第5話 消費者教育
◆グレードアップ
客の少なくなる時間を見計らって、粕原さんは友人とファミレスに出かけた。
店員は出てこなかった。
「ほら、客やで」
粕原さんは奥に声をかけた。
水を出す女店員の手が震えていた。
「話し合いは、食事の後や。今日はステーキにしようかな」
こんな機会でもなければ、ステーキなどにはありつけなかった。時間をかけて、堪能することにした。
「お下げしても、よろしいでしょうか」
店員は訊いてきた。
「はい。いいですよ。ご苦労様」
粕原さんは、やさしく店員をねぎらった。
「あと、お紅茶もいただこうかしら」
せっかくの食事なのに、友人はそわそわと落ち着かなかった。
◆深謝
「先日は、大変失礼いたしました」
紅茶を飲んでいると、店長が出てきた。
「私も少し言い過ぎたかな。で、本部には報告したん」
店長は白衣のポケットから封筒を取り出した。
「これは、ほんのお詫びの気持ちです。どうかお納めください。わが社のグループ店で使える食事券になっています」
粕原さんは封筒の厚みを確かめた。薄っぺらだった。
「結局は、自分とこで食事してもらおうちゅう魂胆かいな。身を削ってでもお詫びしようという気持ちはないのかいな」
粕原さんはテーブルを叩いた。
「どうかしましたか」
ガードマンだった。
「休憩時間の案内板が出ているのに、声がしたものですから」
◆プライバシー
ガードマンは粕原さんに気づいた。
「また、あんたか」
粕原さんは立ちあがり、ガードマンに詰め寄った。
「どういう意味よ。ウチが何をしたっちゅうの。事と次第によっては、承知せんで」
ガードマンは粕原さんを椅子に戻した。
「いや、その…。また店で失礼なことでもあったのかと」
ガードマンはしどろもどろになった。まさか、店員周知のことであっても、そこにいるのが万引き常習者、和製ピンクパンサーだ、などとはおくびにも出せなかった。プライバシーは個人情報保護法によって、固く守られている。
店長が先日のいきさつを説明した。
「ウチら、そんな仕打ち受けたんや。まあ、反省して謝ったから、この間は引き下がったけんどな」
粕原さんはガラケーの写真を見せた。店長と店員が土下座しているものだった。
◆悪運
ガードマンの表情が変わった。
「これは強要罪ですよ。ご丁寧に写真まで撮ってくれている。こういう写真をSNSに投稿して逮捕された人は多いのですよ。あんたの悪運も尽きたかな」
ガードマンは薄ら笑いを浮かべた。
「なんやねん。そのSNSとか強要なんとかとか。日本語でちゃんと説明せえ」
怒り狂う粕原さんを女店員が遮った。
「違うんです。悪いと思ったので、私から土下座して謝ったのです」
「ボクもそうでした」
店長だった。
クーリングシェルターから出ると、めまいがするような暑さだった。
粕原さんは汗を拭き拭き、前かがみになって団地に急いだ。
「それにしても、あのクソガードマンの顔、見ものやったなあ」
「そうよねえ、粕原さん。ガードマンこそ土下座させたかったなあ」
友人も社会勉強を積んできた。しかし、初学者は危険だ。
「そんなことしたら、SNSで捕まる言うとったやろ」
助言を忘れない粕原さんだった。
友人には粕原さんより情報通信に関する知識があった。しかし、間違いをいちいち指摘するような、ヤボなことはしなかった。
和製ピンクパンサーⅡ 山谷麻也 @mk1624
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