帰らぬ主人を待つ幽霊執事の噂

水曜日のキャロル

短編:帰らぬ主人を待つ幽霊執事の噂

 深い森の中、何十年も誰も通らなくなった忘れ去られた道の果てに、古びた屋敷がひっそりと佇んでいる。この屋敷はかつて名門貴族ホーンティング家の繁栄の象徴であったが、今では「幽霊屋敷」として地域一帯で恐れられている。鬱蒼と茂る木々に囲まれたこの場所には、かつての栄光を偲ばせる影もなく、ただ暗い過去が囁かれている。


ホーンティング家の主であるエドガー・ホーンティングは、戦争のために徴兵され、戦地で名誉の死を遂げた。エドガーの死の報せが届いたその日、屋敷の中は絶望と悲しみに包まれた。エドガーが帰還することを心待ちにしていた妻エミリアと娘エリザベスの心は引き裂かれ、泣き崩れる姿が廊下に響き渡った。


エドガーに対するヴィクターの忠誠心は並々ならぬものだった。ヴィクターは幼い頃、孤児として路上で過ごしていたところをエドガーに拾われ、この屋敷に迎え入れられた。

エドガーは彼を息子のように育て、教育を受けさせ、執事としての務めを教えた。

ヴィクターにとってエドガーは恩人であり、彼のためなら命を捧げる覚悟があった。




その悲しみがまだ冷めやらぬある晩、屋敷は突如として恐怖の舞台となった。

深夜、窓ガラスを割って侵入した賊が家中を暴れ回り、エミリアとエリザベスを無惨にも殺害した。彼女たちの悲鳴は夜空に消え、廊下は血の海と化した。

エミリア夫人は娘を守るために必死に抵抗したが、力及ばず、エリザベスの小さな体は冷たくなっていった。

エミリアの最後の視線はヴィクターに向けられ、その目には絶望と謝罪が宿っていた。


忠実な執事ヴィクターは、彼女たちを守ろうと必死に立ち向かったが、多勢に無勢であった。

賊に襲われ、瀕死の状態で倒れた彼は、エドガーの懐中時計を最後まで握りしめていた。その時計は、エドガーが家族の元に戻るという最後の希望を象徴していた。

ヴィクターが息絶えたその瞬間、屋敷全体が不気味な静寂に包まれた。

彼の忠誠心と絶望は、この場所に永遠に刻み込まれた。



 廃墟となった今でも、この屋敷には数々の恐ろしい噂が伝わっている。

夜になると、エミリア夫人とエリザベス嬢の悲鳴が屋敷中に響き渡り、訪れた者は誰もいないはずの廊下で不気味な足音を聞き、影に追いかけられるという。

廊下を歩けば、突然背後に冷たい風が吹き、何かがささやく声が聞こえてくる。

窓には血の手形が残り、鏡にはエミリアとエリザベスの怨霊が映ると言われている。



 地域の人々は、この忌まわしい屋敷を取り壊そうと何度も試みたが、解体工事が始まるたびに原因不明の事故が相次いだ。

作業員は足場から落ち、機材が突然故障し、作業現場で不気味な声が聞こえるなど、次々と不幸が訪れた。

ついには解体作業中に突然大きな火が上がり、現場は混乱に陥った。

消火活動が行われる中、作業員たちは誰もいないはずの部屋からエミリア夫人の悲鳴を聞いたと言う。

火はすぐに消えたが、その時には作業員の一人が行方不明になっていた。

彼の工具だけが現場に残され、跡形もなく姿を消した。


まるで亡霊が彼を連れ去ったかのようだった、と現場にいた人々は語る。



 これらの出来事が重なり、屋敷の解体はついに諦められた。地元の人々は口々に「この屋敷に触れるな、亡霊が怒っている」と恐れを抱き、幽霊屋敷としての存在は瞬く間に広まった。



 今でも、深夜になると、屋敷の中から幽霊執事ヴィクターの哀しげな囁きが聞こえてくる。

彼は死してなお、エドガーの帰りを待ち続け、訪れる者を屋敷に引き込もうとしているかのようだ。

窓辺に立つ彼の姿を見た者は、彼の深い悲しみと絶望に引き込まれ、決して逃れることができないという。


果たして、誰がこの屋敷に足を踏み入れる勇気を持つだろうか?



 ある晩、その噂話を確かめるために三人の若者がその屋敷を訪れた。彼らは薄暗い森を抜け、崩れかけた門をくぐり、朽ち果てた屋敷の前に立った。月明かりに照らされたその屋敷は、まるで死者の眠る墓場のような不気味な静寂に包まれていた。


「こんな夜にここに来るなんて、俺たち正気じゃないな」と一人が不安そうに呟いた。


「でも、本当に幽霊がいるかどうか確かめたいだろ?」ともう一人が興奮気味に答えた。



 扉を開けると、古びた木材が軋む音が響いた。内部はまるで時間が止まったかのように静まり返っており、埃とカビの臭いが鼻を突いた。彼らはランタンの灯を手に、一歩一歩慎重に廊下を進んで行った。その先に待ち受けるものを知らぬまま。


やがて、一室の扉がひとりでに開いた。暗闇の中から冷たい風が吹き込んできた。若者たちは互いに顔を見合わせ、無言でその部屋に足を踏み入れた。そこはかつての応接室で、豪華な家具が埃をかぶって並んでいた。


突然、背後の扉が音を立てて閉じた。彼らは驚き振り向いたが、そこには誰もいなかった。ただ、部屋の中央には先ほどまでなかった男の姿が現れた。彼はボロボロの燕尾服に身を包み、古びた懐中時計を手にした執事の姿をしている。その男の目はまるで生きているかのように輝いていた。


「いらっしゃいませ、お客様」と、執事は微笑みながら言った。

「エドガー様はまだお戻りになっておりませんが、どうぞお待ちいただけますでしょうか?」


若者たちは恐怖で凍りつき、もう一人の友人は息を呑んだ。ヴィクターの姿は朧げでありながら、確かにそこに存在していた。彼の手に握られた懐中時計は、不気味な音を立てて時を刻んでいた。


ヴィクターの視線は遠くを見つめ、過去の出来事を語り始めた。

「エドガー様が出征されたとき、私はただただ無事を祈っていました。しかし、あの日、戦死の報せが届きました。エミリア夫人とエリザベス嬢の涙に包まれた悲しみは言葉にできません。その直後、あの恐ろしい夜が訪れました。」


ヴィクターの目に悲しみの影が浮かぶ。

「賊が屋敷に押し入り、私は彼女たちを守ろうとしましたが、何もできませんでした。目の前でエミリア夫人とエリザベス嬢が無惨に殺され、私もまた命を落としました。しかし、私はエドガー様の帰りを信じ、最後の瞬間まで彼の懐中時計を握りしめていました。」


若者たちは言葉を失い、ヴィクターの話に聞き入っていた。その瞬間、部屋の温度が急激に下がり、彼らは寒さに震えた。ヴィクターの背後にエミリア夫人とエリザベス嬢の無惨な姿が浮かび上がり、彼女たちの苦痛の叫び声が響き渡った。


「どうぞ、こちらへ。」

ヴィクターは静かに若者たちを食堂へと誘った。そこはかつてエミリア夫人とエリザベス嬢が家族と共に過ごした場所であり、今もその痕跡が色濃く残っていた。食卓には埃が積もり、椅子は倒れたままだった。


ヴィクターは静かに語った。

「エドガー様は、直にお戻りになれます。その間にどうぞ、お茶でも召し上がってください。」


突然、部屋の温度が急激に下がり、若者たちは恐怖に駆られた。ヴィクターの背後にエミリア夫人とエリザベス嬢の無惨な姿が浮かび上がり、彼女たちの苦痛の叫び声が響き渡った。ヴィクターはその光景をじっと見つめ、微笑みを浮かべたまま立ち尽くしていた。


「お客様も、どうぞこの屋敷でごゆっくりエドガー様の帰りをお待ちください。」

ヴィクターの声は穏やかだったが、その背後には底知れぬ哀しみが潜んでいた。


その瞬間、若者の一人が突然、目の前に現れたエミリア夫人の幽霊に引き倒された。彼の悲鳴が屋敷中に響き渡り、他の二人は恐怖で震え上がり、必死に逃げ出そうとした。しかし、廊下の奥から何者かの足音が迫ってきた。重いブーツが床を叩く音が近づいてくるたびに、彼らの心臓は激しく鼓動した。


「ここから出よう!」と、一人が叫んだ。


だが、扉を開けようとするも、扉は固く閉ざされていた。背後から迫る足音とともに、彼らは一斉に振り向いた。そこには、エリザベス嬢の幽霊が目を大きく見開いて立っていた。彼女の顔には絶望と恐怖が刻み込まれており、その目は彼らをじっと見つめていた。


「お帰りにならないでください…」

彼女の囁きが耳元で響いた。その声は冷たく、心の底から凍りつくような恐怖を感じさせた。


若者たちは震えながら再び廊下を走り出した。後ろからはヴィクターの哀しげな囁きが追いかけてくる。


「どうか、お帰りにならないでくださいお客様。直にエドガー様が、お戻りになりますから。」


彼らが外に出ると、屋敷は再び静寂に包まれた。遠くから見ると、窓から漏れる灯りは消え、再び闇に飲み込まれていた。しかし、誰もが知っている。あの屋敷には今もなお、ヴィクターという執事が徘徊し、主人の帰りを待ち続けていることを。


 それ以来、その屋敷を訪れる者は途絶えた。

ヴィクターの幽霊は、今もなお忠実に屋敷を守り続け、主の帰りを待ち続けていると言われている。もしあなたがその屋敷に足を踏み入れたなら、ヴィクターが歓迎して迎えてくれるだろう。


そして、エドガーの帰りを共に待つことになるだろう。

永遠に。

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