第3話 愛し子の存在
離宮の前に停まっているのは、本城からやって来た馬車。
私はそれを前に、青いドレスを握り締めた。
二頭の黒い馬に繋がれた、どんよりとした空に似合う、灰色の荷台。王女とは思えない暮らしをしている私に相応しい外装、と思いきや実はそうではないのだ。
黒い馬には、荷台と同じ灰色のイヤーネットと馬着が被せられているばかりか、それぞれ金色の刺繍が施され、荷台も同様の美しい模様が金色で描かれていた。
荷台の色はともかく、それはまさに王家の馬車である証。
金色は、現国王を象徴する色なのだ。つまり、これは王女として本城に来ることを意味しているわけだが、内情は夢見の精霊ルートリの愛し子として、が大半を占めている。
けれど私は気にせず、後ろに控えていた侍女二人と共に馬車に乗り込んだ。
「夢見の精霊様からの助言をいただいたのは、九十七日振りとのことですが、作法は覚えておいでですか?」
「……一般の謁見と一緒でしょ? 大丈夫よ」
それよりも、日数を覚えている方が怖い。いや、助言を受けたことを本城に報告しているのだから、記録もまた残っているのだろう。
だけど、他に言い方ってものがあると思うけど……。
「何を仰るんですか。私たちがリリア王女殿下に仕えているのは、助言を見逃さないことなんですよ。それと同時に、謁見のマナーだって――……」
「分かっているわ。貴女たちが私に仕えているわけではなく、監督と監視をしていることくらい。だから今日、何も予定がなかったのに、本城へ行くことになったのでしょう?」
そう、お父様への謁見は今朝、決まったことだった。私がルートリの領域へ行ったことを侍女たちが知ったからだ。
彼女たちの役割は、私の世話の他にもう一つある。
「ルートリ……夢見の精霊に呼ばれたら、私の体もまた、領域へと行ってしまうんだから」
つまり、ベッドからいなくなってしまうのだ。そして翌朝には戻っている。だから侍女たちは夜な夜な私の部屋に入り、いることを確認しなければならなかった。
ルートリの領域に行ったことイコール助言を受けた、と思っているからだ。ただルートリが呼んだだけであっても、お構いなしに通報するのだから嫌になってしまう。
けれどそれほどまでにルートリの助言、いや予言の力は強かった。私を疎んでいても、頼りたくなるほど。
「お父様も凄いわね。色々とお忙しいでしょうに。ルートリの都合に振り回されて」
「今回も助言ではない、と仰るんですか?」
「……どうかしら。今回は私宛の助言だから、何とも言えないわ。それを助言と受け取るかどうかは、お父様が決めることだから」
「そう、ですね」
私に決定権がないように、侍女もまた同じ立場だった。ルートリとお父様に振り回される、という意味では。
***
馬車に揺られること、二十分。本城に到着した。
侍女たちは相変わらず口煩かったが、それはいつものことである。離宮に住んでいても、私の母は王妃なのだ。
みすぼらしい恰好、無礼な振る舞いで行くわけにはいかない理由が、そこにあった。また、愛し子としての立場もある。
サビルース王国は精霊に守られている国だからだ。四大公爵家にはそれぞれ精霊士がいて、契約している精霊もまた、爵位と同じように継承されている。愛し子もまた同様に。
だから、ルートリと契約している公爵家もあるのだが、それは……。
「アルデラーノ・ラーキンズ公爵」
私はたった一人の出迎え人の名前を呼んだ。そう、私と同じ、薄紫色の瞳をしたラーキンズ公爵の名を。
「リリア王女殿下、お待ちしておりました。是非、このアルデラーノに、謁見の間までのエスコートをさせてもらえませんでしょうか」
「……相変わらず律儀ですね。こちらこそ、お願いいたしますわ」
本来ならルートリの愛し子は、ラーキンズ公爵家の者がなるはずだった。代々、精霊士と愛し子は対、または交互に選ばれ、担ってきたからだ。その家門ごとに。
けれど何故かルートリは私を愛し子に選んだ。サビルース王国の王女として生まれた私を。
だから結果的に、ラーキンズ公爵家からその役割を奪ってしまった、というのに。何故か、私に友好的だった。
「ありがとうございます」
私はラーキンズ公爵の腕に手を置いて、本城へと入っていった。
***
「リリア・サビルース王女殿下の御成りです」
その号令と共に、私はラーキンズ公爵から手を離し、前を見据えた。精霊に守られし国に相応しいレリーフが描かれた、重々しい扉を衛兵が開ける。
目の前に広がるのは、赤い絨毯。
両脇には、貴族の面々が連なっていた。私の歩みの後から入って来たラーキンズ公爵が、その列に加わる。それも最前列に立つのだから、思わず視線を向けそうになった。が、それはその先にいる者に対して、失礼な行為に値する。
私はただ、前だけを見て進んだ。お父様とお母様のいる御前に向かって。
「今日、そなたを呼んだ理由は分かっているな」
挨拶もなしに本題に入る国王陛下こと、お父様。私は頭を下げて跪いているため、顔を見ることができない。
けれど金髪から覗く金色の瞳は恐らく、家臣に向けるのと同じくらい冷たいものなのだろう。声がそれを物語っていた。
「はい。昨夜、夢見の精霊に呼ばれましたので」
「して、今回はどのような助言を受けた」
それは、と口を開けたが、言葉が続かなかった。ここに来る前はちゃんと用意していたのに、大勢を前にして恥ずかしくなったのだ。
国のための助言なら堂々と言えるし、助言を受けなかったのならなかったとも言える。けれど……。
「どうした? 何故、答えない」
「陛下。助言を受けなかったこともあったのですから、今回もそうだった、ということではないのでしょうか」
隣に座るお母様が優しく諭す。けれどこれを真に受けてはならない。飽くまでもお母様は、お父様に言っているのであって、私をフォローしてくれたわけではないのだ。
以前、勘違いをしてお母様を怒らせたことがある。乳母が傍にいないのは、それが原因だった。
「リリア、そうなのか?」
「いえ、助言は受けました。しかし、とても私的なことなので……言っていいものなのか迷ってしまいまして……」
「それを判断するのは、お前ではない。陛下である。分をわきまえなさい」
ほらね、お母様は未だに私の存在を許さない。ルートリのお陰で生きていられるけど、今にも存在を消したがっているのが、嫌でも肌に突き刺さる。
だから穏便に済ませようと、すぐさま口を開く。が、私の感情に敏感な存在が姿を現した。
「わきまえるのはお前の方だ」
玉座と私の間に、この世のものとは思えない美しい存在が降り立った。私と同じエメラルドグリーン色の髪に薄紫色の瞳をした、精霊ルートリが。
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