3. 潜入(3)




 灯台の麓のベンチには先客がいた。

 白いフードを目深に被った、性別不詳の人影。

 ジュースを自分の隣に置き、レオン・リーの到着を待っている。


「おぉ、二日ぶりか」

 レオン・リーは自転車に乗って、ここに現れた。

 この白いフードの人物に会うのは、二度目だ。

 リリィ・スミスの世話係として潜入せよ、とボスの指令を持ってきたのは、この「白山羊しろやぎ」。

 

「お手紙と伝言があります」

 白いフードの人物は、軽く会釈を返してから話を切り出した。

 

 レオン・リーのボスは、重要な指令ほど形に残らないようにする。

 口伝えで通達するために、「白山羊」と協力関係を築いたといっても過言ではない。

 

「オーケー。隣、座らせてもらうよ」

 レオン・リーは自転車から降り、白いフードの自分とジュースの隣に腰掛ける。

 

「「カウシェン・ボーイズ」がリリィ・スミスの手によって壊滅したことを機に、弱小の組織が同盟を作る動きを見せている。「愛と平和」や「黒山羊くろやぎ」と並ぶ影響力は持たないと思われるが、今後のリリィ・スミス襲撃は激しくなると思われる」

「うっへぇ……」

 カンニングペーパーも持たずに、すらすらと読み上げる白いフードの人物の言葉に、レオン・リーは腕組みして溜め息を吐く。

 

「他組織からのリリィ・スミス襲撃について、我々は一切関与しない。襲撃の巻き添えで死にたくないなら、なるべく早く自身の手でリリィ・スミス暗殺を実行するように……とのことです」

 白いフードの人物の話し方に、あのボスの口ぶりが乗り移っていた。

「はーい。サクッと片付けろって話ね」

 レオン・リーは苦笑いを浮かべ、口元に手をやる。

 

「今日はこれからご出勤ですか?」

 白いフードの人物は、自らがつけている腕時計に目をやる。時刻は午前11時47分、もうすぐ正午になるところ。

「うん」

 リリィの世話係というものは、特に出勤時刻などは決められていなかった。

 夜行性のリリィが起きたら電話がかかってくるので、その電話が来てから自宅に向かえば良かった。

 

 そして今日は、まだその電話は鳴っていない。

 

「頑張って、ください」

 白いフードの人物は、そう言いながら立ち上がって、レオン・リーに一礼すると踵を返していく。

 その背中に向かって、レオン・リーは声をかけた。

「ありがとう」

 

 あの「白山羊」が言う「頑張れ」は、リリィ暗殺を頑張れという意味なのだろう。

 期待に応えたい気持ちは、もちろんある。

 だが、その傍らで、ここまで掃除と片付けしてきた部屋が無駄になる、と思うと癪に障る。

 

 レオン・リーの頭の中では、よくわからない感情が渦巻いている。


 つくづく人間とは、よくわからない生き物だ。


 

 


          *

 



 午後2時過ぎにリリィから電話がきたので、レオン・リーはリリィの自宅に向かった。

 

 寝惚けていて、いつも以上にふわふわしたリリィを横目に、レオン・リーは大量のゴミ袋を運び出す。

 

「ゴミを片付ける、ゴミを捨てる、ゴミを増やさない!」

 レオン・リーが、号令のように唱えた。

 何度もそのフレーズを唱えながら、まだ部屋の中に残っているゴミ袋を廊下に出している。

 

「ゴミを片付ける、ゴミを捨てる、ゴミを増やさない……」

 リリィはボソボソと唱える。

 全く乗り気ではない様子で、ゴミ袋に入っていないゴミをかき集め、用意してあるゴミ袋に放り込む。

 

「ちゃんと復唱する!」

 ボソボソ唱えたのが気に入らなかったらしいレオン・リーが強めに言う。

 

「ゴミを片付けるぅ、ゴミを捨てるぅ、ゴミを増やさないぃぃぃぃ」

 リリィは半泣きになりながら、やっと見えてきた床に落ちているゴミを拾う。

 

 レオン・リーの尽力と、リリィが泣く泣くゴミを捨てたことで、部屋は見違えるように視界が開けてきていた。


 片付け作業の間、レオン・リーはゴミの山に埋もれていた、リリィの推しグッズを空のダンボールに分けている。

 そのダンボールも満杯に近い。

 

 アクリルスタンドやポスター、ポーチのようなものなど、ぎっちり詰まったダンボールを抱え上げると、浮かない顔で片付け作業をしているリリィに見せてやる。

「このまま片付けできたら、リリィさんの推し、ライルのグッズを飾れるスペースが作れるようになるよ」

「えっ⁈」

 ゴミの中で見失っていた、たくさんの推しグッズを見たからか、リリィの声が跳ね上がった。

 

「片付けすれば、推しグッズがズラッと並んだ部屋に生まれ変われる」

 レオン・リーがぐいぐいっとダンボールを差し出すと、リリィはそれを受け取り、部屋をぐるっと見回した。

「こ、こ、この部屋にそんな使い方がっ⁈」

「そう! だから、片付け頑張ろうな!」

 レオン・リーは嘘くさいまでにニッコリと微笑んで、リリィの肩をポンと叩く。リリィは頭を大きく揺らして二回、頷いた。

 

 それから、リリィの片付けペースは目に見えて上がった。

 きちんと目的があって、その気になれば、サクサクと動いてくれるようだ。


 片付け作業はこの二日間に比べて、格段に進み、部屋の床がはっきり確認できるようになった。

 

 部屋の隅から、箒で大きなゴミや埃を掃き出す。

「ほら、部屋が綺麗だと落ち着かないか?」

「えっ、えぇぇ? こ、こんな虚無の空間に放り込まれて、困惑しかないのに……」

「全然理解できねぇ」

 リリィの戸惑っている様子に、レオン・リーは半分呆れ、半分首を傾げるしかない。



 

          *



 

 ゴミの片付けと床掃除は終わったのだが、おそらく何年も開けられることのなかっただろう冷蔵庫のドアを、レオン・リーは開けてみた。

 

「ぎゃあぁぁぁぁぁ‼︎ 冷蔵庫の中身が終わってるぅぅぅぅ‼︎」

 響き渡る大絶叫。

 レオン・リーは、力の限りを尽くしてドアを閉めた。


「冷蔵庫、なんかありましたぁ?」

 ゴミ袋をゴミ捨て場に運んで戻ってきたリリィは、のんびりと現れるなり、冷蔵庫の前で膝をついているレオン・リーに声をかける。

 

「食い物だったもののミイラが、山ほど……と、虫の死骸」

 そう話しながらも、この冷蔵庫の中身を片付けて掃除する手段を、レオン・リーは高速で考えている。

 

「冷蔵庫かぁ。うちにあったんだねぇ」

 かたやリリィは、ゴミを片付けて姿を現した冷蔵庫を、しげしげと見つめていた。


 長く住んでいるはずの住人が、冷蔵庫の存在を忘れてしまうほど、この部屋はゴミに溢れていた、というわけだ。

 

 その事態に、呆れを通り越して、薄ら笑いが浮かんでしまう。

 

「ちなみに……洗濯物ってどうしてる?」

 洗面所や風呂場は、物に溢れていたものの、最低限使用できる程度のスペースはあった。

 だが、洗濯物の山の中に埋もれた洗濯機の状態確認までは、まだ手が回っていない。


 どんな状態か想像しようとすると、嫌な汗がレオン・リーの背中を、じんわり伝っていく。

 

「洗濯、やったことない。服は、新しいのを買ってくればいいかなって」

 リリィは、座り込んだレオン・リーの隣にしゃがみ込み、大きな目を何度も瞬きして、首を小さく横に振る。

「どんだけセレブだ」

 眉間に皺を寄せ、レオン・リーは頭を抱えた。

「いやぁ……洗濯機の使い方、わからない、から」

「はーん? さてはあんた、生活能力はゼロに等しいな」

「うん」

 間髪入れずに、素直に頷くリリィの姿は、むしろ清々しい。

 レオン・リーは思わず吹き出してしまう。

「しょうがないなぁ。なら、少しずつ教えてやるわ」



          *


 

 脱衣所に放置されていた洗濯機の電源ボタンを押し、まず通電することは確認できた。

 

「ジェットはね」

 これが電源ボタンかぁ、と気の抜けた声で喋る合間に、リリィは急に話し出す。

 

「ジェットさんのことは呼び捨てなんだ?」

 冷静に考えると、レオン・リーのことは「お世話係さん」呼びであるし、「先生」のことは「先生」。この三日間、それ以外の人物の名前が出てくることが、なかった。

 

「初代お世話係なんだよ。でも、ジェットも掃除嫌いだから、全然片付かなくて、先生から役目を外されたの」

「あーはいはいはい、わかる」

 レオン・リーは思い出す。

 ジェットが事務所を構えているビルの一室。

 リリィの部屋に比べたら、よっぽどマシとはいえ、書類やら空き缶が乱雑に置かれていた。

 ジェットが、掃除ができる男には、とても思えない。

 

「でも、先生に聞くまでもないことは、ジェットに聞けばいいから、すごく楽になった」

 それを聞いたレオン・リーは、洗濯物を洗濯槽に放り込みながら、ぼんやりと考える。

 

 あまり重要なポジションの人間だとは思えなかったのだが、ジェットは、「先生」とリリィの橋渡しのために置かれた存在なのかもしれない。

 

 ホームセンターで買っておいた洗剤を投入して、スタートのスイッチを押すまでをリリィに説明しておく。

 リリィは、洗濯機を触るのは本当に初めてなようで、ボタンを一つ押すごとに歓声を上げる。


「お世話係さん、片付け好きなんだね」

 蛇口に繋いだホースから槽へ注水される、派手な水の音。

 その中で、リリィの高い声は少しだけ掻き消されてしまったが、辛うじて聞き取れた。


 レオン・リーは右上の壁に視線を遣る。すると、壁の隅に、埃まみれの蜘蛛の巣が張っているのを見つけてしまった。

「片付けが好きじゃないんだよ。やらずにいられないっていうか。……まぁ、生育環境のせいかな」

 近くにあったダスターモップを掴むと、柄の方で蜘蛛の巣を壊す。


 リリィは蜘蛛の巣のことなど全く気にせず、レオン・リーの横顔をじっと見つめている。

 話の続きを待っているのが、伝わってくる。

 

 柄についた蜘蛛の巣を、ダスターモップに装着していたお掃除シートで拭いながら、レオン・リーは言葉の続きを話す。

  

「俺、スラム街育ちで、ストリートチルドレンだったんだよ。別に珍しい話じゃないだろ」

 うん、と相槌が聞こえる。


 ポータラカ島は、貧富の差が激しい。

 どこの国の支配を受けていない代わりに、法律がなく、属している犯罪組織だけで通じるルールが全て。

 属している組織がなければ、何の後ろ盾も持たない、搾取され痛めつけられる側になる。

 

 だからこの島では、子供は常に弱者だった。

 

「スラム街で炊き出しやってる団体のおばさんが、俺とか俺の仲間をみんな引き取るって言い出して、みんな引き取ってもらったんだけど」

 犯罪組織の中でも、子供へ何かしらの施しをしようとするものがあった。それが、「愛と平和」と「黒山羊」。

 

 ストリートチルドレンだった当時のレオン・リーと仲間の面倒を見たのが、「黒山羊」のボスになったばかりのアマンダだった。

 

「大して広くない部屋に、十人以上が雑魚寝する感じ」

 それでも、子供同士で身を寄せ合っていた路地裏より広くて、清潔で、食いっぱぐれることはなくなった。


 一緒に引き取られた仲間のうち、何人かは逃げた。ボスは、そこまでして逃げる相手を深追いはしなかった。

 逃げていった仲間の行方は、もうわからない。

 

 弱者が嵐のような世間で生きるためには、強者が差し出す傘が、必要なのだ。

 

 

 這い上がりたいなら、傘を借りなさい

 その傘は、いつも差し出されるわけじゃないの


 

 それは、幼いレオン・リーの記憶に、強烈に刻まれた言葉。

 

 ボスは、ただのお節介なおばさんではない。

 「黒山羊」のボスなのだと、身に沁みて思い知らされた瞬間のこと。


 記憶を遡っていると、つい余計なことまで思い出してしまう。

 気を取り直すために、深呼吸する。

 

「誰かが散らかすとすぐ汚くなるから、それを片付けるのが俺の役目になったというか」

 言い終わってから、レオン・リーは自重気味に笑う。

 

「出したらしまう、汚れたら綺麗にするだけ。別に大したことじゃないんだけど」

「えぇぇぇ! めちゃくちゃすごいことですよ!」

 私にはできないです! とリリィは付け加えてくるが、

「あんたも、それをこれからやるんだよ」

 レオン・リーはサクッと一蹴する。

「えぇぇ……」

「出したものをしまう、汚れたら綺麗にする! はい復唱!」

「出したものをしまう、汚れたら綺麗にする……」

 レオン・リーの号令めいた発言に、リリィは項垂れる。


 


          *



 洗濯が終わったことを知らせるアラームが鳴る頃、リリィとレオン・リーは冷蔵庫の掃除に取り掛かっていた。

 レオン・リーが洗濯機のもとへ向かおうとした瞬間、インターフォンも鳴る。


 今まで、少なくともリリィの部屋で片付け作業していた時間、こうやって第三者に訪問されることは一度もなかった。


 「愛と平和」のメンバー。

 どこかの組織が派遣してきた暗殺者。

 はたまた、引っ越しの挨拶に来た新しい入居者。

 

 ――いろんな可能性が、レオン・リーの頭をよぎる。

 

 インターフォンが一度鳴った後、今度はコンコン、コココン、コンと、独特なリズムでドアをノックされる。


「あ」

 リリィはレオン・リーの横を駆け抜け、何の遠慮もなく、玄関のドアを開けた。

 

「こんにちは」

 現れたのは、孫に会いに来た気のいい祖父のような素振りの、「先生」。

 

「先生!」

「すぐに開けちゃいけないよ、っていつも言ってるだろう?」

 ぱぁっと華やいだ笑顔を見せたのだろう、声音が元気になったリリィが名を呼ぶと、老人は諌めるように言う。

「気配でわかるから大丈夫だよ」

 リリィは不服そうに頬を膨らませ、老人を部屋の中へ招き入れる。

 

「あぁ、君は」

 洗面所から玄関の方を覗いているレオン・リーの姿を、リリィの体越しに見つけた「先生」は、レオン・リーに声を掛けた。

「えーっと、何とか君」

 声を掛けたはいいが、名前が出てこないらしい。

「レオンです」「そうそう、そうだった」

 レオン・リーが名乗ると、合点がいったらしく、手を叩いた。

「年寄りはすぐ忘れちゃってダメだね」

 そう言いながら、リリィに先導された「先生」は、洗面所で固まっているレオン・リーの目の前で立ち止まった。


 老人の垂れ下がった瞼から、光のない黒い目がじっと見つめてくる。

 

 自分の正体を、正体どころか本質全てを見抜こうとするような、居心地の悪い眼差し。

 こんなに居心地悪い視線なのに、目を逸らすことができない。


 老人は口元に笑みを浮かべ、労わるようにレオン・リーの肩を叩く。

 

「こんなに部屋が綺麗になるなんて、びっくりだよ! すごいねえ、君は!」

 肩を叩き続ける老人の手の力は、思っていた以上に強かった。レオン・リーは叩かれるたびに、肩が揺れる。

 

「えと、あの、お茶とか……用意してきます」

 肩を叩く手をさりげなく取ると、老人はレオン・リーの肩を叩くのをやめる。

「あぁ、いいの、いいの。今日はリリィに用があって、このまま一緒に来てもらう約束なんだ」

「そうなんですね」

 わざわざ「先生」がリリィを迎えに来るということは、それなりに重要な案件であるのだろう。

 

「この子が仕事に専念できるように、これからもしっかり手伝っておくれ」

 老人はリリィの方に顔を向け、口元に穏やかな笑みを見せる。

 この場面だけ見ると、孫をかわいがる祖父にしか見えない。

「あとね、この子を死なせるようなことがあっちゃあ、いけないよ」

 老人の顔が再び、レオン・リーを向く。

「わかっているよね? ね?」

「はい。もちろんです!」

 また肩を叩き始めた老人に、レオン・リーは苦笑を噛み殺しながら応える。


「うんうん、ありがとうね」

 肩を叩くのを自発的にやめた老人が、リリィの方へ体ごと向けると、リリィが老人へ笑いかけた。

「今日は「黒山羊」のボスだっけぇ?」

「うん。頼むよ」

「はーい! わかった」

「よしよし、いい子だ」


 世間話をしながら、片付けをした部屋を見せて回るリリィと、それを嬉しそうに見ている「先生」の姿に、レオン・リーは軽く眩暈を覚えていた。

 

 口の中の水分が尽きてしまったかのように、カラカラになっている。


 


          *



 カジノ街で二番目に大きいカジノ「ザ・グレース・パレス」。

 そのフロアの中を、もつれそうな足を何とか動かして駆け抜けていく、レオン・リー。

 フロアの最奥にある、「従業員専用STAFF ONLY」と書かれたエレベーターに乗り込み、21階のボタンを連打する。

 21階は最上階。

 一般客用のエレベーターには、20階までしかボタンがなく、21階に行くには専用の非常階段を自力で登るか、この従業員専用エレベーターを使うしかない。


 21階に着いたエレベーターのドアが開くなり、レオン・リーはフロアの突き当たりにある煌びやかな装飾の扉を目指す。

 扉に設置された監視カメラが、レオン・リーの姿をしっかりと映している。

 

 扉に設置されたインターフォンを連打していると、自動で扉が開いた。

 レオン・リーはその扉を通り抜け、真正面にいる女の顔を見る。


 濃いブラウンの髪を一つに結い、黒いジャケットと鮮やかなブルーのワンピースを着た、派手なメイクをした中年の女。

 女がいるのは、専用のヴィンテージ品のデスク、と椅子。突然現れたレオン・リーをじっと見つめている

 

 女の名は、「黒山羊」のボス・アマンダ・グレース。

 

「やだ、「白山羊」も使わないなんて、何の用よ?」

 ボスは迷惑そうに顔を顰め、肩で息をしているレオン・リーに言い放つ。

 

「今日の予定はっ、全部っ、キャンセルでっ!」

 レオン・リーの言葉は、息切れしながら発せられた。

 リリィが「先生」の車に同乗していった後、すぐにボスに伝えなければ、とここまで走り続けてきたのだ。

 

「何を言うかと思えば」

 レオン・リーの態度とは裏腹に、ボスはつまらなそうに、自身の指先のネイルを眺めだしていた。

 

「リリィが、ボスを、狙ってる‼︎」

「あーなるほど。なら、余計にキャンセルしたらダメじゃない」

 レオン・リーがデスクまで駆け寄って、自分に注目するようにしても、ボスは知らぬ顔でネイルを見つめている。

「何でっ」

「暗殺計画が「黒山羊こちら」に漏れているとなったら、一番疑われるのはお前だよ、レオン・リー」

 ボスの目が、やっとレオン・リーを見る。と同時に、拳銃ハンドガンを模したハンドサインの指先が、レオン・リーを指していた。

 

「ボス、俺の身を案じて……?」

 慌てていたレオン・リーは、ボス暗殺計画が漏れたと知られた時のことなど、全く頭になかった。

 

「違いまーす。リリィをおびき出すのにお前が使えるかな、って閃いただけ」

 ボスの優しさだと一瞬でも思った分、さっぱり否定されると戸惑いしかない。

「誘き、出す?」

 レオン・リーは言われたことを繰り返す。

 

「リリィとの信頼関係ってヤツを見せてもらおうか」

「え?」

 そう言えば、前回の調査報告書に、「リリィと信頼関係は順調に構築できている」と書いた記憶がある。

「頑張って生き延びてね!」

 ボスは悪戯っぽく笑った。

 悪意など1ミリもありませんよ、と言わんばかりの顔だが、レオン・リーは言葉を失ってしまう。

 

 

 ボスは、自分のことをおとりか何かにしようとしている――



 

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リリィ・スミスについての調査報告書 卯月 朔々 @udukisakusaku

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