天才という病
この世は凡人で溢れている。流行り物に何の疑いも持たずに齧り付き、お下がりの価値観で何者かを気取る。電車に揺られる中、空いた座席に座ろうとはせず、座席の凡人達の行動に視線を投じた。
イヤホンをつけ軽く首を振っている男は、俺の嫌いな流行り物のバンドの曲を聴いているのだろう。その隣の女はSNSの確認?承認欲求の最も醜い使い方だ。俺の近くに座る不潔な風貌の男は、スマホでアニメを閲覧している。最近流行りの凡人が作ったクソアニメだ。
反吐が出る。気持ち悪くて嫌悪すると同時に、自分もこちら側になってしまわないかという恐怖心も薄らと残る。自分の価値観を持たず、何事にも目の前のレールに従い続ける彼らは俺の最も嫌いな凡人だった。俺はそんな凡人が見逃した普遍性だけを使った小説を書きたかった。
目的地より一つ前の駅で下車し、駆け足で改札を抜ける。あまりにも空気が気持ち悪くて目的地まで少し歩くことにした。灼熱の鉄板で炙られるような感覚。まだ七月の中旬だというのにこの暑さ。
先が思いやられた。そこら中から蝉のオーケストラが奏でられ、より一層夏を夏らしくした。そんな夏すらもノイズに感じて俺はイヤホンをつけ、自分の価値観で選んだ天才達の音楽を背景にした。
狭い歩道をしばらく歩いて、俺は目的地の映画館に辿り着いた。一つの大きなスクリーンと少ない座席数だけを携えた昭和を感じる小さな映画館だ。
ここらのゲイ達の間ではハッテン場として有名らしいが、俺はよく映画館としてだけ利用していた。一律千円のチケットを購入し俺は中へと足を進めた。
「涼しー」
薄暗いシアターの座席には、既に一人小汚いおっさんが座っていた。気にせず俺はスクリーンが見やすい真ん中後ろ目の席に腰をかけた。少しして一人、スーツで身を包んだ中年の男が中を訪れたが、舐め回すように中を見た後すぐに立ち去った。
それからすぐに上映が始まった。『デリート』という三十年も前の洋画だ。俺はさっきの男のように舐め回すようにスクリーンの隅々に視線を投じた。途中先に座っていた小汚いおっさんに身体を撫でられ行為を持ちかけられたが、完全にシカトしていたら舌打ちを残してシアターを去った。
面白い、面白くないの物差しを『デリート』が右往左往する。自分の目、耳、肌が共鳴しあって新しい価値観をインプットする。今まで観た映画を何一つとして無意味にはさせなかった。
そんな自信があった。
一時間と三十七分の上映が終わり、俺は劇場を後にした。
登場人物が突然一人ずつ消えていくだけの映画。だけど登場人物は誰一人その事には気づかずに普通に過ごす。消えた違和感と彼らが何もなしに続ける日常が俺に新しい気持ち悪さを教えた。
これが天才の描く仕掛けなのだ。
これが天才の描く反撃なのだ。
俺は常備している手のひらサイズのメモ帳を取り出した。タイトルとあらすじ、要点と設定、山場の数とキャラクターの総量、構成の親切さ、斬新さ、天才の物であるか凡人から捻り出た奇跡か。記憶が鮮明なうちに事細かにメモを取る。
『デリート』
作品に対しての自己分析が事細かに綴られた。天才に感化され『デリート』に対して綴った次のページに、いつか何者かになった自分のためにと一つの自己主張を残した。
「
七月二十二日
俺は何者かになった気分で曇り空の下を歩いた。
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