第9話 九年間の想いを全て貴女に

 それからは後悔の日々だった。

 何度、離宮へ謝りに行こうとしたことか。しかし王城に足を向ける度に、踏み込む度に、「どうして謝るの? 何に対してのことだか分からないわ」というリリアの素っ気ない幻聴が聞こえて、僕は背を向けた。


 いっそのこと、罵倒してくれればいいのに、僕が恐れているのはそこじゃない。無関心だ。あの薄紫色の瞳に映らなくなるのが怖かった。


 でも今なら言ってもいいだろうか。リリアの瞳には僕がちゃんと映っているから。


 僕は隣に座るリリアに向かって、ずっと胸の内に抱いていた言葉を口にした。


「正直に言って、リリアに嫌われていると思っていました」


 ここはパルディア公爵邸の応接室。謁見の間から我が家の庭園に移動した後、僕はリリアを屋敷の中へ案内した。

 始め、格式張った場所は苦手だろうからと、客間に行こうと思ったのだが、リリアは王女だ。やはりここは応接室の方が適切だと判断した。

 王城での扱いなど、我が家には、いや僕には関係ない。しかし当のリリアを見ると……やっぱり落ち着かないようだった。とはいえ、客室にすると王女の立場を蔑ろにした、と思われるのは困る。あいつらと一緒にされるのは不本意だし、何より僕の心が耐えられそうにない。


 だけどまぁ、王女でなくてもリリアはリリアだし。リリアである以上、僕が蔑ろにするわけがないんだけど。


 それでも僕の言葉を聞いて、目をパチクリしている姿を見ると、昔を思い出して頬が緩みそうになった。勿論、可愛いのは言うまでもない。


「どうして? 私の方こそ、ノエに嫌われたのだと思っていたわ」

「ぼ、僕がリリアを!? 嫌うなんて有り得ません!」


 あまりの衝撃に僕はソファーから立ち上がって抗議をした。そしてさっきまで座っていたソファーの前に跪いた。正確にはリリアに向かって。


「どうか、そんな考えをしないでください」


 できれば一秒足りとも!


「確かにここのところ、いえ九年間、会いに行かなかったことは謝ります。けれどそれはリリアを守る力を得るためだったんです。あの時の僕は何もできなかったから」

「それは……乳母が去った出来事、よね。だけどあれはノエが原因ではないのよ。貴方が責任を感じる必要はないのに」

「分かっています。僕もあの頃と違って子どもではありませんから。王妃様が乳母を気に入らなかったことや、その内情も知っています」


 そう王妃様はただ、リリアを不幸にしたくて仕方がないのだ。すでに親子という概念は頭になく。自身の立場を傷つけ、中傷する欠点を与えたリリアが幸せになるなど、あってはならないと思い込んでいる。


 だからリリアのためにアレコレと面倒を見る乳母が邪魔だった。何とか排除できないか、と思っていた時に僕の存在を知って利用したのだ。


 まさかこの僕がリリアの足を引っ張っていたとは……自分自身を許せそうになかった。


「しかもそのせいで、九年間もリリアを一人にさせてしまいました。この責任は僕にあるんです。だからその責任を取らせてください」

「でも……貴方のような人に、私みたいなハズレを引かせるわけにはいかないわ」

「っ! 誰がハズレなど!」


 思わず立ち上がると、リリアの息を吞む声が聞こえた。と同時に怯えた顔が目に入る。


「すみません。好きな人をハズレだと言われて、つい感情が高ぶってしまいました」

「え? 好きな人って……私のこと?」


 さすがに「誰が、誰を?」と言わないでくれたことに感謝した。昔のように跳ね返されたら、立ち直れそうにないからだ。


 僕は再びリリアの横に座った。ゆっくりと優しく。なるべく口調にも気をつけて。


「先ほど言いましたよね。会いに行けなかったのは、リリアを守る力を得るためだと。僕は長年、離宮から、そして王妃様の手から救い出したかったんです。ずっと。そのくらいリリアが好きで、想い続けてきました。だからどうか、この気持ちを受け取ってもらえませんか?」

「……ありがとう。だけど私……」

「あぁ、すみません。僕が性急過ぎました。リリアはずっと僕をただの幼なじみとしか、考えていなかったのに」


 すぐに受け入れろ、とはそもそも無理な話だ。僕がリリアの立場だったら、素直に頷けたかも分からない。


「ごめんなさい」

「いいえ、リリアが謝ることはありません。ただ今は一つだけ受け入れてください。僕の婚約者になることを。いえ、違いますね。僕をリリアの婚約者にしてください。そうしなければ、王妃様はラーキンズ公爵との結婚を進めると思います」

「っ! それは私が拒否したから?」

「はい。失礼ですが、王妃様はリリアを不幸にしたがっています。そうしないためにも、僕を利用してください。僕はリリアが幸せになるのでしたら、どんな扱いを受けても構いません」

「だ、ダメよ! 私のせいでノエの人生を台無しにさせるわけにはいかないわ!」


 本当にお優しい。ご自分の立場よりも僕のことを考えてくれている。だから僕はリリアが好きなんだ。


「九年間前から僕の人生はリリアのものです。貴女が幸せになれるのなら、僕はいくらでも協力します。だからリリアは幸せになることだけを考えてください。それが僕の幸せに繋がるので」

「どうしてそこまでするの?」

「好きだからです」


 それ以外、何の理由があるのだろうか。

 けれどリリアは戸惑いながら、今度こそ理解できない、とでもいうように僕を眺めた。


 あぁ、なんて可愛いんだろう。今すぐ、その小さな唇にキスをしたい。ダメだ。いきなりそこは! ならば、その横にある白い透き通った頬ならばいいだろうか。


 一瞬、リリアの頬に伸ばしそうになった手を下げた。想いが成就したわけではないのだから、そんなことをした途端、嫌われるかもしれない。

 だから僕は、膝の上にあるリリアの手を取った。


「今はまだ理解できなくても構いません。僕の気持ちを知っていただければ十分です。だから僕を好きになってもらうことも、要求しません」

「え? それでは不公平になってしまうわ」

「それでいいんです、今は。無理に僕を好きだと装われるよりも、心から好きなってもらうことの方が、何倍も嬉しいので」

「ノエ……」


 僕はラーキンズ公爵とは違う。恩着せがましい行為はしたくないのだ。


「だから婚約者になったら、好きになってもらうように努力をするので、覚悟してくださいね」


 リリアの手を引き寄せて、そのまま甲に口づけをした。ゆっくりと、味わうように。

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