第4話 ゲットだぜ!!

「ああ、寝ちゃってた。いま何時よ?」


 制服のまま寝ていた彩乃はベッドから起き上がるとスマホで時刻を確認する。夕方5時半少し前だった。まだ頭はぼうっとしてはいるが寝る前の自分はちゃんとしていたらしく、遅れてスマホの目覚ましアラームが鳴り始めた。


――そうよね。寝過ごしたりなんてしたら一大事だもの。


 鏡台の前に座ると肩まで伸びた母譲りの艷やかな黒髪をとかしはじめる。やはり消息の知れない父のこと、夜遅くに帰ってくるはずの母のお説教と気乗りしない学校のことが頭に浮かんできて憂鬱になる。外出するわけでもないが、お気に入りのピンクのTシャツ、白のショートスカートに着替える。この30分後にはオンラインでの個別学習が待っているのだ。彩乃は小4のときからこのオンライン授業の先生に勉強を教えてもらっている。彼は両親の知り合いらしく、モノを教えるのが抜群に上手いとかで母が無理やり頼み込んでくれた。結局、中学生になってもこうやってお世話になっている。彼女にとって父と変わらないくらいのおじさまであるが、両親に言えない相談事にもいろいろのってもらったこともあり、彼のことを先生ではなく、『師匠』と呼んでいる。


「時間だ」


 web会議用ツールを立ち上げ『師匠』と繋がるのを待つ。


――何て『ししょう』に説明すればいいんだろ……。


『やあ、彩乃ちゃんこんにちは!』


「こんにちは、ししょう! ……ん? あれ? 何か背景おかしくないですか? いつもと違う場所にいるの?」


 いつもはぎっしり本が詰まった本棚が置かれ、彩乃のことを意識してなのかその上には可愛らしいウサギとタヌキのぬいぐるみが仲良くこっちを向いているはずなのにそれも見えない。バーチャル背景にしてはリアルな年季の入った丸木の組まれた壁のように彼女には見える。


「そ、そうかな? いやいや、最近の背景画像のクオリティって凄いんだね。彩乃ちゃんには本物みたいに見えてるわけだ。僕もビックリだよ」


「あやしい……」


 そう呟きながらもひきつった顔をしているししょうを見て、この人は嘘とか苦手な良い人なのだと、オンライン教師である島への彩乃評価は彼の知らぬところで上がっているのであった。


――うーん。でも何か隠してる気がする。何だろう?


『ふふっ』


――何? いま声がした気が……。女の声!?


「し、ししょう! そこに誰かいるんですか?」


「へっ!? な、何を急にいいだすの? そんなわけないじゃないか」


『はははっ』


「聞こえた! 絶対そこに誰かいるでしょ!」


「ま、まさか。彩乃ちゃんの気のせいだって」


 そのとき小さな光る物体が画面の中を横切った。彩乃の目では追えない速さだ。


――何よ、いまの。虫? 蛍にしては大きかった。光る鳥? なんなの?


「あっ、また! ししょう、何かいますって!」


「い、いや。これは……。おい、駄目だろ、こらっ!」


 慌てる島の周りをぐるぐると飛び回る謎の光。彼はそれを必死で捕まえようと手を振り回している。その手を彼にすり抜けて『きゃっきゃ』とはしゃいでいるのは、間違いなくお伽噺などに登場する存在。


「よ、妖精さん!?」


『そーだよー。こんにちは見目麗しきお姫様! 私はエアリィよ、アヤノちゃん』


――ふぁっ! 妖精さんみたいなのに、お姫様って言われちゃった。これって何だか気分がいいかも。


 この不思議な光景を前にしながらも彩乃は動揺しないよう務める。彩乃の好きな『星の王子さま』の一節『心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ』という言葉を思い出す。


――ああ、そういうことか。


「ししょう……。私を励まそうとして。そうなんですね、お母さんから聞いて……。メタバースっていうのですか? そういう仮想空間的なの。それに生成AIがどうとか前に言ってましたね。こんな可愛らしい妖精さんまでつくってくれて……、あ、ありがとう」


 少し震えながら目頭をおさえる彩乃。


「えっ?」


『えっ?』


 島と妖精はピタリと動きをとめてお互い顔を見合わせる。


「おお、流石は彩乃ちゃん。そ、そんなことまで見抜いてしまうとは。こんな子どもだましはもう通じないようだね……」


『ヨウダネ……』


「ふふっ、私だってもう中学生なんですよ。でも、ありがとうございます。気分が楽になりました」


「そ、そうか……」


「それでお母さんはなんて? あとお父さんのこと……、状況は知ってますか?」


「ああ、聞いているよ。聖也、君のお父さんのことは心配しなくてもいい。今はまだ詳しいことは言えないんだけどさ、彼にはやらなけりゃいけないことがあって……」


『タクミ、それよりアヤノちゃんのことを』


 島の肩にちょこんと腰掛けている妖精がそう言った。


――タクミって、ししょうの下の名前呼び……。人工知能のくせになんかイラッとする。


「ああ、そうだったね。落ち着いて聞いて欲しいんだ。実は彩乃ちゃん、君に危険が迫っている」


「きけん?」


 島の表情が冗談を言っているときのいつものそれとは違うことに彩乃は気づく。


「うん。君が雪恵からいつも厳しく言われている『チカラ』の制限に関することなんだ」


「ああ……」


 彩乃には普通の人にはない少し変わった能力があった。その『チカラ』は、彼女が人がたくさんいるような環境で生活することを難しくさせていた。意識的に制限する術は母から学び、現在では完全にコントロールできるようになっている。とはいえ、まだ十代の少女。感情の高まりやふとしたきっかけでその枷が外れてしまうことがある。そんなときその『チカラ』が彼女を大きく苦しめることになるのだった。


「私の忌々しい力。気持ちが『色』で見えちゃう……、欲しくもなかった嫌な力……」


「うん」


 彼女が意識的に相手のことを見ると、そのときの相手の感情が様々な色彩をともなったイメージで見えてしまうのである。これが自分だけに見えるものだと理解するのには時間が掛かった。言葉を介さずに相手の気持が分かってしまうのは便利なことのようだが、この力は彩乃を苦しめた。相手の発する言葉と実際の心の内とのギャップ。人の悪意ある感情、嫉妬や妬み、ときには殺意までも……。『チカラ』のお陰で人のやさしさや愛の感情など美しい色に心奪われることもあったが、負の感情によるショックのほうが彼女には大きかった。


 これはこの島との対面のように画面を通しては発揮されることはなかった。そのため彩乃は家族以外の人間と会うのを極力避け、テレビやパソコンの前に座っていることの方が多くなっていった。彼女が小学校時代に不登校になったのも、中学に上がって再び似たような状況になりつつあるのもこれが原因なのである。


 島によれば、彩乃のこの『チカラ』を狙っている悪い大人たちがいるということだった。その対応については具体的に母から聞けばよいとのことだったが、万が一のときのためにと島からメールアドレスと電話番号を教えてもらった。


「ふふっ」


 WEBでの通信が切れたあと、彼女にとっておそらくは深刻な状況が告げられたにもかかわらず、その顔はニヤけていた。


「ししょうのメアドと電話番号、ゲットだぜっ!」


 何かあったらいつでも連絡してくれていいからね、と言った島の顔を思い浮かべる。彩乃はひとりベッドのうえでゴロゴロと転がりながら歓喜するのだった。

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