第8話 禁書指定ですと!?

「彩乃様、いかがですか?」


「ちょ、ちょっと待って、先生」


 スマホに登録したししょうの番号に電話しようと発信ボタンを押そうとしては手が止まり考え込む彩乃。それを特に気にすること無く運転席の佐久間は文庫本を手に読書を始めている。もう二冊目の半ばほどに達している。


――どうして? ただ、私の無事を連絡するだけなのに緊張する。ああ、この連絡先リストに調子に乗って恋人気分で登録した『たくみ』の三文字のせい? やっぱり『ししょう』に変更しようかな? そもそも電話が苦手な私が、初めて男の人に、それもししょうに掛けるなんて……。な、なんて言えばいい? ああ、それはそれで素敵なことなんだけど……。いかん、隣に座る先生に勘ぐられてしまうのも恥ずい。ええい、ままよ! あっ、押しちゃった……。や、ヤバイヤバイ、どうしよう。


 呼び出し音が続く、二回、三回、四回……。


「あわわっ、繋がった……!?」


『もっし、もーし! 彩乃ちゃん? ワタシだよー、可愛い可愛いエアリィちゃんでぇーす!』


――き、貴様か、謎妖精! 私のドキドキを返しやがれ! ん? でもAIって電話に出られるものなの?


『ちょっと、勝手に出ちゃだめだろ! えっ、彩乃ちゃん? もしもし、島です』


「は、はいっ! 彩乃です!」


 急に島が替わったことで焦ってスマホを落としそうになったが、何とか取り繕い返事をする。

 

『良かった! 無事だったんだね。僕から電話したかったんだけど、雪恵が……。君のお母さんから僕から電話することは禁じられていてね。お前は娘をたぶらかす可能性があるからなってさ、酷いと思わない? それに彼女、彩乃ちゃんのことに関しては冗談も通じなくてさ、何度斬り殺されそうになったことか……。』


「はあ……、ウチの母がご迷惑を……」


『い、いや、それはいいんだ。えっと、今どこにいるの?』


「えっと、家から一番近い山を降りたところの駅です。そこのそばの駐車場かな。佐久間先生と車の中にいます」


『ああ、由美ちゃんといっしょか。それなら安心だ。僕の知る最高のナイトだし……』


「ナイト?」


『あっ、ごめん! 今のは忘れて彩乃ちゃん! ちょっと由美ちゃんと代わってくれるかな?』


「はい……」


――ナイトって何? それよりししょうが先生のことを由美ちゃんって。何の先輩と後輩なのかは知らないけど、大人の男の人は後輩の女の子を下の名前でちゃんづけするものなの? クラスの男子が年下の女の子をそうやって呼んでたらキモい。いや、小学生の妹みたいな女の子だったらふつうか……。うーん、わからぬ。だがあのピンクのTシャツの下に隠されているお胸は危険だ。あれはいかん!


 彩乃に会話の内容を聞かせないためなのか、車外に出て楽しそうに電話で話している佐久間先生を眺めたあと、彩乃は自分の胸に視線を落とす。ちょっとイラッとしたのであった。


――これじゃ駄目よ。いかなるときも冷静に。私はお母さんみたいなカッコいい女性を目指すのよ。胸だってお母さんくらいにはきっと成長するはずだし……。


 ふと、ダッシュボードに置かれていた佐久間の呼んでいた単行本に彼女の目が止まる。


「きれいな表紙……、でもこれ漫画じゃないんだ」


 それに手を伸ばそうとしたとき、運転席の扉が開いた。


「あ、彩乃様! そ、それはいけません!」


 その声にサッと手を引っ込める彩乃。そして慌てて自分の手元へと二冊の本を回収する佐久間。


「どうしたんですか先生? 顔が赤いですよ」


 本に挟まっていた紙の栞が彩乃の膝の上にひらひらと降りてきた。


「夏のBL大感謝祭? 名作BL大集合?」


――たしか小学生のときお母さんと大きな書店に連れて行ってもらったとき、手にとって難しい顔をしていたのがBLという……。ええっと、ボーイズラブ。なんだろ、ちょっとイメージできないな。小5のときこっそりそういった本を学校に持ち込んでいた子たちがいたっけ。結局取り上げられちゃってたけど。あのとき友だちのひとりでもできてたらこれについても教えてもらえたんだろうけど……。


「先生、前にお母さんがウチではこのジャンルを『禁書指定』するとかなんとか言ってたんで、読んだことないんですけど。どんなお話なんですか? 表紙の素敵な絵からとっても興味がわくんですよ」


――禁書っていってもお母さんが私に隠れて読んでいたのを知っている。そう、そんな感じの表紙だった。もしかしたら同じ本かもしれない。まあ、そんな若い子が好きそうなものを読む姿を私には見せられないってのも、あのひとのことだから分かる気がするけど。


「ゆ、雪恵様が禁書指定ですと!? ああ……、姫様。じゃない、彩乃様、どうかこのことはご内密に。私はまだ死にとうありません……。こ、この本は私のものではなく、たまたまこのレンタカーにあった誰かの忘れ物ということでお願いいたします。で、ですからこれは私のではありません!」


 そう言うと佐久間は再び二冊の本をダッシュボードの上にそっと置いた。


「あ、あれぇ? おかしーなー、こんなとこに本があるぞぉー」


 妙な口調でそう話し始める佐久間を彩乃は呆れた顔で見つめる。


「そういうことなら先生、失礼しまーす」


 彩乃が本を一冊手に取り読み始めたのを確認すると、佐久間はゆっくりとソリッドブラックのポルシェ911カレラ992型を発進させる。どうせ組織の金だということで、そのとき店にあった一番高い車を借りてきたのだ。


「これから島先輩から指定された座標の場所に向かいます。途中からは徒歩になりますけど。それにもう日付も変わってしまいましたね。暗い山道を進むことになりますので、彩乃様、いまのうちに睡眠をとられてもよろしいのですよ」


「ん、んんっ!? ええっ、なんですと? こ、これは……」


 彩乃は本に夢中で自分の声は届いていないことに気づく。佐久間は自分が初めてこういった本を読んだときのことを思い返す。


「私がこっちの世界に来たのって、いまの姫様と同じくらいだったか……」


 その小さな呟きは彩乃にはもちろん聞こえてはいなかった。

 

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