第5話 でゅらりゅんにゅ?

「彩乃ちゃーん、お母さんが帰ってきましたよ」


 階下から祖母の呼ぶ声がする。島のメアドを手に入れて幸せな気分だったのを邪魔されて不機嫌な顔になる。スマホを手放しベッドから出ると自分で両頬を叩いて気合をいれた。


――さて、お母さんの出方をうかがうべきか、それともソッコーで土下座して出鼻をくじくか。うーん。これは悩ましい。


 強大な敵へと立ち向かう戦士の如く彼女は右足を一歩踏み出し、部屋を出ると一気に階段を駆け下りた。先手必勝土下座作戦に打って出るのだ。


「お、お母さん! ごめ……」


「表に出なさい」


 それだけ言うと、床にひざまずこうとした彩乃のすぐ横を華麗にすり抜ける雪恵。あっけにとられている彩乃を置きざりにして玄関から庭へと出ていく。仕事着から着替えてスウェットシャツにジーンズといったラフな格好、これは彩乃に稽古をつけるときのスタイルである。


「ぐぬぅ……」


――これはマジ怒りなやつだ。私殺されちゃうかも。これはDVよ、いや児童虐待? 通報案件だってば、ねえ、お婆ちゃんどうしてニコニコしてんの?


「彩乃ちゃん、お母さんに遊んでもらえて良かったわねぇ」


「いやいや、お婆ちゃん。それは認識がおかしくないですかね?」


「あら、そうかしら?」


 そう言うと、夕食の準備をしていたのであろう祖母は再び台所へと戻っていく。居間で新聞を広げていた祖父とも目が合ったが、それもスッと逸らされてしまった。


――お爺ちゃんの役立たず! 私にも甘いけど、お母さんにも甘々だし、ホントに男ってのはいざという時役に立たないんだから。


 ふと、いつも助けてくれる父の笑顔が思い浮かんだ。


「こんなことしてる場合じゃないの。もう、お母さんもどういうつもりなのよ!」


 彩乃は拳を握りしめると母のあとを追って玄関を出た。


 外は雨も止んで、空には大きな月が見えた。彩乃にはどうしてだかいつもよりも赤っぽく感じられた。不吉なことの前兆なんていうのは迷信で、たしか科学的なナニカ理由があったはずだけどと彼女はそんなことを考えながら庭へと向かう


「彩乃、剣をとれ!」


 雪恵は彩乃の姿を確認するなりそう声をかけた。彩乃は母と対話する余地のないことをすぐに察した。だが地面に突き刺されたそれに自分の目を疑う。刀身が月明かりに照らされて妖しい輝きを放っている。


「へっ? まさかホンモノじゃないよね……」


「アン・シエル・クレールだ。私のオー・クレール・ドゥラリュンヌの姉妹剣でもある。その切れ味は保証しよう」


「でゅらりゅんにゅ? なにそれ?」


 母の厨二病もここに極まったかとため息をつきながら、どこで買ってきたのか無駄に装飾が細かくて豪華な剣を地面から引き抜いた。


「か、軽っ!」


 想像していたより遥かに軽かったために、剣を天につきかざしているような恥ずかしい格好になってしまい、慌てて剣を下ろす。


「ほう。これは魔力制御の訓練の賜物であろうな。それは魔剣であり使用者の魔力が大きければ大きいほど、剣は軽くなるのだ。逆に私のドゥラリュンヌは魔力量イコールその重さであるがな。やはりお前にふさわしい剣であるな」


 満足そうに頷く母の顔を見てうんざりする彩乃。


「お母さん、いい年なんだからこういうノリは終わりにしようよ。私も中学生なんだよ! 正直もう付き合いきれないんだから!」


「なるほど。貴様は剣の技量において、すでに母を超えておると考えているのだな。ちょうど良い。お前の『試し』を行おうと考えていたのでな。私が一人前の剣士と認められたのも同じ年のころ、この母に立ち合いにて勝利すれば大人として認めてやろうではないか」


――ああ、いつもの病気がはじまったよ。このモードの時って、お母さんと全然話が噛み合わないのよね。


 長く続いたこのチャンバラごっこに終止符をうとうと彩乃の剣を握る手にも力が入る。木剣を使った対戦形式でいまだ勝利したことはないが、最後にやりあったのは三ヶ月前。結構肉薄していたはず、もうそろそろ手が届いてもいいはずだと彼女は思っていた。


 軽すぎる剣の感覚を確かめるため、一振りするとシュッと空気を切り裂く音がした。


「えっ、ええ!?」


 彩乃は自分の足元、右足のすぐ横の地面がすっと裂けてしまった。場所がずれていたら自分の足は切断されていたのではないのか。玩具の剣だと思っていた彩乃の血の気が一気に引いていくのを感じた。この国には銃刀法っていう法律があるんじゃなかったっけ……。


「何よこれ! 危ないじゃないのよ!」


「何を慌てておるのだ。真剣であれば当然であろう、では参るぞ!」


 雪恵の姿が掻き消えた。


「うわっ! ちょ、ちょっと正気なの? お母さん!」


 常人ではあり得ない高速の動きにも反応し斬撃を受けとめた彩乃。彼女にはこの反射神経と正確な剣さばきが普通ではありえない異常なものであるとの認識はない。こうやって幼い頃から鍛錬してきたのであるから。


「まだ余裕がありそうだな。剣の修練を怠けてはいなかったこと、母は嬉しく思うぞ」


 嬉々として追撃してくる雪恵。


「もう、怪我したって知らないんだからね!」


 自分よりも格段に上である母の剣の技量を信じて彩乃も攻撃に転じる。


「腕や足の一本飛んだところで心配せぬとも良いぞ。秘蔵の霊薬は準備してあるからの」


 一旦間合いをとったところに、お婆ちゃんがお盆に怪しげな色の液体の入った小瓶を数本乗せて入ってきた。


「お母さん、ありがとうございます」


 雪恵が礼を言う。


「いいのよ雪恵ちゃん。それに彩乃ちゃんも頑張ってねぇ。お婆ちゃん応援してるから」


 遅れてやってきたお爺ちゃんが簡易テーブルと椅子を設置すると、二人は仲良く腰掛ける。お婆ちゃんはいつものニコニコ笑顔だが、お爺ちゃんは私と目を合わせたくないのか俯いてしまっている。


――もう、何なのよ! ウチの家族。まったく意味わかんないし! お爺ちゃんも心配なら止めなさいよ!


 彩乃は大きくため息をつきながらも母への警戒は解くこと無く、首を狙った斬撃を仰け反りながら体裁きのみで躱してみせたのだった。

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