第9話 魔法と由美姉ちゃん。そしてクマ。
月明かりの照らす中、彩乃と佐久間の二人は懐中電灯片手に細い山道を進む。二人ともそんなところを歩くには不似合いな格好をしているのだが、気にしている余裕はもちろんない。真夏と言うにはまだ少し早く、ときおり夜風が気持ちよく吹いてくるのが救いであった。佐久間が前を歩き、その背を彩乃が追う。
「彩乃様、このあたりの場所は古戦場であることはご存知でしょうか?」
「ええ、もちろん。天下分け目の戦いがあった場所よね。歴史は得意じゃないけどそれくらいは知ってるわよ!」
車の中で読んだ例の小説の話題で盛り上り、佐久間の彩乃様呼びに変更はないが、彩乃が由美姉ちゃんと呼ぶほどまでに二人は打ち解けた。年は彩乃の十三歳に対して佐久間が二十六歳。倍の違いはあるといっても彩乃も少し大人びて見えるし、佐久間も高校生に間違われたこともある。誰が見ても違和感のない姉妹のようであった。
「そうです。何百年も前のことではありますが、戦いによって多くの命が失われた場所であります」
足元を確認しながら慎重に歩を進める佐久間がそう言う。
「由美姉ちゃん、何が言いたいの?」
「そしてさらに遡ること数百年。これはきっとご存知ないでしょうが、南北朝時代の1338年、上洛を目指す
「ちょ、ちょっと……、それって……」
彩乃には一瞬、吹いてきた風が生温かく感じられた。
「さらにさらに672年。古代史上最大の内乱である壬申の乱……」
「もしかしてそれも?」
「はい……。つまりそういうこともあって、この地には何百年、いや千年以上も彷徨い続ける、自らが死んだことを……」
「や、やめてよぉ! そ、その手のハナシは苦手なんだからぁ……」
「ふふっ、これは失礼いたしました。冗談です。地元の方も幽霊なんて見たこと無いっていってましたし。では、話を変えて。彩乃様は、虫とかヘビなんかは平気ですか?」
大きなリュックを背負う佐久間が立ち止まると、振り返り、笑顔で尋ねる。
「うん。というかこっちに引っ越してから小動物も見てないし、熊も出るって聞いたけど当然見てないよ。お婆ちゃんが今年はあの台所にでるっていう黒いやつも見てないっていってた。図鑑とかテレビ、インターネットなんかで見たことはあるんだけど、ホンモノを実際に見たことがないんだ。ああ、黒くて気持ち悪いやつのことね。由美姉ちゃんは、ヘビとか大丈夫なの?」
「ええ、問題ありません。なんなら皮を剥いで調理することだって可能です。まあ、積極的に食べたいと思えるような味ではないですけどね」
「ふーん」
「あと、これは私の推測なのですが。彩乃様は現在自らお力を封じておられる状態。それでも僅かに漏れる魔力が動物や虫を遠ざけているのかもしれませんね」
「ま、魔力!? まりょくってあの魔力?」
母の雪恵は難しい本以外にも、母の厳選という条件付きではあったが、古典的なファンタジー小説から最近のファンタジーライトノベルまで買ってくれていた。そんな空想世界のキャラクターのような喋り方をする母について、いかがなものかとは思っていたが、でもそんな世界観は大好きだった。
「はい。あの魔力です。島先輩からはさきほどの電話で、ある程度の情報開示の許可が下りましたからお教えいたしますね」
「いやいや、由美姉ちゃん。いくらなんでもそれは……」
佐久間は彩乃の言葉に笑顔になると手に持っていた懐中電灯の灯りを消した。
「どうしたの? 由美姉ちゃん」
「ちょうどこの道具を持ってるのも邪魔だなって思っておりまして。【我らの進む道を照らし給え】、ライト!」
そう佐久間が呟くと小さな光の玉がふたりの間に浮かび上がり、やさしく辺りを照らした。彩乃からも懐中電灯を回収すると彼女はリュックにそれをしまう。
「ええっ!? 何これ……。すごい!」
「初級魔法ですよ」
「これって触っても大丈夫?」
「ええ。でも彩乃様の身体を覆っている魔力の密度はふつうではありませんから、私の『ライト』なんて一瞬で弾け飛んでしまいますね」
「そ、そうなの? だったらやめとくね。だって、とっても綺麗なんだもの」
彩乃は顔を近づけてその不思議な光をじっと見つめていた。現実にはあり得ないことのはずだが、目の前のそれの圧倒的な存在感は『魔法ですよ』と言った佐久間の言葉を決して否定する気を起こさせないものであった。
「由美姉ちゃん、この魔法って私にも……」
顔を上げ質問しようとした彩乃は、別の方向を険しい顔で見ている佐久間の背中から、この瞬間良くないことが起ころうとしていることを察した。
「お姉ちゃん、何なの?」
「彩乃様、我々は囲まれてしまっているようです」
「えっ!?」
目を凝らすと離れたところに人影のようなものが複数あるようにも見える。
「ど、どうしよう?」
「彩乃様、『アン・シエル・クレール』は雪恵様から託されましたか?」
「あの剣……。ああっ、トラ子の中に忘れて来ちゃったよ!」
「落ち着いてください。『試し』には合格されたのですね?」
「う、うん。お母さんが及第点って言ってたからギリギリ合格のはず」
「そうですか、良かった。いま、アン・シエル・クレールを強くイメージしてください!」
「へっ?」
「時間がありません、どうか!」
「はいっ!」
彩乃は母と戦ったときのことを思い出す。そして羽のように軽く、まるで自分の翼のように風を切り裂いていたあの剣のことを想う。
「ああっ……。こんなことって……」
いつの間にか彩乃の手にはあの白銀の剣が握られていた。
「その剣は『王家の守り手』。王国の正当な継承者を見定めその者が命尽きるまで守り続けると言います。同時にそれは剣が王としての資格を疑えば持ち主の元を離れるとも言います。やはり彩乃様は正統な後継者であられた。いま私は感慨無量であります。この命、次代の王であるあなたに捧げましょうぞ!」
「由美姉ちゃん、王って……。私、女の子だよ」
「我ら騎士が守る王は常に女性。あなたの王国は女系君主の国です。王は女性、わざわざ女王、クイーンとは呼びません」
「そ、そうなの……?」
次から次ヘと起こる不思議なことや緊急事態に、彩乃には疑ったりする余裕はなく、それを受け入れるしかなかった。
「やはり……。『ゲート』を開いたことに連中、気づいたのか」
佐久間の呟きも気になったが、それよりも姿が月明かりではっきりと見えるようになった敵の姿に彩乃は驚いた。
「な、何なのあのひとたちは!?」
それはどうみてもクマのキグルミを着た西洋人の男たちにしか見えなかったのだ。
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