天才という病2

一日目


 その日のうちに計画は始まった。

 究極の模倣と言ってもまだ天才達がどんな道を歩んだか詳しくなかった。

 今日は自分の中の天才を演じよう。

 そう心に決めて駅に入った。


 最寄りに向かう電車に乗り、ドア付近でポジションを確立した。

 同じ車両にいる人間に視線を投じた。

 俺以外に八人。

 男、男、女、女、女、男、女、男。


 俺は天才で、彼らはこちらにはなれない凡人。

 そう考えると今までのストレスから解放された気がした。

 沢山の荷物を入れたリュックサックを、手放すような。

 しばらく我慢した便を、思いっきり便器に発射するような。


 解放感に包まれるという奇妙な体験はこれが初めてだった。

 俺は誰に見られてるでもなく、それでも誰かの視線を意識して振る舞った。

 肩を強張らせ、視線を固定化し、勇ましさを演出した。


 しばらく時間が経過して、三つの駅を停車した電車の中で少し物足りなさを感じていた。

 これじゃあ天才には程遠い。

 俺は自分が凡人でいる時間が少しでも長く続くのが怖かった。


 急に視界が真っ暗になった。

 車輪がレールを擦る音も、八つの人間の生活音も、全て自分の心臓の音にかき消された。

 怖い、辛い、苦しい。

 キーンと高い音が、鼓膜を強く殴りつけた。


 胃袋から今朝食べたスクランブルエッグとトーストが込み上げてくる。

 口を手の平で抑える。

 顔を平手で叩いたり、咳き込んだり、ドアに寄りかかったり。

 車内の異物となった俺に八つの視線が集まった。


 丁度次は自宅の最寄駅だ。

 早く逃げ出そう。

 早く、早く逃げ出そう。




 家に帰り、すぐにトイレに駆け込んだ。

 便器に向かってありったけのゲロを吐き出した。

 パニックは少しずつ治っていたが、絶え間ない吐き気と恐怖が明ることはなかった。


 天才達はこの恐怖に打ち勝ったのだろうか。

 それともこんな恐怖など感じたことはないのだろうか。

 天才への関心はとどまることを知らなかった。


 〇〇〇ハイツ406

 3LDKの目立った特徴がない一室。

 古臭くも、新しさも感じない、多少の片付けが施された我が家。

 俺はここで母親と、母親の再婚相手との三人で暮らしていた。

 リビングに置かれた冷感マットに腰をかけると、すぐにスマホと睨めっこを始めた。

 検索エンジンとの格闘。

 世界中の天才達の功績をこの端末一つで紐解こうという魂胆だ。


 新品のノートを取り出し、シャーペンで検索の功績をまとめ上げた。


 俺が歩む模倣の道のりは、十二ページにも渡った。

 一日目はそれ以上の活動はなかった。

 小説を読み、書き、多少の家族団欒をこなし一日が終わった。


 二日目からは究極の模倣が始まる。

 ベットで横になりながら頭を巡らせた。

 凡人、天才、凡人、天才、凡人、天才、凡人。


 眠りに捕まる最中、頭に一つのアイデアが浮かんだ。

 瞼が開くことを拒んだが必死に抗おうとする。

 このアイデアをどうにかメモに残さないと。

 出来立てホヤホヤのこのアイデアを。

 このアイデアを。


 そんな俺の意思とは裏腹に意識が途絶えた。

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