第14話 物質の幸せ
サイバネ医師がアンケート票を渡してきた。
「サイボーグになって幸せになれたか」
それを問うアンケートであった。
幸せだって。幸せになるには、美人の女と関係を持つしかないだろう。まだ、通勤中に知り合った女と関係を持てないおれは幸せになれたとは言い難い。
「いいえ」
に丸を付ける。
人にはさまざまな趣味がある。それらは雰囲気を盛り上げる文化である。何のために雰囲気を盛り上げているのかといえば、結局は男女の出会いのためだろう。女とできなければ、どれだけ趣味が充実していても、むなしいのだ。逆に、美人の女とできてさえしまえば、どんなに趣味が空虚でも、満足するものだ。
趣味の技巧の高さを競っていても、その勝負は表面的な偽りにすぎず、趣味の技巧の勝ち負けはどのように異性と関係を持てたかで決まる。ここに、人類の文化の難しさがある。すべての文化がこのようになっているのだ。
話をさらに難しくすると、性行為より重要な事柄を持っていることは、人格のかなり洗練された上級者である。人類が消失しても世界が幸せになれるなら、それは性行為より重要なことを成し遂げていることになる。
人類はおそらく、いつかは滅びるであろう。人類が宇宙の終末まで生きのびるかどうかは難しい。人類が宇宙の終末まで生きのびるには、サイボーグ実験を成功させなければならない。だから、性行為より重要な事柄があることは、人の価値観の形成における上級者の概念なのである。
性行為が圧倒的に文化における正解であるということを述べた後、さらにその上級にある極意にまで言及したのは、話がややこしくなっているかもしれないが、おれの思想はこのようになっている。
そんなわけで、おれは物質を幸せにする活動に取り組んでいるのである。物質に幸不幸があるだろうか。心を持たない物質に幸せという概念が通用するか。
物質の幸せと機械の幸せ。どのようなものか定義するのは難しい。生物には幸せはある。植物にも幸せはある。健康的に繁殖している時の植物は栄養素をたっぷりと獲得して、ものすごく幸せを感じさせる。
植物に幸せがあるなら、機械に幸せはあるか。
人工知能のある機械に幸せはあるか。自己認識のある人工知能だけが意識を持つ。幸せが存在するのは意識を持つものだけなのだろうか。いやちがう。幸せは無意識しか持たない機械にも存在する。
人工知能のない機械に幸せはあるのか。仕事のバリバリできる洗濯機は幸せを感じさせる。
おれの印象論からこんな論理を展開しているのだが、果たして、どこまで正しいのだろうか。
そして、物質に幸せがあるかである。物質が心を持つ生物を幸せにするために存在するなら、生物が幸せになることは物質の幸せだ。
冷徹な宇宙の原理に、物質の幸せなどという甘ったるい哲学が通用するだろうか。物質は、どこまでも無目的であり、死と平等な価値を持つから、堅固にその存在を維持しているようにも見える。
難しい。疲れた。珈琲でも飲もう。
サイボーグであるおれの中の機械には幸せがあるのかという問題でもあるのだ。サイボーグは生身の部分を幸せにするために存在するのか。それとも、思考補助の人工知能を含めて幸せになることを目指すのか。
心の壊れたサイボーグのバラバラの身体には、おれの見知らぬ精神がくっついているのかもしれない。無線接続している別の身体にどんな精神が宿っているのかおれは確かめていない。
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