塔のアルカナ
白福
塔のアルカナ
塔のアルカナ
塔:十六番目のタロットカード。
正位置は、急な出来事による価値観の変化、惰性で続けてきたものの脱却を意味する。
また、逆位置は物事が止まって発展しないことや、惰性が長く続いてしまうことを意味する。
「へっくしょん!」
誰も居ない部屋にくしゃみが鳴り響く。鼻の中をさっきまで飲んでいた珈琲の香りがくすぐる。
季節は二月、寒くなってきた。1LDKの狭いマンションの窓には結露ができている。
私は永川良子(ながかわ よしこ)、主にタロット占いをやっている。
渋谷の駅の近くに立つ占いの館 「バイオレット」で占いをして、生計を立てている。
もちろん、永川良子という本名を使うわけにはいかない。ジョイフル良子という、まるで芸能人のような名前を使って活動しているためか、興味本位で指名する客が多く、私は生活に困ったことがあまりない。
そんな私が、毎朝必ずやることがある。
タロット占いで、自分を占うのだ。
無理せずに続けることができ、仕事の練習にもなる良い習慣で、自分のことながらよくやっていると感心するのだが、最近気になることがあった。
未来を示すカード。これが必ず、塔のカードになってしまうのだ。
これは、近々私の価値観が変わるようなことが起きるのだろうか。毎日、(出来事が起こるのは今日かな)と思いながら過ごしているのだが、起こる気配もない。
ただ、毎日客を占い、昼休憩をし、また客を占い、ご飯を作ってビールで晩酌し、寝るだけの毎日である。
正直、焦らされている感じがして面白くない。
これは、神様のいたずらなのか、それとも本当に私の未来を表しているのか、是非とも気になるところである。
「おはようございまーす」
バイオレットの裏口を開け、スタッフルームに足を踏み入れる。
暖房が効いている部屋に入ると、外との気温差で頬がピリピリする。
「あら、良子ちゃん。おはよう。」
そう言って声をかけてきたのは、50代のベテラン占い師である薫先輩である。
「薫先輩、おはようございます……」
「あら、元気ないわねぇ。なんか悩みでもあるの?」
やば、顔に出てしまっていたか。だが、無理に押し込んで占いで客に緊張感を与えるよりも、人に話してしまった方が楽かもしれない。
どうせ受け流しても、帰り際にまた絡まれるだけだし、話しておいた方がいいだろう。
そんな思考を巡らせながら、私は先輩に事情を説明する。
「実はかくがくしかじかで……」
私が事情を簡潔に説明すると、黙って聞いていた先輩が口を開く。
「うーん、占い師が言うのもなんだけどね、占いってあんまり信じるもんじゃないのよ。なんていうか、占い師次第で、結果をどう捉えるか、どう相手に伝えるかって、全然違うものだから。
だから、好きに解釈していいんじゃないかしら?」
「はぁ、そういうものですか。」
「そういうものなのよ、占いって。」
そうは言われてみたものの、どうも納得することができない。そうこうしているうちに、私が指名されたようだ。
「良子さん、指名です。」
受付係が私を呼ぶ。その声に従い、占いのブースまで行くと、小柄な女性が立っていた。
確かこの女性は、前に占ったことがあるはずだ。たしか、本条双葉さん。
私が顔を見せると、彼女はこちらを睨みながいう。
「すみません。私、この前ここで占ってもらったんです。今、気になっている人と、付き合うかどうか。そしたら、あなたは、今の私の恋愛運は最高だから、きっとうまくいくって言ったんです。」
一呼吸置き、彼女が早口でまくし立てる。
「でも、彼と付き合ってみたら、部屋は汚いし、休日は遊んでくれないし、プライベートでは口が悪くて、店員に悪態をつくような人だったんですよ。
別れようにも、あの人が暴力をふるうかもしれないし、怖くてできないんです。一体、どうしてくれるんですか!」
あまりの彼女の剣幕に、私は戸惑う。
「すみません、双葉さん。占いは、外れるだってあって……「それでも、あなたの占いを信じたせいで、今こんな最悪の状況に陥ってるんですよ!もうこんな店、二度と来ません!」
最後まで悪態をつきながら、彼女は去っていった。まったく、彼女だって店員に悪態をついているじゃないか。実は、結構お似合いだったんじゃないか?
そんなことを考えながら、私は引っかかっていたことがあった。
薫さんの、占いなんて信じない方がいいという言葉。さっきはなぁなぁにしてしまったけど、的を射てるのかもしれない。
事実、さっきの双葉さんは、私の占いを信じて、悪い方向に行ってしまったのだから。
暫く終業時間まで占いをして、帰路に就く。
ビールで晩酌をし、24時にベッドに入る。
(明日は、占いに変化があるのだろうか……)
そんなことを考えながら、すぐに熟睡に入る。
翌朝、まだ覚めない脳を珈琲で覚醒させ、いつも通りタロットを並べる。
そしてそこに、決定的な変化が起きた。
今まで正位置だった塔のカードが、逆位置を示している。
これは、占いを惰性で続けているという今の私の状態を表すのか、それとも大きな価値観の変化がなくなるという未来を示しているのか。
占い師としてはとても興味深い配置に頭を働かせながら、バイオレットに足を運ぶ。荷物を置いていると、直ぐに指名が入っていた。ああもう、私はタロットについて考えなければならないのに。だが、そんな言い訳は通用しない。
制服に着替えすぐにブースへ向かう。そこにいたのは、身長の高い男性だった。
多分、新規のお客さんだと思う。最近少なくなってきていた新しい客に少し興奮しながら、占いを始めた。
彼が占ってほしかったのも、これまた恋愛運についてで、彼女に別れを切り出した方がいいかという内容だった。
タロットを見てみると、死神が中心になっている。
死神のタロットカードは、終わりという意味で、今のことを終わりにし、新しいことを始めた方がいいというカードである。
「あー、これはもう別れた方がいいわね。カードがそう言ってるわ。」
私がそう言うと、彼は満足した様子で私にお礼を言い去っていった。
去り際に、彼はこんなことを言っていた。
「僕、実は彼女ともう別れたかったんだと思います。
だから、彼女と別れた方がいいという事を、カードが代弁してくれたようで、少しすっきりしました。」
タロットが、自分の気持ちを代弁する?
思えば、今までもそうだったのかもしれない。
多分、双葉さんは彼と付き合いたかったのだろう。その気持ちを、カードが代弁してくれた。
それならば、今まで私の運命を示してきた塔のカードは、占いを惰性でやりたくないという私の気持ちを、代弁してくれていたのではないか?
それならば、今日の逆位置の塔のカードが示すことは……
私はその意味に気づき、少し顔が緩む。
翌日、彼女はバイオレットに休職届を出した。最悪クビになるかもしれないが、それでもかまわないと思った。
思えば、最近の休日は、12時程度まで寝て、テレビを見ながら酒を飲み、買い物をして過ごすという満足のできない過ごし方だった。
お金も貯まっていることだし、外国でも行ってしまうか。いや、温泉も捨てがたい。上機嫌の彼女が上を見上げると、空には星が輝いている。冬だからか、心なしか綺麗に見えた。
彼女がこの先どこかに向かっていくかは、自分では占うことができない。でも、彼女が行くべきところは、星が示してくれるだろう。
星 17番目のタロットカード。塔で混乱し、停滞した日導くという意味がある。
タロットは、一つの物語となっている。
彼女の物語は、どのように紡がれるのだろうか。
塔のアルカナ 白福 @shirahuku314159
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