第5話 上層部メンテナンス

 朝、目が覚めると、会社へ向かった。今日は何が起こるんだろうか。

 職場の自分の机の上に、女の子の写真に文字が書かれた紙が置いてあった。

「私を探して。探し出せば助けてあげるよ」

 おれはその紙をバッグに入れた。

 おれの心が壊れている。遥か遠くの遠景が見える。どの会社なのかもわからない会議室の声が聞こえる。戦争の起きている町の喧騒が聞こえる。

 通勤中に知り合った女。夢に出てきたお姉さん。紙の写真の女の子。三人のうち、どの女を狙ったらいいのかというくだらない思考がおれの頭の中で混乱している。

「きみの身体を無線でつなげる実験を始めることにした」

 サイバネ医師の声が頭に残る。

 仕事を辞めてどうやって暮らしていくのか。サイボーグ廃棄担当官をぶちのめして、会社で働きつづけるしかない。

 混乱したまま、その日の仕事も終えた。紙の女の子を探さなくてはならない。夢の中のお姉さんにはどうすれば会えるのか。通勤中に知り合った女にも。


 おれは落ち着いて考えてみることにした。やはり、サイバネ医師をよく掌握しなければ、サイボーグに幸せはない。勝手に身体を無線接続にするようなことを始められても困るのだ。

 おれは、サイバネ医師を訓練教育過程での思想の確認を行い、メンテナンスを任せられる人物を探し出すことにした。メンテナンスを任せられるサイバネ医師が見つからなければ、サイボーグは全滅する。

 これがおれの考えたことなのか、機械の思考補助によるものなのかはっきりはわからない。

 なぜか、おれの視界にサイバネ医師の訓練教育過程が映ってきて、思想の確認の書類を読むことができた。作業がすごくはかどる。身体の無線化による機能だろうか。

 おれか、おれと身体を同一にする機械か、別人のサイボーグの行動が、おれの心に通信をとっているのだ。おれの心はどうなるんだ。

 会社の中を隅々まで歩きまわり、女の子を探した。たぶん、会社の中にいる。どこにいるんだろうか。

 機械よ、おまえたちは何を望む。どんなサイボーグを望むのだ。

 サイボーグの身体の中で人と機械は対等だ。おれはそういうサイボーグだ。機械の望みを考慮しなければならない。おれの望みだけでおれの身体は決定されはしない。機械にどの程度の人権を認めるべきか。サイボーグの中の機械要素に人権を認めるべきか。

 そして、おれは知っている。サイボーグは人の精神が生きることをあきらめた場合、機械の意思だけでしばらく身体を維持する。その後で機械は人の精神を癒そうとする。人の心は何度もくじけてしまうものなので、サイボーグの人の要素があきらめた場合には、人の心がまた生きる気力がわいてくるまで身体を維持する。

 おれはくたばりそうだよ。生きることをあきらめてたまるか。まだおれはがんばれる。まだおれは機械に身体の維持を委ねてはいない。


 通勤中に知り合った女に会った。

「きみと一晩じっくり語り合いたい」

 そういうと、女は断った。

 次のことばを考えなければならない。

 失敗だ。ここでうまくいけば、元気を取り戻せる気がしたが、そううまくはいかない。仕方のないことだ。


 空を見上げると飛行機が飛んでいた。涼しい風が吹く。機械が飛行機を警戒している。おれの思考と関係なく、機械の思考が飛行機から見えないところへの移動を考える。おれは建物の中に入り、ショッピングモールを歩く。

 疲れている。まだくたばるわけにはいかない。

 機械に従ってしまった。屈辱を感じる。

 だが、サイバネ医師に従うのも屈辱だ。

 冷凍食品を温めて、夕食を食べる。おれはサイボーグだが食事を食べる。最近、食事の類型が単調でいけない。もっとたくさんの栄養を取らないと健康に悪い。

 明日も会社だ。サイボーグ廃棄担当官と戦わないといけない。

 心が壊れている。いつの間にか、おれのものではない記憶をおれの体験だと信じ込んでいる。自分がずっと子供の頃から漫画を描いていた気がする。漫画なんて描くような画力はないのに。おれの記憶が他人の漫画家の記憶と連結し始めたのだろうか。これはとても困る状態だ。すぐにサイバネ医師にいって、このような混濁が止まるようにしてもらわないといけない。

 今夜は眠れるだろうか。

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