第二章 ここではない世界へ

第12話 その男、元勇者なり。①「勇者帰還セリ」

 この街を訪れたのはいつぶりであろうか、男はもう既に薄れかけていた記憶の断片をひとつひとつ手繰り寄せていく。


「たしか大通りの……。おおっ、あれだよ。あれ」


 ひときわ大きな古びた建物の何度も補修されたことが窺える扉の前まで来ると、男は大きく掲げられた看板を見上げ、ここで間違いないことを確認する。そして静かに扉を開け中へと無言で入っていく。喧騒と酒と煙草の懐かしい匂い。


――一階は受付と酒場が併設なのは変わってないか。メンツに知った奴はいなさそうだ。でも、顔ぶれが違ってもこの雰囲気はまったく同じなんだな。


 男が受付へと歩きだすと、見知らぬ顔のやつが入ってきた分かったのか広いフロアから一瞬で音が消える。男は自分が視線を集めていることに気づいてはいたがそのまま前へと進む。


――これはこれは。あのときは経験できなかったんだよな。


 おそらくその体格と異常に発達した上腕と胸の筋肉のつき方から、大盾か大物の武器を扱う職なのだろう目つきの悪い中年男の脚が伸ばされ、行く手を塞がれた。それに併せて他の冒険者の男たちの脚も次々と進行方向に現れる。


「こりゃあ、大歓迎ってことだよな」


 男は期待通りの展開に内心喜んでいた。もう着ることのほとんど無かった初心者用冒険者装備一式を、アイテムボックスの奥底から引っ張り出してきた甲斐があったと緩みそうになる頬を維持するので必死だった。男が大きくため息をついたかと思われた瞬間、目の前の太い足は思いっきり蹴り上げられる。


「さあ、てめえらまとめて相手してやらぁ! かかってこいや!」


 大男が一回転してひっくり返ったのを合図にミズガルド王国の地方都市エンバータウンの冒険者ギルドは、ひとりの男によってこの日の昼過ぎ、戦場と化したのであった。


 


「はあ……」


 特に高そうな調度品は見えないが、机の上は小綺麗に整頓され、この部屋の主の性格を表すかのように紙の書類が僅かなズレもなく整然と積まれていた。ため息をついた神経質そうな細身の三十代くらいの男性は、この支部のギルド長トリチェリである。彼は三ヶ月前にミズガルド地域を統括する王都のギルドから赴任してきたばかりであった。その支部長室に彼と男はいる。


「そんな顔すんなって。昔はもっと、こうなんていうか悪ガキ感があったっていうかさ……」


「そんな昔のことはいいんです。どうしてあなたは子ども気分のままなんですか? たまたまあなたを知っている私がここの支部長だったからよかったものを」


「まあまあ、感謝してるって。最近は俺だってちゃんとやってたんだぜ。その鬱憤というか反動というかだな。分かるだろ? 男のロマン的なやつ」


「いいえ! 分かりませんし、分かりたくもありません!」


 来客用のソファに座る男。テーブルに足を投げ出して態度は褒められたものではないが、トリチェリへの態度は概ね好意的だ。それとは対照的に自分のデスクで両肘をつき組んだ両手を額に押し付け、不機嫌な表情の支部長トリチェリ。


「そ、そうか……」


「一階の修理費用とボコボコにされた冒険者たちの治療費、そしてそれに伴うギルドの抱える依頼関係の遅延による損害。これらをまとめて請求させていただきますから!」


「えーっ。なあ、そこんところ昔のよしみで何とかならない? 俺こっちに戻ったばかりでさ金持ってないの。なあ、俺に恩とかあんだろ?」


「昔は昔、今は今です! ギルド職員が業務に私情を持ち込むとでもお思いか!」


「ひぇっ! それ本気でいってるの? 昔は困った冒険者たちに優しく手を差し伸べてくれる組織だったじゃないかよぉ。いつからそんなお役所みたいな場所になっちまったんだよ」


「あなたに対してだけは、私個人がですけど……、とにかくそういった温情は適用されません! まあ、金銭面のことについては心配なさらずとも、あなたのギルドカードは有効でしたので。通常は十年で本人確認ができなければ失効するのですけど、何かしら上層部の力が働いていたようですね。口座には一生かかっても使い切れないほどの金額があることは確認しています。そしてこれが新しく再発行されたカードです」


「お、おぅ……。ということは一から冒険者登録しなくてもいいってこと? いや、助かるわぁ」


 ソファから立ち上がり、トリチェリからカードを受け取る男。


「あの、御自分のお立場を分かっていらっしゃいますか? あなた世界を救ったんですよ! 勇者セイヤ!」


「ううっ、その勇者ってのやめてくんない? なんか身体が痒くなる」


「ああ、さきほど本部から緊急の通達がまわってきましたよ。機密扱いでね。『勇者帰還セリ、全力ヲ持ッテ支援セヨ』って。まずもって教会に知られないことでしょうかね。もうあんな酷い状況は私も勘弁ですし、この国の誰も望んでいませんから……」


「すまない……」


 男の表情は暗いものへと一変し、俯く。


――そうだ。俺があのとき上手く立ち回っていれば……。たくさんの人たちが死ぬこともなかったはずだ。今更何を言っても仕方のないことだけど……。

 

「あなたのせいでないことはみんな知っています。だから顔を上げてください、セイヤ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る