終わった夏

加納佑成

 



 戦争は終わった。


 日本は負けたのだ。


 ラジオで陛下御自ら、日本中の臣民に宣言なされたそうだ。


 耐え難きを耐え、忍び難きを忍べと仰せられたそうだ。


 また、陛下はご自身が人間であることを宣言された。現人神でもなんでもないのだと。


 知っていた。なにもかも、そんなことはほとんど全ての日本国民がずっと前から分かっていた。日本はいずれ負けることも、耐えることも忍ぶことも、陛下が人間であることも。


 敢えて誰も言わなかっただけだ。非国民になりたくなかったから。それより何よりも、


 軍艦ぐんかん行進曲マーチの音色を思い出す。私が出征するとき、美代子は笑って送り出してくれた。泣きそうな顔で笑っていた。お国のために、日本が勝つために、陛下の赤子せきしとして護国の火の玉となりアメリカの軍艦を沈めてくるのだと、心にもないことを言って私も笑顔で手を振り、美代子の元を去った。


 軍隊は辛かった。隊の曹長殿が人一倍愛国心旺盛な方で、毎日最低一回、多い時は三回根性を叩き直していただいた。が、隠し持った美代子の写真が私の精神を支えてくれた。


 入隊二ヶ月たったある日、特攻隊員として零戦の操縦訓練をしている際、ついに曹長殿に美代子の写真を隠し持っていることがバレてしまった。曹長殿は沸騰したヤカンのように怒り、貴様ーッそれでも男子か日本軍人か、女なんかにうつつを抜かして鬼畜米英が殺せるか、陛下に申し訳ないと思わんのか、軟派のクズが根性を叩き直してやると最終的にはお決まりのセリフを吐いて、私を殴り蹴り、美代子の写真をビリビリに破いて海に捨ててしまった。


 それでも私に怒りは湧かなかった。湧いたのは、痛いなあ嫌だなあ美代子に申し訳ないなあという気持ちと、という疑問だけだった。そうするとなんだその反抗的な目はと言われまた殴られた。


 その三日後、予定より遥かに早く出撃命令が出た。明日、アメリカの空母に特攻せよとの事だった。出撃するに当たり色々と勇敢な事を聞かされたが、要は切羽詰まっていたのだろう。広島と長崎に新型爆弾が落とされ、壊滅的な被害を受けたという。もはや訓練不足の新兵だろうが実戦投入するしかないのだ。


 私にとっては国なんてどうでもよかった。ただ痩せ衰えた父母を、まだ幼い弟妹を、美代子を守りたいだけだった。


 出撃直前、今までの態度がなかったかのように曹長殿が親しげに話しかけてきた。貴様はオレの事が憎く感じた日もあっただろう、だがそれは貴様の心得違いだぞ、オレは貴様が立派な大日本帝国の軍人として立派にお国のために命を散らせるよう、心を鬼にして罰を与えてやったんだ、憎まれ役を買ってまで、等の心温まるお言葉をほざいてくださったので、私もそのご恩に報いるため不本意ながら心を鬼にして曹長殿の鼻骨に右拳をぶち込んだ。曹長殿は折れた鼻から愉快な量の鼻血を流しながら目を白黒させて何か言おうとしていたが、再度鼻骨と鳩尾みぞおちにもう一発ずつぶち込むと、感謝の気持ちが伝わったようで体を丸めながら泡を吹いてぐうぅ、と言って下さった。


 曹長殿を人目につかないところに隠し、私は空元気のような盛大な声援を浴びながらついに零戦で出撃した。


 どれほど時間が経っただろうか、ついにアメリカの空母が見えてきた。これからアレに、積み込んだ爆弾とともに機体ごと突っ込んで沈めるのだ。


 アメリカ側もこちらを認識したようで機銃を撃ってきた。聞いていた話より遥かに速い。かろうじてかわしたと思ったが、尾翼の一部に弾がかすったようだった。僅かにバランスを崩す。零戦は機動性能を限界まで上げてある代わりに装甲が極端に薄いのだ。だが、まだ飛べる。


 アメリカの空母が目の前まで近づく。攻撃は更に激しさを増す。後二秒避けきれば特攻は成功する。そう思った時、同時に


 ――死にたくないな。


 と


 ――殺したくないな。


 という思いも同時に脳裏をかすめてしまった。


 それが命取りだった。風防キャノピーが割れ、視界が真っ白になった。


 私の乗っていた零戦と、私は撃墜されて爆散した。




 私の死後すぐ、八月十五日に日本は敗戦した。


 あれからどれだけの月日が経ったのだろうか。家族は、美代子はどうしているだろうか。


 魂だけのこの身ではそれを知ることも叶わない。


 今年も夏が来た。私にとって終わった夏が。


 私の夏は、いつまで終わり続ければいいのだろう。


 終わった夏に、取り残されてしまった。



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終わった夏 加納佑成 @awcyfollower001

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