第10話 その舞台裏では……
「ノエ。リリア王女様を離宮にお送りしたのか?」
帰宅した父上は出迎えに来た僕を見て、意外だとでもいうような口調で尋ねてきた。
恐らくエントランスにいたのが僕と家令だけだったからだろう。そう推測するのも無理はなかった。
「まさかっ! 今、王城に帰したらどんな目に遭わされてしまうのか分からないのに、そんな安易な行動を僕がするとでもいうのですか? 父上だって、想像できるでしょう」
「王妃様は執念深いからな。不慮の事故を装ってまでも、リリア王女様を……」
消したがっている、と続けようとした口を、父上は手で覆った。そして辺りを見渡して、誰かを探しているようだった。
「大丈夫ですよ。リリアは客室に通していますし、すでに寝てしまいましたから」
「そうか。なら良かった。いや、良くない! 何だかその呼び方は! 不敬――……」
「にはなりません。リリアにそう呼んでほしいと言われましたので」
「……そうか。リリア王女様はお前の本当の姿を知らないから。まぁいい。今後も知られないように気をつけなさい。婚約して早々、破棄されたくなければな」
「っ! ということは、上手くいったのですか、父上!」
思わず一歩前に出て、手に持っていた父上の上着を後ろに投げる……わけにはいかなかったため、家令に手渡した。
「あまり大きな声を出すな。いくら客室にいるといっても、騒動を聞きつけてこちらにやって来たらどうするんだ」
「そ、そうですね。すみません。しかし!」
「お前の逸る気持ちも分かる。とりあえず場所を移してからだ。いいな」
話題が話題なだけに、エントランスというだだっ広い場所で話すことではなかった。
リリアに告げ口をするような使用人や、王妃様やラーキンズ公爵のスパイがいるとは思えない。が、念には念を入れなければ、いつ足元を
リリアを本格的に守るのなら、常に脇を固めておかなければ、僕自身も安心できないからだ。
僕は頷くと、すぐにエントランスを後にする父上の後ろ姿を追った。
***
そうしてやって来たのは父上の執務室。扉を開けると、相変わらず整理整頓が行き届いた、清潔感が溢れる室内だった。さすがは我がパルディア公爵家の使用人たち。きちんと仕事をしている。
風の精霊ウェルディアと代々契約をしているせいか、呼び出したと同時に風が舞い上がるため、掃除を
埃は舞い上がり、書類もまた……。ペーパーウェイトを置き忘れただけでも大惨事になってしまう。それは壁に設置している本棚も同じで、扉をつけておかなければ、書類と同じようにバラバラにされ兼ねなかった。
だから、いちいち開けるのが面倒とは言っていられないし、掃除も手間だと思われても仕方がない。嫌なら、別の家に行けばいい。まぁ行けるのならば、の話だが。
けれど入った途端、普段の執務室とは違う印象を受けた。
「あれ? 父上、
「何を言っている。今、帰ってきたばかりだというのに、できるわけがないだろう」
「しかしジャスミンの香りがしますよ。このエキゾチックな甘い香りは間違いないと思います」
「何?」
僕の鼻がおかしい。もしくは嘘をついていると思ったのだろう。父上は執務机の方へと歩いて行った。いや、正確にはその奥にある大きな窓に向かって。すると、それを阻むように強い風が吹いた。
「ちょっと! 何をしようとしているのよ!」
案の定、風の精霊ウェルディアが現れた。謁見の間で現れた時と変わらず、遠慮のない口調で。
「勿論、換気だ。ここはまだ、私の執務室なのでな。勝手なことをされては困る」
「何よ、拗ねているの? 貴方とは契約を解除したけれど、蔑ろにしたつもりはないわ」
「だが、ジャスミンの香りはノエのためにしたのであろう?」
「そうよ。ノエったら、リリアと再会してから浮足立っているんだもの。この邸宅に送った後、貴方がどれだけ苦労したのか。落ち着いて聞いてもらいたくて用意したのに。それを換気しようとするなんて」
失礼しちゃうわ、とウェルディアはそっぽを向いたが、執務室から出て行くわけではなかった。
静かに、父上の緑色の瞳とウェルディアの緑色の瞳が交差する。
「……私が悪かった。ウェルディアの気遣いに腹を立てて」
「ううん。私もごめんなさい。ノエと契約しても、この部屋はまだ貴方のだったことを失念していた私も悪いのだから」
「すまないな。本来なら、ウェルディアと契約したら爵位も譲り、この執務室を明け渡すのが、代々の習わしなのだが……」
「僕が父上に頼んだから、ウェルディアが混乱したんですよね。謝るのなら僕もです。確かに舞い上がってしまっていたので」
謁見の間で、久しぶりに肉眼でリリアを見ただけなく、会話までしたのだ。さらにあの華奢な体に触れられて、その上……落ち着いていられるわけがなかった。
「でも、ノエの予想通りだったわね。リリアがあの場に居続けたら、ルートリの機嫌がさらに悪化して、交渉どころではなかったと思うから」
「あぁ。しかしウェルディアと契約をしていない、ただの精霊士に、リリア王女様を預けるほど、寛大なお方ではない」
「けれどリリアとの婚約話は、爵位を持った者でないとできません。いくらなんでも、そんな大役を同時にこなすことは……さすがに無理ですからね。交渉を父上にお任せして正解でした」
そう、これは前々から入念に計画したことだった。リリアにとっては突然の出来事だったのかもしれないが、僕にとっては九年間の成果でもある。
ルートリ様に認められることが、リリアを手に入れる第一歩だったからだ。そのためには精霊士となり、ウェルディアとの契約は必須。
リリアはサビルース王国の王女だが、夢見の精霊の愛し子であるため、保護者としての立場は国王よりもルートリ様の方が強かった。
そしてルートリ様の望みはリリアの幸せ。まさに僕の望みと合致している。であるならば、交渉は容易かった。
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