわね」


 シャルロッテに見惚れてしまっていたことを隠すように慌てて紅茶の入ったカップと自家製のクッキーをテーブルに並べるヴィス。


「じゃあ、ボクは奥に……」


「いや、少年。君も同席してくれたまえ」


 シャルロッテにそう言われて、エレンミアの隣に座るヴィス。『私はいいから』と紅茶のカップとクッキーをエレンミアはヴィスの前に移動させる。


「あらあら、シャルちゃんはひと目で分かっちゃうのねぇ」


「面影がありますからね」


「?」


 ふたりに見つめられて不思議そうな顔をするヴィス。


「それでこんなところまで来てくれたのはどうしてかしら? そちらの男性は外世界そとせかいのひとでしょ」


――外世界って何だ? このウキタって男のことだろうけど……。魔力がいっさい感じられないし、そんな人間がいるのか? オートマタってのだろうか、でも動力源に魔石を使うだろうし……。この胡散臭い感じ。魔族にもこんなヤツはいるけど、もっとたちが悪い気もする。シャルロッテさんの配下っぽい感じだから問題ないのだろうけど。


「ええ、星詠み様。私は銀剣に導かれて……。もう、あなたには時間が無いのではありませんか?」


「まあ、ドゥラリュンヌはおしゃべりさんだこと。そんなことはいいとして、アン・シエル・クレールは元気にしているのかしら?」


「はい。やっと、娘に託すことができました」


「そう、それは良かった。クレールにもちゃんとお友だちができたのね。これで思い残すことはないわ」


「星詠み様、何をおっしゃいますか」


 ヴィスにはふたりの会話がまったくみえていなかった。それは宇喜多も同様であったが、彼は話の内容に興味は無いようで、紅茶の品質の高さに驚いているようであった。


――ええっ!? シャルロッテさんってお母さんなんだ……。全然子どもがいるように見えないよ。こんなお母さんがいる娘さんが羨ましいな。


「私のほうはいいのよ。もう気の遠くなるくらい長くこの世界を楽しみましたからね。でも、もうひとつのほうも時間が無いのよ……」


「なんと!? 『アンスラックス』はやはり堕ちるのですか……」


「ええ、観測結果から間違いないわ。軌道計算を行ってはいるのだけど、いろいろとおかしいのよ。だから正確な日時は分からないわね。外世界のほうの『アンスラックス』はまだ確認できないのかしら?」


「はい。日本政府を通じてあちらのNASAやJAXA、星に関係する機関すべてに働きかけておりますが、いまのところは……。ですが、過去に接近したという『アンスラックス』のことを記したであろう文献は見つかってはいます」


「そう……。でも希望はあるわね」


「はい。私もそう思います」


「な、なに? なんですか?」


 再び、エレンミアとシャルロッテに見つめられて困惑するヴィスであった。

 

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