第5話 幼なじみと風の精霊

 幼なじみ、というノエの言葉を、心の中で反芻はんすうさせる。


 私にもそう呼べる間柄の人物がいたことに、胸が熱くなった。ルートリとは別の特別な存在。同世代に友と呼べる人物がいないから、とても嬉しく感じた。


「ノエ……」

「っ! そうです。ノエです。覚えていてくれたんですね」

「えぇ。だって、小さい頃の楽しかった思い出には、常にノエがいたから……当然じゃない」


 離宮に住まいを移されて間もない頃、乳母がこっそりと同世代の子どもたちを連れて来てくれたのだ。

 その中でもノエは、最後まで会いに来てくれた貴重な友人……ううん、幼なじみだった。


「では、僕を受け入れてもらえますか?」

「それは……」


 思わず言葉に詰まった。

 いくら幼なじみでも、再会したばかりですぐに結婚相手だなんて、認識するには難しく。さらに私の記憶にあるノエは、幼い頃のままだったからだ。

 加えて今のノエを取り巻く環境、立場を知らない状況で受けていいのか、正直に言って戸惑ってしまう。


 立候補してくれたのだから、ノエの立場が悪くなることはないんだろうけど。それでも……!


 するとノエは心得たように頷いた。


「相変わらずお優しいのですね。けれど問題はありません。この度、精霊士となったので、リリア王女殿下をサポートできるようになりましたから」

「まぁ! 精霊士に!? おめでとう、ノエ」


 確か、パルディア公爵家は四大公爵家の一つで、風の精霊ウェルディアと代々契約している。だからノエも、父親の後を継いで契約するのだと、幼い頃によく語っていたのだ。


 それがようやく……まるで自分のことのように嬉しかった。


「ありがとうございます。それで失礼でなければ、この場をお借りしてもよろしいですか?」

「えっ? 私は構わないけど、ルートリが」


 いや、この場合はお父様の許可かしら。でも精霊同士の相性もあるだろうし……。


「何を言う。ここはリリアの結婚相手を決める場だ。ノエの力量を、私を含め他の者も知りたいだろう。遠慮なくウェルディアを呼ぶがよい」

「寛大な御心に感謝いたします」


 ノエはルートリにボウ・アンド・スクレープをした後、目を閉じた。

 するとノエを中心に風が発生し、天井に向かって舞い上がっていく。始めは緩やかだった風が次第に勢いを増し、本来見えるはずのない風が色を成して、やがて人の形に。

 それも、黄緑色の髪をなびかせた美しい女性となって姿を現した。一見、ルートリと似た神秘的な雰囲気をしているが……。


「ちょっと! 呼び出すのなら、もっと空気のいいところにしてちょうだい!」


 口を開けば残念な美人さんだった。

 緑色の瞳でノエを睨みつける。が、ノエもまた、同じ色の瞳でケロッと返す。


「でしたら、連れて行ってもらえますか? 空気のいい場所に」

「あら、いいの?」

「はい。できれば、リリア王女殿下も」

「え? 私も?」


 全く状況が掴めず、私は大慌てになった。

 だって今、私の結婚相手というか、婚約者選びをしている最中なのに、ここから離れる……だなんて、何を考えているの?


「ダメよ。当事者がいなくなったら、その、色々と困るのではなくて?」

「大丈夫です、よね、ルートリ様」

「あぁ、問題ない。リリアからも悪い感じを受けないのでな。これはもう、ノエでいいのではないか、と私は思っている」

「へ?」


 思わずはしたない声を出してしまった。


 いけない。こんな声を出したらお母様が……お母様がお怒りになられる……!


 咄嗟に手を口元に置き、目線を玉座の方へ。向けなければいいのに、確かめざるを得なかった。案の定、お母様の青い瞳が私を射抜くように睨んでいる。


 顔を背けたいのに、目を瞑りたいのに、それすら怒りを買いそうで出来なかった。すると突然、視界が遮られ、代わりに目に入ったのは、美しい銀色の糸で縫われた刺繍だった。


「リリア王女殿下。ルートリ様もあぁ仰っていますので、僕と一緒に空気のいい所、いえ穏やかになれる所へ行きませんか?」


 至近距離でノエに話しかけられて、初めてそれが彼の上着であることに気がついた。

 私の視界を簡単に防げるほどの身長差。心地よい、甘やかな誘い。思わず震えそうになっていた手を、銀色の刺繡の上に重ねた。


「本当に、この場から離れてもいいの?」


 周りに聞こえないほどの声で尋ねる。そう、ノエにだけ聞こえるほどの声で。


 もしもノエが立候補してくれなかったら、この場はどうなっていたのだろうか。お父様が反対していても、結局はラーキンズ公爵に押し切られていた可能性もある。


 ラーキンズ公爵家は代々ルートリと契約していた家門だから、余計に。今だってルートリが何を考えているのか、よく分からないのだから。

 風の精霊ウェルディアを召喚してから、さらに状況が読めなくなってしまった。


 この場に……いたくない!


「そのためにウェルディアを呼んだ、としたら怒りますか?」

「どういうこと?」


 けれどノエは、私を引き寄せただけで答えてくれなかった。代わりに別の人物に話しかける。


「申し訳ありませんが、リリア王女殿下の体調も優れないようなので、このまま空気のいい所へ行こうと思います。父上、後のことを頼んでも構いませんか?」

「勝手なことを、と言いたいところだが、我がパルディア公爵家はウェルディアの意思を無下にはできない。彼女がここから離れたい、と言うのであれば、それに従いなさい」

「ありがとうございます、父上」


 その承諾と共に、私とノエは強い風に包まれた。いや、正確に言うと囲まれた、に等しい。

 ノエは私が吹き飛ばされないように、さらに強く抱き締める。私もまた、銀色の刺繡が施されたノエの深緑色の上着を握り締めた。


 しかし、精霊が引き起こした風だからだろうか。体が浮いても、不思議と怖くは感じなかった。夢で何度も、ルートリにそうしてもらっていたからかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る