第3話 ナイトコンピュータ
失敗作はあきらめない。
サイバネ医師の報告書を読むと、おれはサイボーグの失敗作であると書いてある。おれはサイボーグ手術の成功例ではないらしい。これは困った。おれは失敗作なのか。
おれの身体を使ってサイボーグ手術を失敗したことをサイバネ医師はどう償ってくれるというのだろうか。おれには人権がある。サイボーグになっても人権はある。
サイボーグの人権は、先端産業の発展の中で流動的であり、まだ法的に未整備である。だから、おれというサイボーグにどのような人権が認められるのかは、科学技術の推移を見守りながら、それが明確化した頃に国会で決定されるだろう。
おれは自分のサイボーグ手術に失敗したことをどうしてもらえばよいのか。
しかし、そんなことを思い悩んでいたが、サイバネ医師について調べたところ、おれがサイボーグの失敗作であるというのは、そのサイバネ医師が目指している理想のサイボーグにならなかったというだけであり、特にサイボーグ手術の失敗を意味しているわけではなかった。
サイバネ医師の志が高すぎたために発せられた謙虚なことばとしての「失敗作」であったらしい。
だから、おれは普通のサイボーグなのだ。
そのサイバネ医師いわく、これまでのすべてのサイボーグは失敗作である。
サイボーグの判断の最終決定権を機械に委ねることも可能である。もし、そんなことをしたら、おれは自分がとても不自由な存在に思えてくるだろう。
おれの判断より機械の判断が上手であり、上手な判断が強い成功体験をもたらし、おれが成功体験に満足していくと、おれは自分の身体を自主的に実行しようという気持ちが弱くなってくる。これはいけない。
おれがおれでなくなってしまう。そのうち、おれはおれとしてほとんど何も考えなくなり、機械が考えた通りに動くようになり、おれは人生の主体者ではなく、観客になってしまう。それではいけない。
だが、サイボーグとはそういうものなのだろうか。おれは悩む。おれの思考と競合する機械の思考について考える。文明は少しずつ発展していくのであり、サイボーグ技術は少しずつ発展していく。機械の思考は少しずつ上達していき、おれの思考の採用率は少しずつ減っていくだろう。おれの身体をサイバネ医師がメンテナンスするたびに、おれの思考の採用率は減っていく。それでよいのか。
最後には、人類は、自分たちが築き上げた文明の観客になるのだろうか。
おれは不眠症になった。サイボーグはいつでも熟睡できる。そのはずだった。しかし、睡眠中枢が壊れてしまい、おれは不眠症になったのだ。死ぬかもしれない。
毎日、頭に気怠い重さがある。考えがすっきりしない。思考が明晰化しない。深く考えられない。不眠症は恐ろしい。
大丈夫か。おれは、サイバネ医師に相談した。
すると、サイバネ医師は、
「睡眠について調べるいい機会ができたよ」
といって、おれを不眠症の実験体に登録した。おれは不眠症サイボーグと呼ばれた。
睡眠中枢は研究の要望が強く、多くのサイボーグ関係者がおれの睡眠中枢に介入したがっていたのだろう。担当のサイバネ医師も、わざとおれの睡眠中枢を壊したのかもしれない。たまったものではない。サイボーグを何だと思っているんだ。職業倫理の低さが嘆かれる。
こんな状況で何十年も生きられるのか。おれは安心できない。
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