水を飼っていた弟
崩菜
水を飼っていた弟
弟は、生き物を買うのが趣味だ。
始まりは、俺が小学校2年生で、弟が5歳の時。
母親が職場の人からもらってきた3匹のメダカである。
水槽の中をすいすいと泳ぎ、落ちてきた餌をぷわぷわ食べる姿に、弟は魅了されたのだろう。
残念ながらそのメダカは1年ほどで全滅してしまったが、それからというもの、弟は生き物を飼育することにハマり始めた。
近所の原っぱでダンゴムシを、小学校の中庭でトカゲを、隣町の雑木林でカマキリを、捕まえては虫かごに入れ、手厚く世話をしていた。
友達からもらったカブトムシの幼虫を、立派な成虫に育て上げたこともあった。
虫や蛇が苦手な俺からすれば、何が楽しいのかさっぱり分からない。
小学校の中庭で捕まえたトカゲは、弟曰くカナヘビというらしい。
至極どうでもいい。
そんな弟が、小学2年生になったころ、また妙な生き物を飼い始めた。
水だ。
ミミズじゃない。水だ。
水道から出てくるような、普通の水。タンブラーグラスに半分ほど注がれている。
それを、弟はコップに入れて『飼っていた』。
何の変哲もない、ただの水。声を発することも、色が変わったりすることもない。
もちろん、俺だって初めから信じていたわけじゃない。
最初は、弟の冗談だと思っていた。
弟が「水」を飼い始めてから1週間くらい経ったころ、俺は弟と「水」について話し合ったことがある。急に無機物を飼育しだしたもんだから、学校でいじめられているのではと勘繰ったからだ。
しかし話を聞く限り、学校生活にも普段の生活にも問題はなさそうだった。
「なんでお前はあんな変なことしてるんだ?」
「変じゃないもん。すぐそこの公園の水たまりで捕まえたんだから」
「……水は生き物じゃない。そんなもの飼うなんて普通じゃない」
弟はふてくされた顔をして、「水」の入ったコップをこちらへ突き出してきた。
水面が波打っている。
一定の周期で、ゆたゆたと。
まるで心臓の鼓動のようだった。
指でそっと触れてみる。
ぱしゃ、と揺れ動いて指先から逃げた。
……まさか、本当に生きているとは。
あれから弟は、変わらず水を飼い続けている。
両親が見たら不気味に感じると思うので、俺以外には「水」のことを言わないようにと釘を刺しておいた。
「水」のエサは水だ。
一日に小さじ一杯ほどの水を、コップに入った水に入れ、割りばしでかき混ぜる。
毎朝30分ほど朝日を浴び休日はペットボトルに移し替えて散歩にも行っていた。
弟は時々、「水」の入ったコップをこぼしそうになる。背の高いグラスに入れているからだ。俺は「水」をもっと大きなカップに移し替えればいいのではといった。弟は首を振った。
「大きなコップに入れるとその分大きくなって、乱暴な性格になっちゃうんだって」
「水」を飼い始めてから、2か月ほどたったある日。
弟が2階のベランダで水を日向ぼっこさせているとき、夕立が降ってきた。
1階でテレビを見ていた弟が雨に気が付いた時にはすでに遅く、コップは倒れ、中の水は全て流れ出てしまっていた。
その晩、弟は泣いていた。
水が死んじゃった、死んじゃったと、涙を流しながら泣いていた。
愛情を注いでいたのだから、それは悲しかったに違いない。
ぐずる弟を寝室まで連れて行き、眠りに落ちるまで見てやっていた。
弟の横顔を見ながら、俺は「水」のことを考えていた。
『大きなコップに入れるとその分大きくなって、乱暴な性格になっちゃうんだって』
大きなコップ、か。
「水」は本当に死んでしまったのだろうか。
もし生きていたとしたら、雨に混じった「水」は道路を流れ、下水道に入る。
下水道には大量の水があり、その分大きくなった「水」は、処理場を通り抜けて海へ流れ出る。
海へ流れ出た「水」はさらに水を吸って凶暴に……。
……やめよう。
嫌な想像を振り払い、俺は目をつむった。
雨音のやけにうるさい夜だった。
水を飼っていた弟 崩菜 @aobatoyes
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