其の参
1
――夜。
行き交う人が少なくなった宮之台駅前の広場は昼間の騒がしさが嘘のように静かになっていた。
街灯が暗闇を切り取るように街並みを照らしている。
四郎右衛門は駅前の広場を、一匹歩いていた。
夜になると、空気は昼の温かさが嘘のようにぐっと冷え込んだ。しかし、四郎右衛門の黒々とした毛並みは寒さにめっぽう強かった。
四郎右衛門は夜の方が好きだった。
昼間に犬の姿で駅前をうろうろしていると、どうしても目立ってしまうからだ。
「わんわん!黒いわんわん、どうしたの?」
「あら、かわいいワンちゃん。迷子になったのかしら」
四郎右衛門を撫でようと手を伸ばしてくる子供や、飼い主を探すため(もちろん、四郎右衛門に飼い主などいないのだが)、手を伸ばしてくる人などがいる度に、四郎右衛門はそっと距離を取らなければならなかった。
そんなわけで、その夜も四郎右衛門は広場の隅の方で体を横たわらせて、夜風に鼻を動かしながら、その中に混じる匂いを嗅ぎ分けていた。
ふと、四郎右衛門は鼻を動かすと、首を動かしてある方向を見る。
「……」
四郎右衛門の見る先には、広場からつながる細い路地があった。街灯と街灯の間にある路地には光が入らず、路地の奥は真っ黒な闇が渦巻いている。
「おい、そこの。隠れとるつもりか知らんが、さっさと出てこんか」
四郎右衛門は更に続けた。
「匂いが強すぎて、鼻が曲がりそうじゃわい。……
数秒の間、辺りは完全な無音になった。
やがて、路地の向こうで何かが動く音がした。
――ずしゃ、ずしゃ。
わざと足を引きずって歩くような音。
最初は一つだった音が、一つ、もう一つと増えていく。
四郎右衛門が見つめる先。
路地の向こうから、暗闇が人の形を取って現れた。
その後ろに、影が立ち上がったような人の姿が続く。
何十足もの靴底で地面をこするような音が、少しずつ近づいてきた。
「……エ…ン……シロ……ン」
先頭を歩く黒い影がしゃがれた声を発しながら、暗闇から街灯の下へと歩み出た。
見た目は10代くらいの少年。腕が地面に付きそうなほど背中を丸めて歩いているせいで、顔は影がかかって見えなかった。
しかし、その額からは鋭い角が空に向かって伸びていて、彼らが明らかに普通の人間ではないことを示していた。
「……シロ、エモン……ゴ、御用、オンミツ……我らの、テキ……」
一本角の方が顔を上げた。その目が不気味に赤く光る。
「人に隠れて生きる鬼が、ずいぶんとまあ、恥知らずに出てきよったわい」
四郎右衛門は、ゆっくりと体を起こすと、トコトコと鬼たちの前に進んだ。
「――」
何十体もの鬼を前に、四郎右衛門は何事もないように、ゆっくりした呼吸を繰り返している。
黒い毛に覆われた胴が上下に揺れると、四郎右衛門の足元を風が吹き抜けた。
四郎右衛門は呼吸を繰り返す。
小さく息を吐きだす度に、四郎右衛門の体を中心に風が辺りに吹き込め、次第に強さを増していく。
一匹の柴犬の呼吸に天が応じるように、風は渦を巻いて、巨大な竜巻と変化した。
四郎右衛門の三角の耳がピンと立ち上がり、まっすぐ前を向いた。
「……風遁・
四郎右衛門はただその場に立ち続けていた。しかし、竜巻を従える存在感は圧倒的で、まるで空気が重くなるかのようだった。
「さて、誰から相手になろうか、のう?」
その言葉を待っていたかのように、竜巻がゆっくりと動き出した。
唸りを上げて吹き荒れる風が迫る竜巻を前に、鬼たちが足を止める中、
「……」
先頭の鬼が両腕を前に突き出して、竜巻の中に飲み込まれた。
激しく渦を巻く風の中に放り込まれ、もみくちゃにされた鬼は、やがて全身が影のように真っ黒になると、竜巻の中で千切れて消えた。
それを見ていた鬼たちは、次々と暗闇に溶けるようにして消えていった。
「……去ったか」
四郎右衛門は誰もいなくなった広場に立ち尽くした。
あれほど吹き荒れていた竜巻もいつの間にか消え、空には星が輝いていた。
「四郎右衛門さま!大事はありませんか」
カエデが血相を変えて現れた。
右腕にはカエデの背丈くらいはありそうな、機械製の腕をぶら下げている。
「なに、所詮は斥候よ。ちいと脅かしたら逃げていきおったわ」
四郎右衛門は腰を下ろすと、余裕たっぷりにあくびをした。
「奴さんら、鬼になったばかりじゃのう。気の毒に、もう人間には戻れんぞ」
「彼らはやはり、鬼なのですか」
四郎右衛門はいかにも、とうなずいた。
「お前さんも見たことはほとんどなかったかのう。あれぞ、はるか昔より、人の世の影でうごめき、呪いと災いを撒き散らしてきた鬼に相違ない。最近は大人しくしとると思うておったが、あれほどあからさまに姿を見せてくるとは、のう」
「あいつらの狙いは、なんなのでしょうか」
カエデが言った。
「さあの。いずれにしても、鬼の活動が活発になってきておる。わしらも備えが必要じゃ」
四郎右衛門の目がキラリと光った。
「今日の試験で、気になる者を何人か見つけてのう。ちいと鍛えてやれば面白くなりそうじゃった」
カエデの前で、四郎右衛門は後ろ足で首筋を掻いてみせた。
「ああ、明日の試験が楽しみじゃて。のう」
フウマ忍者伝 擬雨傘 @unam93
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