第10話 ロボ、ロボなの?
「彩乃様、あの可愛らしい姿に惑わされてはなりません。連中は恐らく教皇派の送り込んだ刺客。そうでなければこんなに早く、開かれた『ゲート』の位置を特定し、組織だった部隊の外世界への投入などすることは不可能。あの長い爪にはきっと毒が仕込まれているはずです。お気をつけください」
そう言うと佐久間はデニムのミニスカートの裾をたくし上げる。美しい右の太ももにはレッグホルスターがあり、そこには二本の忍者の使うようなクナイが収納されていた。一瞬、敵の視線がすべて彼女に集まったような気が彩乃にはした。
――いまのはイヤラシイ視線? いやいや、考えすぎか。きっと由美姉ちゃんを警戒しているのね。これはきっと強者認定ってやつよ、さすがはお姉ちゃんね。
「このエロぐまどもがぁ! オレの生脚見て興奮してんじゃねえよコラァッ! おい、そこ何、前かがみになってんだぁ? 童貞か? オイッ、そうなのかぁ!」
佐久間の豹変した態度と言葉遣いに固まる彩乃。佐久間はクナイで斬ったり刺したりするのではなく、握ったその拳で次々とクマ男たちを殴りつけていく。
――お姉ちゃん怖っ! でも、前かがみって……、あっ、そういうこと!? きゃっ、恥ずかしいっ!
赤面してその場に座り込む彩乃。クマ男たちはこちらのほうが与し易いと思ったのか彼女の元へと集まり、取り囲む。
「ぐへへへっ。可愛い嬢ちゃんなんだクマぁ」
「この子が神父がいっていたお姫さまに違いないクマぁ」
「あっちの暴力女よりもこっちのほうが好みだクマぁ」
さらに下卑た笑いをしながら彩乃を見下ろすクマ男たち。
「彩乃様っ!」
倒したはずのクマ男たちは、ビクンと身体を痙攣させたあと何事もなかったかのように立ち上がり、再び佐久間へと殺到する。彼女の見立てよりも潜んでいた敵の数は多く彩乃を助けに向かうことができない。
「い、いやあ……」
そもそも引きこもりに近い生活を送っていた彩乃にとって、悪意ある成人男性たちに見下ろされているこの状況は恐怖でしかない。その握っている剣を使って戦えば容易く倒せるはずも、そんなことに気づき行動する心の余裕はいまの彼女にはなかった。彩乃が生まれて初めて感じた襲われる恐怖だった。
チリーン。
「何だクマぁ?」
チリーン、チリーン。
「嫌な音が聴こえるクマぁ」
チリーン、チリーン、チリーン。
「何かこっちに向かってくるクマぁ」
遠くから木々をなぎ倒し土煙を上げながら向かってくる物体があった。
チリリリーン、チリリリリリーン、チリリリリリリリーン。
「ぐおっ、あたまが、あたまが痛いクマぁ……」
クマ男たちは頭を抱えて蹲っていく。
「ご無事ですか、彩乃様!」
クマ男たちを蹴り飛ばして、佐久間が彩乃のもとに駆け寄る。
「お、お姉ちゃん。怖かったよぉ……。でも、どうして? それにこの音?」
「音ですか? 私には何も特別な音など聴こえませんけども……」
不思議そうな顔をする佐久間。
「あっ、そうだ! お守り代わりに持ってきてたんだ」
そう言うと彩乃はスカートのポケットから母から貰った熊よけの鈴を取り出す。
「これの音と同じ」
彩乃がチリーンとそれを鳴らしてみせるけども、佐久間はさらに首を傾げる。
「音のしないベルですか?」
ここでようやくこのチリーンという音が佐久間には聴こえていないことに彩乃は気づく。
「彩乃様、御覧ください! あれは美雪様のようです」
新たに自分たちの方向へと爆進するそれは、あのトラ子のさらに進化を遂げた姿だった。
「四足歩行してる。タイヤはどこいったのよ……」
「そのようですね。もう車であることすら捨ててしまったようですね……」
「ああっ! トラ子が立ち上がった……。ロボ、ロボなの? あなたは」
唖然とする二人のところまで、アニメの主人公側陣営で活躍しそうな機体へと変貌した元軽トラックが歩いてくる。コックピット化した運転席には祖母美雪が、彩乃の持つのと同じ熊よけの鈴を笑顔で振っていた。
「お婆ちゃん……」
「トラ子のレーダー感知にそのクマ獣人たちの反応があってねぇ。慌ててやってきたのよ。二人とも無事そうで良かったわ」
そのまま降りようとしたが、かなり高い位置に自分がいることを思い出した美雪は、トラ子を通常の軽トラ形態へと戻させる。
「よっこいしょっと。どう? 彩乃ちゃん、お婆ちゃんの登場の仕方カッコよかったでしょ?」
「ん、まあ……。でも、クマ獣人って。あれはただのキグルミ着た変態さんたちだよ!」
「なるほど。彩乃ちゃんの言うように彼らを獣人って呼ぶのは本来おかしな事なのでしょうね。もともとは私たちと同じ人族であったのですから」
「お婆ちゃん?」
何か考える仕草をみせていた祖母は再び笑顔になる。
「まあ、そんなことはあちらに行ってから教わればいいわ。あなたにふさわしい先生もいることだし」
「ん?」
「いいのよ。じゃあ、お婆ちゃんはこの不届き者たちをお縄にするとしましょう。それじゃ、トラ子ちゃんよろしくね」
『了解。マスター美雪。賊を捕縛します』
トラ子の車体下から金属質で複数の関節を持つ物体が現れる。滑らかな深海生物の触手のような動きを見せる無数の細長いアームが男たちに伸びていく。
「くっ、クマぁ!?」
首根っこを掴まれたクマ獣人たちが持ち上げられ吊るされていく。
「大人しくしてろや、コラァ!」
佐久間が一喝すると途端に押し黙るクマ男たち。
「この人たちをどうするの? お婆ちゃん」
「ふふっ。秘密よ。さすがに彩乃ちゃんには教えられないわねぇ」
意味深なことを言った祖母はスマホを取り出し、どこかに連絡する。その表情は、彩乃が初めて見る悪い大人の見本のような顔だった。
「そ、そうなの?」
「そうね。ああ、あなたたちの目的地はすぐそこよ。あとはトラ子ちゃんに任せて、お婆ちゃんはお見送りしましょうかね。しばらく彩乃ちゃんに会えなくなっちゃうから」
「う、うん」
歩き出す美雪のあとをついていく彩乃と佐久間。空はうすい明るさを纏いはじめていた。数分ほど歩くと森が開け、山の端から日が昇ろうとしているのが見えた。
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