第17話 抵抗してみせてください、ねぇ。

「これは僕の友人の考古学者が唱えている説なんだけど。ある時代以前の地層から人族の人骨や化石は見つからないんだ。だから彩乃ちゃんのいた世界から。でもね、これ教会が真っ向から否定してる。魔力値の高い生物が死ぬと分解されるのは来たときに由美ちゃんから教えてもらったよね。昔の人類は信仰心が篤くその分、女神様からの加護も大きくて魔力量も多かったんだとか。だから骨なんて残ってないってね。まあ、普通に考えたら無理があるね。ヴァナヘイム東部の言語は彩乃ちゃんの使っている日本語だね。文字は違うんだけども」


 シーマが一冊の本を棚から持ってきて彩乃に見せる。


「なにかの記号みたいで全然分からないです」


「見た目はそうなんだけどね。あっちの平仮名と片仮名が違う文字になっているだけなんだ。あの漢字という文字に相当するものは無くてね。僕も漢字を学んだけど、あれを普通に習得しちゃうって日本国の教育は凄いよね。日本語とあと英語をマスターしたおかげであっちの文化や科学技術も学べたし苦労した甲斐があったよ」


「だから、私にも勉強を教えることができたんですね」


「うん。数学はまったく同じだと思う。もちろんあっちの世界の方がはるかに進んでいるけど。物理や化学なんかも基礎的な内容には近いものがあるけど大気中に魔素が含まれている分、こっちでは適用できないものも結構あるね。こっちの科学が進んでいないのはシェヘラザード様があっちに行っちゃったことと、教会の妨害のせいだね。もう研究者として生き残っているのは僕が最後だし」


「教会って神様とかそういう関係のところですよね。どうしてそんなことを」


「まず、神様に対する考え方が大きく違うかな。彩乃ちゃんはあっちの世界で神様ってみたことある?」


「まさか!? 神様っていうのはいるとかいないとかじゃなくて、信仰の対象としての……。ええっと、良くわかんないけど大切なものなんですよ」


「そうなるよね。でもこっちの世界の僕たちにとっては違うんだよ。実在なんだ。十数年前までは僕たちの前に普通に現れて、普通に奇跡なんかも起こしてたんだよ」


「いるんですか? 神様!」


「正確にはいた。それも女神様がね。僕は何度もお会いして、お話したことだってある」


「えーっ、すごいです。私も女神さまに会ってみたいです」


「でも、残念なことにお隠れになったんだ。詳細は不明だ。どこかへ行ってしまわれたのか、それともその……、消えて無くなってしまったのかもね。君のお父さん、聖也が真実を知っているはずなんだけど、彼は語ろうとしないんだ。娘の君になら教えてくれるかもしれないね。ちょうどこの大陸のどこかにいるはずだよ」


「お父さんがこっちに!?」


――お父さん、行方不明じゃなくて世界を渡ってたんだ。でもなぜ? 私の家族で最後の普通のひとだと思っていたのに……。何かあるの? 女神さまの秘密を知ってるとか。


「うん。詳しくはまだ話せないけどね。ああ、料理が冷めてしまうよ。続きはまたにしよう。まあ、日本とこのあたりの風習に似通ったところがある理由は


「ちなみにこの本の内容は?」


「ああ……。おじさんが若い子にモテるための秘策100選だ……」


 シーマは大切なものを扱うようにそれをローブの袂にしまいこんだ。


「おおぅ……」

 



 食事を終えると彩乃は由美と外に出た。青い空が広がっていて気持ちいいし、海岸から吹いてくる潮風も日本とはすべてが違うように思えて心が踊った。


「彩乃様、シャルロッテ様からこちらでの特訓メニューについては事前に指示されております」


「そ、そう……」


――ウチのあの鬼軍曹は何をどこまで見通しているのやら。まあ、覚悟の上よ。変な連中から身を守るためにも私は強くならないといけないのよ。


 由美は革の軽装備で身を包んでおり、こっちの世界の『冒険者』の一般的な格好だと彩乃に教えた。彩乃も革の胸当てをつけてもらいそれだけでちょっと強くなった気がした。


「彩乃様は銀剣をお使いください。私はこれを使用します」


 由美の両手にあったのはクマ男たちと戦っていたときのクナイであった。


「お姉ちゃん、そんな短いのでいいの? 私、剣ならそこそこ振れるよ」


「存じております。おそらく剣の技量においては、王国流剣術師範の資格を持つ私よりも彩乃様のほうが上かと。ですが何でもありならこれでも私、シャルロッテ様と互角とは言いすぎかもしれませんがそれなりに認めていただいております」


「お母さんと互角!? それ、めちゃくちゃ強いじゃん」


「このまえのクマどもについては、シャルロッテ様との『不殺の誓い』がありましたので醜態を晒してしまいました。ですが、彩乃様との訓練については許可を得ておりますので、ご期待に添えるかと」


「何それ?」


「王が我らナイトに課したものです。いかなる場合も人を殺してはならぬというシンプルな誓いにございます。我らが他者を殺すことが許されるのは王、つまりシャルロッテ様のご命令のあるときのみ。国の存亡の危機などそういった場合に限られます。相手が自分よりも力量が上であったとしても、どんな残虐非道な極悪人が相手であろうともです。その誓いにより自ら命を落とすようなことがあったとしても我らは後悔はいたしません。すべてはお使えする王と姫様、彩乃様のため」


「えっと……、枷をはずすって。私を殺すつもりでってことなの?」


「はい」


「いやいや、冗談でしょ。お姉ちゃん?」


「いいえ。姫様に身命を捧げるとは申しましたが、私は正式には王のナイト。あるじの命令は絶対です。銀剣を使ってなお私に遅れを取るようなら、殺せと言われております。姫様が敵の手に渡ってしまう可能性が高いのであれば、自ら手を汚すことも辞さないと王は申されておりました」


「はあ!?」


――だったら、この前のお母さん。あれは本気で……。いやいや、そんなことがあるはずないし。


 そのときあの双頭の透明な六枚の羽を持つ羽虫が目の前を横切る。次の瞬間、縦に真っ二つになり粒子となって消えた。


「あっ、虫さんが……」


 彩乃は無意識で剣を振り抜いていた。無意識というのとは少し違うのかもしれない。銀剣が彩乃にそっと囁いた気がして、それに同意した。これは彼女自らが選択し行動した結果だということは、なんとなくであるが自覚していた。


「ああ、それは毒虫ですので。シーマ様がこの周辺の毒虫、人に危害を与える植物を駆除したと言ってましたがまだ残っていたようですね。私もその虫のような憐れな末路を辿らぬようにしたいものです」


 由美の顔は笑っていたが、目の前の彼女はまるで別人、初めて会った知らない人のように感じられて彩乃には気味悪く思えた。


――狂人だ……、絶対にこの人狂ってる!

 

「では、姫様。こちらから参ります。どうぞ必死で抵抗してみせてください、ねぇ。ふふっ」


 ニヤリと嗤った由美の姿が彩乃の視界から一瞬で消えた。

 

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