しっぽ6本目 走れ、勇気!

 やっと、放課後。

 今トイレの個室で、クラスのみんなが帰ってしまうのを待っているところ。

唯子ゆいこ様。ここにいてよろしいの? 公園で借表かりおもて様を待つのでは)

(今日はもう無理。朝にあんなことになっちゃってから、いろんなことがあり過ぎて)

 あれから恥ずかしくて教室に戻りづらかったし、みんなはなんかソワソワしてたし、借表かりおもて君の顔もなかなか見ることができなかったし。

(申し訳ございません。ワタクシがボケたことを言ったばっかりに)

(いいの、わたしの勇気が足りなかったから。でも、良いこともあったじゃない)

 みんながいっぱい話しかけてくれるようになった。アワアワしながら返事しても、嫌な顔しないで付き合ってくれた。借表かりおもて君も一緒に。でも銀子ぎんこさんは怖がって、わたしもみんなと話すのはもう限界だったからここへ逃げた。

(本当に良かったですわ。みなさん、唯子ゆいこ様のことを嫌いではなかったのですから)

 今までみんなは、わたしの性格に呆れていたと思ってた。でも話しをして分かった。そうじゃなくて、そっとしておいてくれてたんだ。とってもありがたかった。

(ちょっぴりの勇気でこんなに変わるなんて。自分でもびっくりしてる)

(少しずつでよろしいと思いますわ。ボケつっこみでしたけれども)

 銀子ぎんこさんと二人で、声を出して笑ってしまった。

               ◇ ◇ ◇ ◇

 誰もいない教室。借表かりおもて君も、帰っちゃった。今日はもうおしまい。残念だけど……。

 あれ? 借表君の席の下に。これは、黄色いお守り。落ちてる。

借表かりおもて君のお守り。いつも腰に着けてる」

 彼のお守り、初めて触った。普通より大きくてゴツゴツしてる。なんだろうこの感触。

「お守りのことは気づきませんでしたわ。彼のお顔ばかり見ていましたの」

「どうしよう。机に置いておこうかな。……でも」

 『でも』? いつものわたしならそう思わないはず。声をかけて渡すなんてできない。

 そうじゃない、違う。今、わたしがやらなきゃいけないのは。

 ちょっぴりの勇気よ。直接、渡さなきゃ。まだ間に合うかもしれない。

銀子ぎんこさん。もうちょっとだけ、わたしに付き合ってくれる?」

 あら。さっきから敬語を使うのを忘れてた。でも彼女は気にしてないみたい。急ごう。

借表かりおもて様を追いかけるのですね。どこまでもお付き合いしますわ!」

 わたしは走った。ありったけの思いを伝えたい。

「変身してジャンプします? あっという間ですわよ」

「明るいうちは目立つから無理よ」

 わたしは。

「自分の足で走りたい」

「まあああ! その意気ですわ。きっと、せい様に追いつきます!」

〈イラっ〉

 と、ちょっとだけした。そんな、下の名で呼ぶなんて。

せいって言わないでよ。わたしだって、せい君って呼びたいのに」

「どないせえっちゅうねん。そうお呼びになればよろしいのに、ですわ」

 わたしったら、借表かりおもて君のことで敏感びんかんになってるみたい。

「細かいことは気にしない! ですわ。ゴールへ向かって走るのみですの!」

「どこが100メートル走やねん。公園がゴールじゃないわ」

 お守りを! 渡してからがスタートよ!

               ◇ ◇ ◇ ◇

「もう走れない」

 東雲しののめ公園に着いた。息が、切れて、苦しい。は、早く見つけないと。

(た、たくさん人様がおられますわわわ。ム、ムリこわいですの)

 だから真似しないでって。銀子ぎんこさんは人の多さにまだ慣れないみたい。

 公園の真ん中は広場になっている。この中にいるはず。お願いここにいて!

唯子ゆいこ様! 借表かりおもて様です! あそこですわ)

 いた。望月もちづきの石碑のところに。そこは植木で囲まれていて見えづらかった。

 彼が帰らないうちに早く声をかけなきゃ。

(あの、なぜコソコソするのですか? 唯子ゆいこ様)

(なぜって。心の準備がガガガ)

 告白するって、こんなにドキドキするんだ。もっと、いっぱいの勇気がいるんだ。

 こんな気持ち、初めて知った。彼に気づかれないように、植木の陰にしゃがんだ。

 彼は石碑の周りをゆっくり、ぐるぐる回ってる。何をやっているんだろう?

(お声をかけづらいですわね)

(何かを探しているのかしら)

 ブツブツ言っている。わたしたちは聞き耳を立てた。

「ここに石碑があったなんて。それに結界が。なんで今さら気付いたんだろう」

((結界!?))

 借表かりおもて君は結界が分かる? それに、今さら気づいたってどういう意味?

 彼は、普通の人じゃない。あなたは何者?

「うーん。そんなことより、せめて清助せいすけさんの本物が拝めればなあ。このままじゃ怖くてできない」

清助せいすけさん!?)

(ゆゆゆ、唯子ゆいこ様! もしかして、仮面の!!)

 本物って言った。ペルソナのこと? 借表かりおもて君となんの関係が?

 それに『怖くてできない』。変なことばかり言ってる。

借表かりおもて様がそんな。唯子ゆいこ様…申し訳ありませんが、ワタクシは彼に疑問がございます。警戒してしまいますわ。もしかして、ペルソナを)

 銀子ぎんこさんの声が、まじめ。そんな……そんなの、認めたくない。

 わたしは、いつの間にか立ち上がってた。ボーゼンとしてしまって。

「びっくりした。望月もちづきさん、いつからそこに?」

 見つかった。自分で姿を見せたんだけど。マヌケだわ、わたし。

「告白するために」って言えない。借表かりおもて君が、どんな人かわからなくなった。

「あ、あの。お守りを落としたので、届けに……」

 お守りを見せた。

「あれ、いつの間に。ありがとう。ぼくがここにいるってよく分かったね」

 どう説明しよう。「おばあちゃんが借表かりおもて君をよく見かけていたから」っていうべき?

 もし、もしも借表かりおもて君が望月もちづきの石碑にいたおばあちゃんを知っていたら。

(ペルソナを奪おうとしているのだとしたら、看恵みえ様が狙われるかもしれません。どうか秘密でお願いしますわ)

「た、たまたま、です。偶然…」

 それ以上、言葉が見つからなくて。

「あ。も、もしかしてぼくの声、聞こえた?」

 声がうわずってる。焦っているような。

「何も、何も聞こえなかったけど……きゃっ!」

 ムリこわくてあとずさりしたら、つまづいて尻もちをついちゃった。痛い。

「大丈夫? ほら」

 借表かりおもて君が右手を。手…借表かりおもて君の、手。

 彼の顔を見たら。その目は、何も企んでいないように見える。けど。

 恐る恐る右手で、彼の手を握ると……暖かい。そのまま引っぱられて立ちあがった。

「小さい……望月もちづきさんの手って、こんなに小さかったんだ」

 そんな! 握り返してくるなんて。借表かりおもて君、そんな。

 頭が真っ白。そんなドキドキすること、しないで……。

「ぼくは男としては手が小さい方だけど。女の子のはみんな、こんなに小さいのかな」

 なんて優しい目。わたしの顔と、手を行ったり来たり見つめてる。

「わ、わたしは、特に背が小さい方だから…借表かりおもて君は、その、手は大きいと思う」

「……ありがとう。うん、うん……」

 ドキン! 心臓が!

 借表かりおもて君の左手が、握られたわたしの手の上に、ふわっと重ねられて両手で包まれた。

(あら? そんな、これは。ですの)

「あっゴゴゴごめん! 迷惑だった?」

 手を離された。わたしはボーっとして、自分の右手を左手で覆った。

 何も言えなくて、顔が熱くて。もっと包んでいてほしくて。

 ──涙が。

「あの、お守りは渡したから!」

 告白どころじゃなかった。涙を見せないように、逃げるしかなかった。

望月もちづきさん! ありがとう!」

 聞こえた「ありがとう」は彼の本心だと思いたい。けど、何を信じていいか分からなくなった。振り返らず、返事もできずに走った。

               ◇ ◇ ◇ ◇

「で、うちまで走って来たのね。ふぅ。銀子ぎんこ様も、ずいぶん暗いですし」

 わたしは沈んだ気持ちで東雲しののめ公園で起こったことを、おばあちゃんに話した。

 彼の手と優しい目が、暖かかった。わたしの手を大事に包んでくれた。そんな人が。

「わたし、借表かりおもて君がペルソナを狙ってるなんて思いたくない」

「彼は妖力を持っているのかしら。銀子ぎんこ様はどう思われますか?〝清助せいすけさんの本物〟も気になるし」

看恵みえ様。分からなくなりましたわ。借表かりおもて様の手から、霊力を感じましたの」

「え? 妖力じゃなくて?」

「霊力を持つ者がペルソナのことを調べている。となると借表かりおもて様の目的がなんなのか」

 やだ、銀子ぎんこさん。もっと不安になることを言ってる。

 石碑には望月家代々もちづきけだいだいって刻んである。わたしがその一族だと借表かりおもて君は気づいたはず。

 そうじゃなくて、本当は最初から知ってたとしたら。

 剛田ごうだ君から助けてくれたのも、イヤーカフを褒めてくれたのも、引っ込み思案な性格でも優しくしてくれたのも。ペルソナのため?

銀子ぎんこさん……疑いたくなるようなこと言わないで」

 わたしは、かなり情けない顔をしていたみたいで。

「そんな顔をなさらないで。彼の霊力はとても澄み切っていましたわ。欲望だらけの悪の心ではそうはなりません。ですから、ワタクシには分からないのです」

「それなら妖力じゃないのも分かる。でも銀子ぎんこ様。最初から彼の霊力を感じなかった?」

「ええ。そうですわ。何か疑問でも?」

「となると、借表かりおもて君の霊力は弱い。あそこは念のために結界を強めたのよ。だから彼は気づいた。それから、唯子ゆいこの手を握ったからイヤーカフの結界にも気づいたはず」

「「あ!」」

 銀子ぎんこさんとハモった。と、いうことは借表かりおもて君は。

「あの、おばあちゃん。彼、イヤーカフのこと何も言わなかった。わざと?」

「言えなかったのかも。借表かりおもて君、独り言が聞こえたか気にしてたのよね。彼にも、言えない秘密があるのよきっと。でもよこしまでは無い。澄んだ霊力だから」

 そう思ってもいいのかな。

銀子ぎんこさんのことも感じたのかな。それも分かってて言わなかった?」

「それはないでしょうね。彼の霊力だとよほどのことが無い限り気づかないはず。ただ、手を繋いだ唯子ゆいこが感じた暖かさは信じていいと思うわ。大事なのは、あなたの気持ち」

 わたしは、借表かりおもて君が好きで好きでたまらない。

 今、その気持ちだけははっきりした。わたしがやらなきゃいけないことは。

 いえ、わたし自身がやりたいこと。

「わたし、借表かりおもて君に聞いてみる。本当のこと、言ってくれるか分からないけど」

唯子ゆいこ。彼の心を探るのは辛いでしょうけど、今は我慢してちょうだい」

 そう言っておばあちゃんはテーブルにカレーとサラダを並べ始めた。もう夜の七時。

「さて、夕食にしましょ。今夜は唯子ゆいこの好きなメイプルカレーよ」

 辛口カレーに隠し味のメイプルシロップの香り。絶対ガッカリしないおばあちゃんの味。

唯子ゆいこ様。あの、その、カレーとやらはどんなお味ですの?」

 銀子ぎんこさんは妖狐ようこだから食事をしないんだっけ。でも興味があるんだ。

「食べてみる? 変身したら銀子ぎんこさんもカレーの味が分かるかも」

 ──銀子ぎんこさんはとても喜んでた。「おいしいですわ、辛いですわ」って涙を流しながら。わたしの涙だけど、よっぽどおいしかったのね。あ、辛いから泣いたのか。

 おばあちゃんは、ケモ耳娘みみむすめがカレーを食べるのを見て。

シュールありえない……」ってつぶやいた。

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