第12話 幼なじみに感謝を

 ルートリの領域から現実世界に帰ってくるのは、いつも憂鬱だった。体ごと領域にいられるのだから、このままいられたらいいのに、と何度思ったことだろう。


 けれど今は自分の意思で戻って来た。ノエに気持ちを伝えるために。


「んっ〜」


 しかし慣れというのは怖い。私は目覚めてすぐに、目をつむり、耳を塞ごうとしてしまった。ルートリの領域から帰ってくると、いつも侍女たちが待ち受けていたからだ。

 助言を受けたか受けていなくても、その事実のみがお父様に伝えられ、問答無用に本城へ行く準備をさせられる。それが彼女たちの仕事だと知っていても、憂鬱そうな顔を目覚めに見るのは気分が良くなかった。


 けれど耳に飛び込んで来たのは別の声だった。


「おはようございます」


 侍女たちの声にしては低い。けれどよく通った声だった。そう、甘く透き通った声に、私は思わず横たわった体を向けた。


「ノエ?」


 一瞬、まだ夢の中にいるのかと思った。

 ノエの銀髪が、柔らかな日差しに照らされて輝いて見えたのだ。さらに緑色の優しい瞳を向けられたものだから、思わず名前を呼んだ。本当にノエなのかと。


 夢は時に願望を見せてくれるもの。それはルートリの領域であっても同じことだった。ノエに会って今の自分の気持ちを伝えたい思いが募り、見せた幻なのかもしれない。


 そうでなかったら、こんなにも早くノエに会うなんてあり得ない。だってここは離宮……ではなかったんだわ!


「どうしたんですか? そんな驚いた顔を……」

「私、さっきまでルートリの領域にいて」

「はい。お通しした客室にリリアがいなかったので、思わず邸宅内いや、離宮にまで探索を広げてしまいました」

「え? あぁ、風の微精霊に頼んだのね」


 私はルートリの領域に招かれると、体ごと移動してしまうから、驚くのも無理はないわ。逆にそこまでして私を探していたことに驚き、体を起こした。


「いえ、そういう話ではなく、離宮に帰らなくては……お母様に」

「叱られることはございません」

「どうして? 謁見の間から離れたのだって、挨拶しなかったのよ」


 また礼儀がなっていない、と愚弄されてしまう。あの冷たい青い瞳が、ノエの後ろから見えるようで怖かった。


「あれは非常事態でしたから大丈夫です。それに僕も両陛下に挨拶せずに立ち去ったわけですから。リリアが怒られるのなら僕もです。けれどあの場に残った父上からは何もありませんでした」

「それは……」


 パルディア公爵はノエを嫌っていないもの。


 そう口にすれば、さらにノエが心配すると思って言えなかった。ううん。悪く言っているようにも聞こえるから、余計に。


 私はかぶりを振って話題を変えることにした。ちょうどノエが重要なことを言ってくれたから。


「つまり、パルディア公爵が帰宅された、ということ?」

「あ、はい。お伝えするのが遅くなりましたが……会われますか?」

「……今は、いいわ」


 離宮やお母様たちの様子、あとなんだったっけ。そう、婚約の話。ラーキンズ公爵のことも……あったわね。

 それらをパルディア公爵から詳しく聞く必要があったけれど、今はノエと話をしなくては!


「っ! そうですよね。そうですよね。父上に今のリリアを見せたくはありませんから、安心しました」

「今の……私?」


 突然、何を言っているのかと思い、その言葉通りに自分の体を見た。途端、私は恥ずかしさのあまり頭から布団を被った。


 ど、どうして服がパジャマになっているの!? 確か、私はそのまま眠りについたはずだから……!!


「安心してください。風の微精霊たちがいるように、夢見の微精霊たちもいるんです。上位存在であるウェルディアとルートリ様はあまり交流がないようですが、微精霊たちは違いますので。彼らを経由して、リリアの服をルートリ様にお渡ししました」

「……どうしてそんな手間のかかることを?」


 わざわざパジャマに着替えさせなくてもいいと思うのだけれど。


「う〜ん。それは僕が見たかったからです」


 ナニヲイッテイルノ?


「すみません。言葉の綾です。本当は、我がパルディア公爵邸にお泊りになった既成事実を作りたかったのです。ラーキンズ公爵対策として」

「……私は王城から出たこともない世間知らずだけど、そんなことをしなくても既成事実は作れるのではなくて?」

「き、気分を害されたのなら、今から着ていたドレスを持ってきます」

「ノエ? 私はそういうつもりで言ったわけではないのよ」


 それなのにノエは、どうやら私が怒った、と思っているらしい。昔からちょっと変わったところがあったけれど……そういうところは変わっていないのね。


 いつも茶菓子を持って来てくれるから、お返しにと思って刺繍したハンカチを渡したら、テーブルクロスほどの大きさの布を持って来たほどだから。

 離宮に回される予算が少ないのを知っているのか、「貴重な布をいただいたので」と言って。もしくは、私の刺繍が気に入らなかったのかもしれない。だから練習用の布を大量に持って来てくれたのだ。


 あれから随分と練習したから、また送ってみようかな。今回のお礼にしては、足りないけれど。


「勝手に服を変えられたのが嫌だったの。それもパジャマに」

「つまり、パジャマ姿を見られたのが嫌だった、ということですか?」

「……うん」

「っ! では、今すぐ出て行きますので。いや、父上とお会いになるなら、やはり服を――……」

「ま、待って、ノエ!」


 私は慌ててノエの服の袖を掴んだ。


「パルディア公爵も今日はお疲れなのでしょう? 私たちが去った後の処理を、恐らくされていたのでしょうから。だから、会うのは明日の方がいいのではなくて?」

「確かに父上は疲れて帰ってきましたが、リリアの頼みなら連れて来ますけど」

「……落ち着いて、ノエ。パルディア公爵も休息が必要だとは思わない?」

「でも僕は、リリアの望みを叶えたいんです」


 そうだった。ノエはいつだって私を優先にしてくれた。昔も、今日の謁見の間でのことも含めて。


 それをずっと、私が王女だから、愛し子だから、そうなのだと思っていた。けれど告白を受けて、そうじゃないことを知った。ずっと気づかなかった自分が恥ずかしくなるくらい。


「今、望んでいるのが、ノエとの対話だとしても?」

「僕、とですか?」

「そうよ。そのために、ルートリのところから急いで戻って来たの」

「僕の……ために?」


 噛み締めるように言うものだから、少し恥ずかしくなった。そういえば、あのハンカチを渡した時も、こんな反応だった気がする。


「ルートリから聞いたの。私の結婚のことでラーキンズ公爵が名乗り出てしまうかもしれないから、今回の助言……いえ茶番劇を起こしたって。それを提案したのがノエ、だとも」

「……すみません。強引な手を使った、というのなら、僕もラーキンズ公爵と何も変わりませんね。リリアの意思を無視したのですから、お怒りもごもっともです」

「私は怒ってなどいないわ。むしろ感謝をしているのよ。仮にラーキンズ公爵と結婚したら不幸しか待っていないもの。それを見過ごすお母様でもないから」


 ノエが名乗り出ても、パルディア公爵家の力だけでは恐らく覆すのは難しいだろう。


「だから、ありがとうと伝えたかったの。まだノエの気持ちに応えられるか分からないけれど、私のために頑張ってくれて、本当にありがとう」

「っ! そのお言葉だけで十分です」


 涙ぐむノエを見て……大袈裟だよ、と思ったけれど、胸にしまっておいた。だってノエの頭に手が伸びてしまったのだから、そう言ったのも同然だった。

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