第29話 ものづくりのゆうしゃ

「ううっ、ししょー。私はもう限界なのですぅ。私のちいさくて貧弱なおつむには、こんなにたくさんのナゾ図形の入り込む余地は残されてないの」


 机に突っ伏したあと、顔を上げうるうるとした涙目でシーマに訴えかける彩乃。手元にはこちらの文字で『魔法陣基礎大全』と表紙に書かれた分厚い本がある。


「いいえ、姫様。魔法理論における魔法陣の基本形の単純記憶は、のちのち役にたつのですよ。言ってみればあちらの世界における算数の九九のようなものでしょうか? ゼロの概念を発見したというかの国では、ダース単位の計算に便利だからといって少なくとも12の段まで暗記しているのが普通だとか。小学生でも20の段まで……。思考が重要なことは言うまでもありませんが、その考えるもととなるものは覚えていただくことが効率的かと。優秀な彩乃様であればこんなもの数日で……」


「ししょー、興味とか関心が大事だってあんなに言ってたのに、こっちにきてからこのスパルタな詰め込み教育は何なのよー! いつの昭和時代よ!」


「はあ……。我々には時間が無いのです。ですから……。ああ、そうだ! もし、これを覚えきれたら城下の見学に出かけてもよろしいですよ。どうですか? ずっとお城に引きこもっているのもお辛いでしょう。もちろん姫様の安全が優先事項なのですけど、由美ちゃんや近衛騎士たちが港での一件以来、命がけの猛特訓に励んでおりましてですね。鬼気迫るというか、他の兵士たちがドン引きしているというか……。ちょっと彼らの息抜きも必要ではないかと思いましてですね……、まあ、そんなことに彩乃ちゃんが興味なければ僕も別に……」


「うん! 頑張るよ。ししょう! みんなの息抜きのために私、がんばる!」


「チョロ……」


「ん? 何かいいましたか?」


「いや、何も。さあ、頑張りましょう。彩乃様!」


 彩乃がこの世界の文字をすべて把握したのはたったの2日間、そして続く3日間で現地民と変わらぬ読み書きができるようになったのである。彩乃を幼い頃から知るシーマにとって彼女のやる気がどこで入るのかはしっかり心得ている。自分のためよりも誰かのためなら彼女は燃えるのである。それを誘導する術をシーマは知っていたのである。


「さあ、ししょう! どこからでもかかってくるがいいわ。もうすべて把握したわよ!」


 口もきかず超集中状態に入って、約1時間後、彩乃がそう宣言する。


「おおぅ。でも、ちょっと早すぎやしないかい? そのやる気は認めるけど……」


「いいえ。完璧です! いっつぱーふぇくと!」

 

「じゃあ、初級火炎攻撃魔法の起動における否定論理積の演算を表す次の三つの魔法陣のうち間違っているものを選んで、さらにそれを修正した正しい術式構造を示す陣を描いてください」


「はいはーい。えっと、ここがアレでしょ。で、ここの繋がりが無理なんで……、そっか! こうだよね、ししょう!」


「お、おおぅ……。せ、正解です。なら、空間魔法における座標指定処理における……」


 シーマの出題する意地の悪い問いにも次々と正解していく彩乃。


「どうなってるんだよ、彩乃ちゃんの頭の中はさ」


「ふふーん、やればできる子なのです。ししょう、もっと褒めてー!」


「はいはい。では、約束ですからね。彩乃ちゃんは、待っていてください。僕はこれから由美ちゃんに外出について伝えてきますから。ぜひ、王都を楽しんでください」


「ええっ、ししょうは一緒に行かないの?」


「すいません、このあと重要な会議が控えておりまして……」


 申し訳無さそうな顔をするシーマ。


「なんだ、せっかく、ししょうとデートできると思ったのにぃ」


「ほんとに僕も残念ですよ。それはまたの機会でお願いしますね」


 そう言ってシーマは部屋を出ていく。その背中を見送り彩乃は大きく伸びをする。



「外出かぁ。楽しみだな」


 少ししてドタドタという足音がして、勢いよく扉が開く。


「姫様! このたびの城下視察における護衛の任、全力で勤め上げさせていただきます!」


 由美が鼻息荒く飛び込んできたのに驚く彩乃。


「ええ……。視察って。私はちょっと遊びに出かけるようなつもりなんだけどな」


「はあ、はあ。な、何をおっしゃいますか! 教皇派の刺客がどこに潜んでいるかも分からないのですよ!」


「ま、まあ、そうだけど……」


「彩乃様は認識が甘いのではありませんか? 実は既に城内に怪しい者が潜入したとの報告もあり、その真偽とその者の行方を追っております。ん? 姫さま、その本はもしや……」


「ちょっと! 怪しい者って、ヤバいじゃないのよ!? というか、そんな大変なことよりこの本? ししょうから借りた『魔法陣基礎大全』だけど」


「おおっ!? まだ現物が残されていたとは」


「ん……?」


「これはまさしくオリジナル! 先代の王によりされたものであります」


「げっ。これ持ってたら処刑されちゃうとか!?」


「いえ、姫さまにおかれましてはそのようなことはございません。本来なら城の禁書庫にて厳重に保管されているはずなのですが……。うーん、シーマ様であっても閲覧は許されなかったのでは……。いや、直接執筆者から譲リ受けたと考えるべきか。ああ、表紙のタイトルの下に小さくある執筆者名は読めますか?」


 そう言われて彩乃は手元の本に視線を落とす。


「もちろんよ。こっちの文字はちゃんと読めちゃうんだからね。えっと、タイゾー。……、ん? あれ?」


「はい。あの泰造様が書かれたものでございます」


「お、お爺ちゃんがぁ!? ねえ、ほんとうにお爺ちゃんが書いたの?」


 由美の顔と本を交互に見る彩乃。


「ええ、泰造様は聖也様の前の勇者。『ものづくりの』勇者としてこの世界の魔道具の発展に大きく寄与されました」


「ちょ、ちょっと待って! お爺ちゃんも勇者さまだったの!?」


「はい! 偉大な『ものづくりの』勇者さまでいらっしゃいました」


「おおぅ……。でも、ゆうしゃって何?」 


 またひとり、家族の秘密に触れて混乱する彩乃であった。

 

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