第2章 前途多難な恋

第6話 募り過ぎた想い

「もう目を開けても大丈夫ですよ」


 腕の中にいるリリアに向かって、優しく声をかける。けれどリリアは怖かったのか、僕の上着を掴んだまま顔を上げてもくれなかった。


 一応、承諾は得ていたものの、精霊による移動は初めてなのだろう。ルートリ様はウェルディアと違って、滅多なことでは現実世界に姿を現さない。


 さらにリリアはずっと寂れた離宮にいたのだ。ルートリ様以外の精霊と出会うことも、侍女以外の人間と出会うことさえ、あまりなかったはずだ。

 だから怖さと共に驚いたのかもしれない。


 なだめたり、慰めたりしたいけど、まだ婚約者でもないからな。それでも頭に触れてもいいだろうか。すでに抱きしめている時点で何を言っているのか、といった感じだけど……。


「……の、ノエ」

「はい!」

「腕を……」


 言われた通り自分の腕を見るが、何もない。リリアの華奢な体に、ただ触れているだけだった。


 やはり満足に食事をさせてもらえていないのか、細い気がする。そうだ。正式に婚約したら、我がパルディア公爵家に来てもらおう。


 婚約期間中に、相手の家に住むのは別に変なことではないから大丈夫だろう。父上を説得して国王陛下に。

 離宮に住まわせていたくらいだから、事は簡単に運ぶだろう。うんうん。


「離して……」

「えっ、何故ですか?」


 苦しそうに言うリリアに、僕は戸惑った。離してと言われるくらい、嫌われることをしただろうか。


「息が……できない、から」


 ハッとなり両手を離す。すると、リリアは崩れるようにその場でしゃがみ込み、小刻みに呼吸を繰り返した。


「すみません。つい……」


 愛おしくて、というのはマズい。今も苦しそうな姿を前に抱きしめたくて堪らないからだ。

 これ以上、困らせて逃げられでもしたら……!


「再会が嬉しくて。あと、受け入れてくださったのも含めて」

「それはこちらのセリフよ、ノエ。あの時、貴方が名乗り出てくれなかったら、今頃どうなっていたか、分からないもの」

「……ご存知なかったかと思いますが、実は前々から、ラーキンズ公爵はリリア王女殿下を狙っていたんです」


 まぁ、僕も人のことを言えた立場ではないけれど、ラーキンズ公爵とは違い、妻帯者ではないから。


「それは養女にしたい、という話ではなかったの?」

「養女の話は表向きで、本音は妻にと考えていたようです」


 この事実を知れば、リリアが傷つくのは目に見えていた。だから秘密にしておきたかったのだが、リリアはラーキンズ公爵に好意的だから、余計に知ってほしかったのだ。

 矛盾だと分かっていても、これを機に警戒心を高めてもらいたかったからだ。

 案の定、ゾッとしたのか、リリアの顔が青くなる。


「そんなっ! これまで私に良くしてくれたのは、そんな下心があったからなの?」

「ラーキンズ公爵は先代の愛し子である妹さんのことを、とても大事にしていたそうですから。同じ立場であり、よく似たリリア王女殿下を手元に置きたかったようです。恩恵を受けていた、という理由もあるでしょうが、それ以上の感情も向けていた、との噂もありました」

「もしかしてそれは、ウェルディア様の力で調べたの?」

「はい。諜報活動は我がパルディア公爵家の十八番おはこですから」


 ウェルディアは風の精霊であるため、どこからともなく情報を拾ってくるのが特徴だった。本人が噂好きなのも相まって。


「詳しい話をお聞きになられますか?」

「……いいの? パルディア公爵家にとっても、極秘なのではなくて?」

「リリア王女殿下は、その、今後……いや、未来の公爵夫人となられるわけですから、当然の権利かと」


 まだはっきりとした返事はもらっていないけれど、このくらい言ってもいいよな。謁見の間から離れても、この場から立ち去られないのだから。うんうん。


「リリア」

「え?」

「リリアと呼んで。正式な場以外で敬称を付けられるのは、あまり好きではないの」

「そう、でしたか」


 しかし離宮にいる侍女たちは、リリアをそう呼んでいた。ということは……なるほど、そういうことか。ますます婚約したら、我がパルディア公爵家に来てもらわないと、な。


「ほ、他に要望は?」

「今のところそれだけだけど……そうね。ここはどこなのかしら」

「すみません。僕の配慮が足りませんでした。ここは我がパルディア公爵家の庭園です」

「へ?」


 すると、謁見の間の時と同じように、手で口元を隠した。まるでいけないことをした子どものような顔をして。


 その理由を僕は知っている。王妃様が嫌がるのだ。

 元々、リリアにいい感情を向けていないから、余計に癇に障るのだろう。「へへへ」と可愛く笑う仕草さえも、下品だといい、躊躇なく扇を振り上げるのだ。


 その場に僕がいれば止められるのに……!

 いつも知るのは、風の微精霊たちが持ってくる情報を通してからだった。


 すぐさま駆けつけたくても、無断で王城の敷地内にある離宮に足を踏み入れることはできない。手続きを踏まなければならないのだ。

 一応、隠し通路はあるけれど、見つかった途端、侍女が王妃様に告げ口をして、リリアが被害に遭い兼ねない。唯一の味方だった乳母も、そうして排除されたのだから。


 そう、僕があの時、余計なことをしなければ、リリアは離宮で独りぼっちにならずに済んだんだ。

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