天才という病3

 これは奇病だった。効果は目覚めたその瞬間から、俺の前に訪れた。


 第一の症状は絶え間ないだった。今日まで俺を苦しめた数多の価値観。その全てに俺という凄みを受け入れさせる。


 どうやらこの病は傲慢に溺れるらしい。


 目を開けると見慣れた天井が、今日もおはようと告げた。焦点の合わない目を擦りながら起き上がり、スマホを手に取って時間を確認する。午前六時六分。


 今日はバイトの出勤が入っていたが、昼からの出勤なのでまだまだ時間があった。早速天才の模倣を始めよう。朝の支度を済ませ、棚にあった適当な服装に着替えて外に駆け出した。


 持ったのはスマホ、イヤホン、財布、小説、メモ帳。エレベーターに乗り、ボタンを押すと一階に向かって静かに動き出す。扉とは反対側の壁に取り付けられた鏡に視線を向ける。そこには見慣れた平凡な俺の顔があった。


「なんて俺はイケメンなんだ」

 口にしておいてとても恥ずかしくなった。とても本心とは程遠い言葉に、第三者目線の俺が非難をする目でこちらを指差している気がした。顔をくしゃくしゃにしてしまいたくなり、その衝動のまま両手で顔中を掻きむしった。


 しかし俺には天才達の歩んだ軌跡を理解する必要があった。顔中傷だらけにしてもやるんだ。例えこの頬がこけても、食べ物が喉を通らなくなっても、誰にも理解されなくても。まずは絶え間ない自己肯定を。


 スマホを取り出し、カメラを起動する。

 スマホを持つ右手を前に突き出し、左手でピースを作って自分を写した。

 撮れた写真を見てみると、顔中に赤い掻き跡がついていた。

 笑顔は引き攣っていて、横に添えられたピースが一層写真のクオリティーを下げた。


 少し気分の淀んだ午前六時四十二分。気持ちの切り替えも兼ねて、ルーティーンの一環である喫茶店へ向かった。


 喫茶ロマネコンティ。家から徒歩五分圏内の場所にある、小さな喫茶店だ。近い以外の理由も特になく、いつしかここがルーティーンの一部になっていた。いつも通りモーニングセットAを頼み、持ってきた小説を開いた。


 先日の〇〇大賞に見事選ばれた注目作。俺はまんまと千円弱をそのブランドに安心して賭けたわけだ。


 無数に並べられた活字をしばらく追っているいると、俺の座る席にアイスコーヒーとたまごサンドが運ばれてきた。たまごサンドの味はそこそこだが、ボリューミーで俺の空腹をいつでも満たしてくれる。そして珈琲はおかわり自由。俺にとっては至福の時間だった。


 ところでこの小説はなんだろう。〇〇大賞、千円弱、噎せ返るほどの喜劇。全く面白くなかった。これは俺がズレているのだろうか。


 まだ綺麗な本をそっと閉じ、たまごサンドを頬張り、甘ったるくなった口内にキンキンに冷えたアイスコーヒーを流し込んだ。下品な楽しみ方だと自分でも思った。しかし店主の小父さんには、孫を見るような視線を向けられていた。


 時にはこうやって自分を律するのも重要なのだ。

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2920 当時東寺 @kuro96abb

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