第11話 サラリーパス
おれは会社を隅々まで探検して、とうとう紙の写真の女の子を発見した。警備員の詰め所の隠し地下室の中にいた。こんな場所に初めて来た。
「私を探して。探し出せば助けてあげるよ」ということばは本当なのだろうか。この女の子がどうやっておれを助けるというのか。
「見つけたよ」
おれがいう。女の子がおれに抱きついてくる。おれは抱きしめる。
「これからきっといいことがあるよ」
女の子がいう。ずいぶん抽象的だな。あまり当てにはできない。本当におれが助かるといいのだが。
「きみはいったい何者なんだ」
「わたしにもよくわからない」
おれを助けてくれるのは、この女の子ではなく、別人かもしれないが、女の子を見つけたことに達成感はある。正体不明の試験官の出した問題のひとつに合格したのだ。
おれの意識がぐらつく。誰かがおれの心を確認している。敵か味方か。気を付けるべきだ。おれの心が無線で接続されたバラバラの身体にあることがわかるだろうか。おれの心が壊れていることがわかるだろうか。
おれの心の中でいちばん大事なことがわかるだろうか。
「きみは誰かに雇われているのか」
とおれが聞くと、女の子は両手でバツの字を示した。
「その質問はしてはいけないよ」
女の子がいう。
給料が上がった。銀行口座に振り込まれる金額を毎月、確認しているが、嬉しい昇給があった。女の子を見つけたからだろうか。あの女の子は昇給試験だったのではないか。
給料を何に使うのかを調べている連中もいるのだろう。その辺りの総合的評価がおれの会社における地位を決めるのだ。
心の壊れたサイボーグの給料の使い方。ビアガーデンでビールを飲むことだ。
監視衛星から見た地上画像の自動車事故におれの視覚が強制的に注目した。おれの生身の思考を思考補助の思考が優先的に割り込んで判断を決定したのだ。この自動車事故に何の意味があるというんだ。
思考補助の人工知能は、いざとなると生身のおれの判断に優先的に割り込むことができる。そのことがわかった。おれの身体を生身が制御しているのか、機械が制御しているのか、はっきりしないことになる。おれの身体を守るための緊急対応のためなのかもしれない。
火山の噴火が見える。懐石料理の味がする。火山の噴火を見に行った身体の目的は何なんだ。観光か。安全調査か。
おれが狙うべきは通勤中に知り合った女だ。夢の中に出てきたきれいなお姉さんでも、紙の写真の女の子でもない。
機械が自動車事故に注目した理由はわからなかった。
おれの生きている世界を追求する。おれは意識であり、おれは意識を内包する無意識の総体でもある。どちらがおれなのかは人それぞれの哲学によるだろう。おれは、自分というものの境界線を身体の境界線におく。だから、自分というものは、身体の中にある無意識の中にある意識がとらえた身体全体であるという認識だ。
そのおれがサイボーグ化したことにより、身体の境界線も、無意識の境界線も、意識の境界線も、人工的に変更させられた。おれの心に他者の意識が入り込み、精神接続という奇妙な体験をしている。
おれでないものというものは存在したようだ。そのことをサイボーグ手術をしたことによって知った。これは、人類の哲学史における革命的出来事であるはずだ。
機械はおれ自身の内側であるのか、外側であるのか。おれは自分がサイボーグであることを肯定している。そのくらいには機械好きな男である。だから、機械はおれの内側だ。サイボーグ手術をしたことにより、おれの身体の境界線はかなり外側にまで拡張された。
サイボーグの身体の大きさを人類の標準とは異なり実現する技術、それが、微生物の大きさを単位とする文明、恒星系の大きさを単位とする文明、それらに人類が進出する基礎技術となるだろう。未来はそのような進出を求めているのだとおれは考える。
自己の境界線は無意識であるべきだと同僚がいった。それはちがう。人の心は、自分の身体を大事にすることに適応している。自己の境界線を無意識におけば、その精神はおそらく傷つき、さらに、倒錯を起こすだろう。自己の境界線は身体におくべきなのだ。それが人の本能を肯定するサイボーグのあり方だ。サイボーグは、自己の境界線を身体で置かなければ幸せにはなれない。これは要注意事項だ。おれはそのような思想をしている。
他人を幸せにするには、その他人の自己の境界線を身体において支援するべきなのだ。他人の自己の境界線を無意識でおいたり、境界線を意識でおいたりすると、その他人を幸せにすることに失敗するとおれは考える。みんな、自分を幸せにしてくれるなら、自分の意識や無意識だけを幸せにするのではなく、身体まで幸せにしてほしいと願っているのだ。それが安心する生物のあり方である。おれは他人を幸せにする時にこのようにあるべきだと考える。
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