第20話 青い空に海。そして白いスケルトン。

 甲板を心地よい潮風が通り過ぎる。船首のほうに立つ彩乃は広大な海の青さに目を奪われる。白いカモメに似た鳥の群れが大型の帆船と並んで空を行く。


「すごい、すごいよ! 海がこんなに大きいなんて知らなかったよ」


 実際に船で海へ出ることなどなかった彩乃にはそれは初めてであり感動的な体験であった。恋愛映画のワンシーンのような光景。だが、それは船の上を忙しく走り回るスケルトンたちの姿を除けばである。


「ホネ助さん、そんなに慌てたら転んじゃうよ。ああ、いわんこっちゃない……。ホネ五郎さんがまた影に隠れてサボってる。そこはホネ船長に見つかっちゃうって教えたのに。ほら、見つかったし」


 景色を満喫した彩乃は船室へ戻る途中でそんな風にぶつぶつと言っている。


「彩乃様、あのスケルトンたちの識別ができるのですか?」


「うん! 名前は勝手につけてるけど、みんな違いが分かるよ」


「もしかして『色』ですか?」


「そう、微妙に色もそうだけど、模様っていうのかな色の混ざり方が違うんだよ」


「ほう。私にはどれも同じ骨のモンスターにしか見えませんがね」


 この大型帆船は、教皇派がシーマ襲撃に向かわせたものであり海中から引き上げて補修を行ったのである。もちろんすべてシーマの魔法によるものである。以前、乗っていたクマ獣人たちのことを心配していた彩乃だったが、もうそのことについてはすっかり忘れていた。


 船は本土を目指して進む。通常シーマが島を離れるさいには飛龍を呼び出し、その背に乗って海を渡るのであるが、今回は教皇派への屈しない姿勢を見せるためにこの船で港に現れてやろうということである。シーマの態度からは彩乃には分からないのであるが、由美によると今回はかなり怒っているらしい。まだ、教会を片っ端から燃やしてやると言わないだけマシだということだ。


 二人が甲板から船室へと降りていくと、シーマがソファに寝転んで雑誌を読んでいた。そのお腹の上でエアリィは熟睡中である。


「ししょう、何読んでるの?」


「ああ、彩乃ちゃん。あっちの世界の権威ある科学雑誌『サイエンス』だね。で、こっちが『ネイチャー』。まあ、こっちの教会的には禁書中の禁書だね」


 彩乃にはどちらも興味は無かったが、ふと、禁書という言葉に由美と語り合ったBL小説のことが頭をよぎった。


「ししょう、BLって知ってる?」


「ん? ああ……。えっ!? 彩乃ちゃん、ああいうのに興味があるの?」


「い、いえ。由美姉ちゃんが……」


「ちょ、ちょっと! 彩乃様、なんてことを! 私を売るなんてひどい……」


――あの特訓の仕返しよ。お姉ちゃん、悪い子には必ずバチが当たるのです。


「おいおい、ああいうものは彩乃ちゃんの教育上どうかと僕は思うんだけど……。シャルロッテ様に叱られても知らないからね。あの人、彩乃ちゃんのことになると……、分かるよね?」


「ええ、もちろんです! ここは穏便にお願いいたします、先輩! いや、偉大なる賢者シーマさまっ!」


「おっ、やっとシーマさま呼びに戻してくれたか。でも、別に大丈夫でしょ。そもそもミズガルドの法においては同性婚だってOKなんだし。その意味ではあっちの世界の先を行ってるね。まあ、後継者問題というのは王家にとって最重要のことだから、彩乃ちゃんには異性の伴侶を望んでると思うよ。我らの王はね」


「ししょう、そういう内容の本は禁書じゃないんですか?」


「もちろん。王都についたら書店をまわってみるといい。BL、GLなんでもあり。エルフやドワーフとの種族の垣根さえ越えたものもある。ゴブリンなんかの魔物との恋愛を書いた文豪による古典文学作品さえあるからね」


「うげっ、ゴブ……」 


――さすがに多様性は大事だけど、それはいかがなものかと思いますよ。異世界の文豪さま……。


「シーマさま、それって本当ですか!」


 由美が身を乗り出して確認する。この人の性癖はかなり特殊だということが彩乃には分かってしまった。


――さすがはBL師匠です。私は無理しない範囲でお姉ちゃんについていきますよ。

 

「あ、ああ……。由美ちゃんは、あっちの世界に渡るまで読書なんて興味なかったから知らないのも当然だね。あのころは剣を振ってるか、部下に鉄拳制裁してる姿しか思い浮かばないし」


「だ、誰が脳筋ですって? せんぱい」


――お姉ちゃんの『色』が、狂戦士モード寄りになった。これは危険、避難よ。


「ひっ!?」


 彩乃はそそくさとひとり部屋を出ると、割り当てられている自分の部屋へと逃げるのであった。 



 ベッドにダイブする彩乃。シーマが日本の深夜の通販番組の商品を参考に開発した、あらゆる衝撃をやさしく吸収してくれる素材で作られたベッドである。


「ふあーっ、これは一瞬で落ちる、ことが……、でき、る……、ので、す……」


 

 

 彩乃は薄暗い森の中にいた。


 現実で訪れたことのない場所であることは彼女にも認識ができている。しかし、彩乃はこの場所に来たのは初めてではないことも同時に分かっていた。


――ああ、これはたまに見る夢。この森も、この細いケモノ道も私は知っている。そう、『あの子』はあそこにいる。間違いない。また会えるんだ。


 自分の身体が小さくなっていることも、見える目線もとても低くなっていることも彼女には気にならない。そんな些細なことよりもこの道の先にいかなきゃ、という使命感にも似た気持が幼く変化した少女の身体を前へと突き動かしていた。自分の行く手を邪魔する木の枝や身長ほどに伸びた草をかきわけて進む。


――見えた。あの大きなお城。あそこにあの子は住んでるの。きっとひとりぼっちで寂しいはずよ。行かなきゃ、私が行かなきゃ駄目なの。


 蔦で覆われた壁がとても高く大きく見えた。そこにあるはずの扉はなく、入口がぽっかりと空いている。その中は真っ暗なことも彼女は知っているが恐れること無く進んでいく。たくさんの部屋が並んでいたがそれに目をくれることもなくまっすぐ目的の場所を目指す。そして一番奥の部屋に辿り着いた。


「こ、こんにちは」


「うん、またあえたね。こんにちは」


 長い黒髪の自分と同じくらいの目線の子。彩乃は女の子にも見えてしまうこの可愛らしい子が、男の子だと知っている。いっしょにこの夢の世界でいっぱい遊んだし、いっしょに裸で水遊びだってしたのだから。男の子の伸ばした小さくてやわらかい手のひらに自分の手をのせた。


「今日は何して遊ぶ?」


「そうだね。きみは何がしたい?」


「わたしはおままごとがしたいの」


「うん。それはいいね」


「うん!」


 彩乃と男の子はいつものように奥の部屋で玩具を広げて、時間を忘れて遊ぶのだった。とてもとても二人にとって楽しい時間だ。


 でも同時に夢から覚めたら忘れてしまうそんな時間だ。 

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