第25話 枢機卿

「彩乃様、教皇派の実質的なトップ、レンブラント枢機卿です。あれが最も危険な存在であるとご認識ください」


「はい……」


 騎士たちの隙間から見える男は、彩乃には優しげな神父にしか見えなかった。チラリと自分のほうを見たような気がして、彼女は慌てて由美の後ろに隠れる。


「部下たちが守りますのでご安心を。ここは私にお任せください」


「えっ! お姉ちゃん」


 彩乃を部下たちに託し枢機卿の前へと進み出る由美。孤島でのシーマとの魔法特訓のお陰もあり、彩乃はある程度自由に『チカラ』を引き出せるようになっていた。由美のその背中に闘争心剥き出しの例のバーサーカーモード『色』が彩乃には見えていた。



「ああ、これは枢機卿。いつもの派手で高価な装飾品を身に着けておられないので、誰だか分かりませんでしたよ」


「私のほうこそ、騎士団長殿。どちらのお嬢さんかと思いました。市井の女性の身につける衣類の方があなたの魅力を引き出していて良いですね。私は神の教えをより多くの方にお伝えするためこちらに来ましたので、これが私の普段の姿ですよ。これでも清貧貞潔を旨としておりますれば」


 その言葉に露骨に嫌な顔をしてみせる由美。


「ん? 先ほどシーマ殿がおられたかと思うのですが……」


――げっ、逃げたのか先輩……。いつの間に。


 由美は辺りを見回すが、彼の姿はどこにも見えない。大事なときに役に立たない人だとため息をつく。


「あ、ああ……。急用でも思い出したのでしょう。そう言えば、ウェスティン様がこちらに来られておりましたが、あなたの手引きではないのですか?」


「おおっ、そう言えば慌てて港へ向かう姿をお見かけいたしましたねぇ。どうなされたのでしょうか、焦っておられるご様子でした。ああ、こちらに来るまで卿とはお会いしておりませんよ。手引きとはどういう意味でしょうかねぇ」


――あくまで無関係を装うつもりか。まあいい。


「レンブラント様。布教活動に熱心なのは良いのですが、供の者も連れぬとはいささか不用心ではありませんか?」


「そうですね……。あなたの仰る通りです。こんな人目につかない場所で、教皇派の幹部がひとりきり……。親王派の武闘派さんからすれば、これは暗殺の絶好の機会。私なら間違いなく行動に移しますがね。ああ、飼い主の命令がなければ動けないのでしたか。『不殺の誓い』? ふふっ、そんな呆けたことを言っているから貴族たちから『腰抜けの愚王』だと言われるのですよ、あなたたちの飼い主は」


 穏やかな笑みを崩さず、そう言ってのける枢機卿。


「な、何だと! 枢機卿と言えどもいまの発言は看過できぬぞ」


「ほう。なら、どうするというのでしょうか。その手にある剣を抜きますか? ふっ、小娘がっ!」


「くっ!?」


――な、なんだ……。身体が動かない!? 魔法? いや、魔力は感じない……。


 枢機卿の謎の圧力に抗しきれず膝をつく由美。後ろを見ると部下の騎士たちも地に這いつくばっていた。唯一立っているのは、状況が分からず呆然としている彩乃だけだった。


「あ、彩乃様……、お逃げください!」


 その声が届いているのかいないのか、彩乃は枢機卿を見て震えていて動けそうにない。


「やはり、そうでしたか。実際に目の当たりにしてみるとこれは、これは。確かにシャルロッテ王のお若い頃と瓜二つ。可憐ですねぇ」


 蹲る由美の横を通り過ぎる枢機卿。


「き、貴様……。姫様には指一本……」


「ふむ、私の呪縛を打ち破ろうと? いやいや素晴らしい忠誠心。ですが、それ以上動くようなら殺しますよ。騎士団長殿?」


 枢機卿は振り返り、手のひらを由美へと向けた。


「お、お姉ちゃん、駄目! そいつは人間なんかじゃない。動いちゃ、駄目ぇ!」


「なんと!?」


 彩乃の叫び声に由美への興味を失い、真っ直ぐ前をみて目を見開くレンブラント枢機卿。


「あなたは私のことが『視えて』いるのですか? これは予想外です。あなたへの興味が益々湧いてきましたよ。どうぞその愛らしいお顔をよく見せてください」


 そう言うと彩乃の方へ再び進み出した。


「こ、来ないで……。化け物!」


「いや、良いですねぇ。化け物とは。その小鳥のような囀りをもっと聴かせてくださいまし、愛しいお姫様」


「い、いやぁ……」


 彩乃を守るため、由美は体内の魔力循環を限界を越えた領域にまで高めきる。自分を縛っていた謎のチカラを打ち払った瞬間。彼女より先に動いたものがあった。


「ぐぬぅ!? ぎ、銀剣か!」


 あと一歩で彩乃の頬に触れようとした枢機卿の右腕が大きく弾かれた。目を閉じた彩乃の前に、彼女をしっかりと守るようにあの美しい剣が浮遊しているのを由美は見た。


「アン・シエル・クレール!」


 由美の叫びに納得し頷く枢機卿。


「なるほど、それがもう一本の『王家の守り手』ですか。もう王の器を認められていたとは、これは誤算でした。いや……、ですが王の『オー・クレール・ドゥラリュンヌ』ほどの威力はないですね。まだひよどりといったところ。これならまだ私の力で……」


 何か言葉を続けようとした枢機卿の動きが止まる。そのとき巨大な影が彼を覆い隠そうとしていた。


「なんてタイミングの悪い……」


「そうだな生臭神父! てめえ、お嬢に何しようとしてたんだい?」


 枢機卿が振り返ると、馬に乗り武装した巨大な髭の男が、彼を見下ろしているのが分かった。


「この町娘さんに神の祝福を授けようと思いましてね。ゴールドウィン卿。でも、馬の蹄の音もさせずに私の背後を取るなんて、大概あなたも人間辞めてますねぇ」


「ふん! 御託はいいから失せやがれ。てめえも再び国が混乱するのは望んじゃいねえんだろ?」


「もちろん、私は愛と平和の伝道者でありますれば」


「けっ、いってやがれ」


「あなたとはゆっくりお話がしたいところなのですけど……。その後ろにいらっしゃる賢者様のお顔が険しく見えますので今日のところは止めておきましょうか。では」


 そう言い残すと、振り返り手をひらひらさせて枢機卿は去っていった。


「お、おじさんがどうしてここに……」


 そう大男を見て呟いた彩乃は、安心したのか意識を失いその場に倒れ込んでしまった。


「彩乃様!」


 由美が駆け寄り抱きかかえると、役目は果たしたとみたのか銀剣は姿を消した。

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