第3話
寝床は真っ暗にならなかった。
おばあちゃんが、薄く扉を開けっぱなしにしたからだ。
ほんのり光が差し込む世界は、とても心地がいい世界だった。少しだけ空気の流れがあるけれど、身体が飛ばされるほどのものじゃない。外からやってきた空気が、中の淀みを絡め取って、またふわふわとどこかへ旅に出る。
ああ、今すぐに探検に行きたい! この寝床を、あちこち見てみたい!
あたしは、体を動かした。こうしたら早く体が離れないかな? って思って。
だけど、体はピトッとくっついたまま。強引に離れようとしたら、怪我をしそう。
時間が経つにつれて、どんどんと光は弱くなっていった。
トントントン、と優しい音が聞こえて、なんだか騒がしい音――あたしは知ってる。あれは、テレビの話し声――がした。
しばらくしたら、トコトコトコって優しい足音がして、すぅっと扉が閉まった。
もともと、明るくはなかった。けれど、小さな光すら届かなくなって、あたしの周りは真っ暗闇になった。
空気の流れが、なくなった。
あたしはついにこの時が来た! って、すっごくうれしくなった。
ワクワクし始めたら、もう、止めることなんてできない!
この後、体が離れたら、何をしよう。
ダンスは、絶対! 他には……他には?
ワクワクしていたら、体がポワンって熱を帯び始めた。
熱は光になって、あたしは少し、ほんの少し、輝いた。
「なになに? このあと、どうなるの?」
正直を言えば、経験したことがないことだったから、少し怖い。でも、光を放つほどのワクワクは、あたしの心の中の〝怖い〟を退治する。
ぽろん。
体がようやく、靴から離れた!
あたしはよろよろと、輝く体を動かし始めた。
どんどんと、熱くなる。
どんどんと、光が強くなっていく。
あたしはひとり、光の粒を放ちながら、はじめてダンスを踊った。
嬉しい。
楽しい。
幸せ!
あたしはそれから、おばあちゃんの家の、靴の寝床を住処にした。
おばあちゃんが近づいてくる音がしたら、扉が開いてもその強風で飛ばされない、奥の隅っこに隠れて過ごした。
そうして、しばらく経った、ある日のこと。
おばあちゃんの靴に、妖精仲間がついてきた。
あたしは、その妖精仲間の体が靴から離れるまでの間、ひたすらに妖精仲間に〝この場所のすばらしさ〟を伝えた。
「本当にあったんだ!」
「そうなの。ここは、あたしたちにとっての、最高の場所なの!」
延々話をしていたら、仲間の体が靴から離れて、こてん、と尻もちをつく。
あたしは妖精仲間の手を取って、ここなら地に足をつけて舞えるからって、だからダンスをしようって誘った。
仲間はにっこり微笑んで、あたしと一緒に、ぎこちなくダンスを踊り始めた。
真っ暗闇の靴の寝床は、あたしたちの光で眩しく照らされた。
キラキラと輝く塵が、あたしたちと共に舞い踊る。
おばあちゃんは、出かけるとよく、仲間を連れて帰ってきた。
あたしたちは靴の寝床の隅っこで、わいわいと楽しい日々を過ごしていた。
でも、ある日突然、幸せな世界に霧が立ち込めた。
ううん、違う。突然じゃない。予感はあった。
なかなかおばあちゃんが靴の寝床を開けてくれなくなったし、誰かが開けてくれたと思ったら、ただ靴を取り出すだけだったりした。
それから、淀みを感じるほどに、扉が開かない日が続いた。
ついに、再び靴がやってきたと思ったら、恐ろしい臭気。そして、あちこちを痛めつける砂埃。
「おばあちゃん、どうしたんだろう」
「うわぁ、この小さい靴、泥だらけ。おばあちゃんの子どもの子ども、とかかな。この、かかとがとんがった靴も、けっこう泥がついてる。外の様子、変なのかな。何かが起きているのかな」
「すごい雨が降ったとか?」
「そうそう」
「ねぇ、おばあちゃんの靴は? 出ていったっきり、帰ってこないよ?」
「おばあちゃんの靴が帰ってこないのに、他の人の靴があるなんて、おかしくない?」
「きっと、おばあちゃんに、何かあったんだ」
あたしたちは、なんとなく分かってた。
おばあちゃんがいなくなっちゃったんだって、分かってた。
でも、心の底から信じたりはしなかった。
また、小さな箒でサッサッと掃いて、うちわでパタパタ、優しい風を送ってくれると思いたかったから。
また、おばあちゃんの「今日も一日、ありがとうね」を、聞きたかったから。
現実から目を背けて、明日になれば元通りだっていう、僅かな期待を抱く。
そんな日々を繰り返しながら、あたしたちは、いろんな想像をした。
そして、察して、理解して、踏み出すことを決めた。
この場所は、もう楽園じゃない。
あたしたちは、ここから出て、どこかへ行くことにしよう。
そう、決めた。
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