第3話 計測器に姫ねえさま

 二階から彩乃の祖母である美雪が降りてくる。それを見て祖父の泰造たいぞうは広げていた新聞を畳む。


「彩乃の様子はどうだ?」


「ええ、制服のままベッドに横になっちゃって。疲れてたんでしょうね、もう寝息をたててましたよ」


「そうか……。雪恵には知らせておいたが、何とかするから儂らは静観しておればよいというとった」


「なら、雪恵ちゃんの判断に従いましょうかね。私たちが下手に動いてもねぇ。お国のほうにはどう報告するんですか?」


「いや……」


 泰造が言葉を続ようとするのと同時に古めかしいダイヤル式の黒電話がジリリリンとけたたましく鳴った。これは見た目はアナログ通信方式の電話機であるが、実際は政府直通の特別仕様回線である。


「あら、噂をすれば。どなたかしらね、官房長官さんか防衛大臣さんでしょうか。えっと今は……、名簿はどこに……。なかなか新しい方のお名前が覚えられませんからねぇ」


 泰造は直立姿勢で受話器を取る。


「はい、明智です。はっ! そ、総理!?」


 泰造の背筋はこれ以上ないというほどにまっすぐに伸びる。


「まあ、岸部きしべさんなのね。それならこれは必要ないわね」


 そう言うと、やれやれといった感じで美雪は台所の後片付けに向かう。彼女の背中に向けて助けを求めるように左手を伸ばす泰造には気づいてはいない。


「は、はい。計画は滞り無く進んでおります。『ニーズヘッグ』には現在三名が潜入しており、彼らからの情報はこの後速やかに報告書として……。ああ、そちらの方は問題なく。ええ!? いや、その……。も、申し訳ございません! 隠し立てするような意図があるはずもなく……。いや、ですから、その兆候は確認できておりませんので……。け、計測器!? そんなもんいつの間に。いえ、こちらの話です。ええ、分かりました。はい。では」


 泰造が受話器を下ろすと同時に美雪が湯呑みに淹れたお茶を運んでくる。


「それで岸部さんはなんて?」


「岸部さんて、おまえ……。いや、そんなことより家に計測器が設置されてるって聞いたんだが知っとるか?」


「はて? ああ、そう言えばあなたが彩乃ちゃんを迎えに行くのと同じくらいに、業者の方がいらっしゃってましたね。雪恵ちゃんに電話で確認したら問題ないって言ってましたし。そう、そこのテレビの台座の中に」


 言われた通り泰造がテレビ台の観音開きの扉を開けると、中には見たことのない黒い箱型の物体が据え付けられていた。


「なんじゃこりゃ!?」


「触ったら駄目なんですって。不具合が起きたら通信で業者さんのところで分かるんですってよ」


「はあ……。すべて筒抜けだったのか。」


 大きくため息をつくと泰造は彩乃の寝ている二階のほう、その天井を見上げたのだった。



 □□□□□□□□□□


 この国の第三の都市に高くそびえ立つビルのひとつ、その高層にあるビジネスフロアに彼女は居た。黒髪を後ろで束ね、ブラックのレディスーツ姿。その凛とした佇まいと美貌から職場の注目の的であった。しかし数ヶ月前に東京から異動してきたという彼女のことを深く知るものはそこにはいない。そして彼女は業務に関わる最小限の言葉しか発しない。与えられているというその業務はトップクラスの企業秘密に関わると上からは言われており、彼女専用のガラス張りの個人スペースまで用意されていた。男性社員からは一切表情を変えないクールビューティさから『氷のきみ』と、そして女性社員は憧れの念を込めて『姫ねえさま』と心の中で呼ばれている。みな実は本社からの監査員なのではないかと警戒までしている。これが彩乃の母、雪恵の会社での姿である。


「ああ、真田君。支部長がお呼びだよ」


 さえない男代表とも言える長束ながつか課長がその巨体を揺らしながらやってくると、冷房が効いているにも関わらずハンカチで一生懸命額の汗を拭いながらそう声をかけた。


「はい」


 彼女は一言そう返事をするとスッと立ち上がり、個人スペースの入口の大半を塞いでしまっている長束の脇を華麗にすり抜ける。この光景をみな毎回食い入るように見つめているのだが、どうやってそうしているのか誰も見当がつかなかった。ただ事実として彼女はあの狭い隙間を通り抜けているのだ。最近ではもうそういうものだと皆認識するようになっており、当初の驚きは随分薄れてしまってはいる。長束の行為はほぼセクハラ目当てだということはみな知っていたが、彼女が迷惑そうにすることもなくなんの実害もないので放置されている。ただ彼の株だけが下がり続けるだけだった。




宇喜多うきた支部長? なぜそこに……」


 自分を呼びつけた支部長が部屋の立派な扉の前でひとり待っていた。


「いやいや、そんなの決まってるじゃないですかぁ。もう。ささっ、どうぞこちらへ」


 腰を低くして雪恵を支部長室に招き入れると、宇喜多は周りを確認してから自分で扉を閉めた。


「困るのだが宇喜多殿。日本国との取り決めでは私はただの民草たみくさと同様の扱いにすると決めていたはずだが」


 通常は支部長である宇喜多が腰掛けているのであろう革張りの椅子に当然のように座った雪恵の口調は、それが普段の話し方であるかのように変化していた。


「そんな無茶なことを。一国のトップを無碍に扱うなんて小市民の私にできるわけないじゃないですかぁ。それに例の……近衛騎士さんたちでしたか? 行方不明のというか姿を隠されているんでしょ。私も自分の命が惜しいんですよ」


 宇喜多は彼女の態度の変化に驚くこともなく話をつづける。


「ふふっ、貴殿はこの国が全幅の信頼を置いている役人だと思っていたのであるがな。偽装によって大企業の幹部を任されるくらいには」


「私みたいな小物なんて簡単に切り捨てられますって」


 ――この男、口ではこんなことを言ってはいるが、なかなかどうして。


「ひっ!?」


 雪恵がめったに見せることのない人前での微笑を見せると、同時に後退りする宇喜多。これがこの男の演技であろうことは彼女にも分かっていた。


「まあ、安心するがよい。貴殿とは協力関係にありたいと思っている。私の直属の部下たちは血の気の多い者もいるが、目立つようなことはせぬ。これはあくまで私への保険であるからな。まあ、そんなことはいいとして何か私に用があったのではないのか?」


 彼女が促すと、そうでしたと言う顔で宇喜多は続ける。


「前に仰られていた通り、とうとう某国も彩乃様の存在に気づいたようです……」


「そうか……。思ったよりも早かったな」


 雪恵はとりたてて驚くような表情を見せること無く腕を組み目を閉じ、しばらくその場で考え込むのであった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る