第19話 バラバラゾーン

 異変は予告もなく始まる。雑踏劇が砕けた。空に太陽がある。雲ひとつない晴天だ。おれは百体を超える身体と接続して、それらすべての機械の心をおれの心と接続している。百体の身体には、地底探査機があれば、火山の噴火を見ている身体もあれば、監視衛星から地上を眺めている身体もある。雑踏に立つ百体の身体と通信を接続している。

 本当のおれは、今にもここにもいない。おれがいるのは今とは少しズレ、こことも少しズレたもう少し立体的な領域にある。

 その次の瞬間、おれの心がいっきに地球上に散乱した。おれの心が地球表層にある計算機とサイボーグの心に接続することが始まった。

 サイバネ医師が何か仕掛けやがったな。

 おれの視界に、裸の女たちの体が現れた。裸の女たちの体が目に焼き付いた。

 おれはあふれ出す通信の量に押し出されるように、自分の現実の根拠が信じられなくなった。おれは急に激しく、自分が仮想現実の中にいるのではないかと考えるようになった。


 これが仮想現実である可能性があるのだろうか。

 おれは強く現実感喪失に襲われている。おれの人生は、ひとつの知性体が設計できるほど単純だったのだろうか。

 いつからおれは生きていたのか。おれは本当に人だったのか。ここが仮想現実だったなら、おれがしてきた選択や判断は何だったのか。おれの選んだ選択肢や行動は、仮想現実の中で機械が出力した環境の中で行っていただけなのだろうか。おれの生きていた世界は、機械が出力できるくらい単純な世界だったのだろうか。

 いや、世界は単純ではなかった。世界が複雑だったことはおれの体験が示している。仮想現実を作り出している計算機が、この複雑な世界を作り出せるくらい高度な性能を持っているのだ。

 仮想現実を作ることのできるくらい高性能な計算機に自分の存在する世界を支配されたら、どうやってその計算機に抵抗したらよいのだろうか。これからも、まだおれは生きていくのだろうか。仮想現実の中かもしれないのに。

 おれの人生が仮想現実だったというなら、おれに教えていた教師たちはいったい何だったんだ。学校の試験も、仮想現実の中の人生の試験だったのだろうか。

 もし、おれの人生が誕生から死までずっと仮想現実の中だったなら、仮想現実を作り出している物質の根拠はどこにあるのだろうか。物質の存在自体が仮想現実の中にだけあるものなのだろうか。物質の中に仮想現実があり、仮想現実の中におれがいるのだろうか。物質は仮想現実によって捏造されたものか。物質の存在を信じられるか。

 おれの人生が仮想現実だったとしたら、世界は二十世紀後半から二十世紀前半までしか存在しないことになる。つまり、宇宙は存在せず、おれの人生の仮想現実だけが世界に存在するのだ。

 計算機は仮想現実の外側に存在する。つまり、ここが仮想現実なら、この世界をどれだけ探しても計算機は見つからない。計算機が物質でできている根拠は何もない。

 おれが生まれる前から仮想現実の中で生きていたとする。その場合、宇宙は存在しなかったと考えてもおかしくはない。宇宙は、おれの人生だけしか存在せず、狭く、短く、近代的な場面を持つだけの小さな存在だということになる。

 仮想現実から脱出するには、計算機の外側の誰かが助け出してくれるか、計算機に事故が起こり、その事故が偶然、好都合に作用する場合くらいしか考えられない。

 通勤中に知り合った女は、仮想現実の中の虚構だったのだろうか。どうしても気になる。

 おれは本当に人だったのか。おれが生まれる前からこの世界が仮想現実だったなら、初めからおれは計算機の中のデータにすぎなかったのかもしれない。

 計算機の外側におれの生身の人体が存在するのか。それとも、おれには人体が存在しないのか。

 二十世紀後半から二十一世紀前半の地球表層だけの仮想現実を作り出す計算機が、宇宙の外の世界にどのように存在しているのかわからない。計算機は人類が作ったのか、それすら確かではない。


 サイボーグ手術を受けた時から、おれの人生が仮想現実になった可能性を考える。その場合、仮想現実はサイバネ医師が作り出した虚構だということになる。おれはサイボーグ手術を受けたのではなく、仮想現実手術を受けたことになる。サイバネ医師に、おれの人生という仮想現実を作り出す能力があるだろうか。サイバネ医師が二十一世紀の世界をデジタルデータとして持っているかが問題になる。サイバネ医師がこの世界をサイボーグ技術以外の最先端知識を網羅して知っていることがありえるだろうか。二十一世紀の世界を支配しているのはサイバネ医師だろうか。それはありえないだろう。数多くいる専門家のすべてがサイバネ医師に従うとは思えない。だから、サイバネ医師が仮想現実を作り出していることはありえない。

 仮想現実を作り出しているのは、サイバネ医師ではなく、別の何かだ。


 かつて、機械はおれに質問した。

「おまえは誰なのか」

 と。

 おれは、仮想現実の幻影なのか。

 サイバネ医師も仮想現実なのだろうか。

 この人生は生きるに値するか。

 我々は、自分が生きているのが仮想現実だったとしても、それを喜ぶことのできる感情を探して、その感情を育てて生きていかなければならない。

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